ところで、ドイツ語の名詞は、それ自身ではほとんど格変化できません。昔は語尾を変えることで格変化をしたのですが、長い歴史の中で格変化語尾のほとんどを失ってしまったのです。
ではどのように格変化をするのかというと、名詞にかかる冠詞や形容詞の変化で表します。つまり、名詞が失った格変化を、冠詞や形容詞に代行してもらっているのです。
今回は冠詞がついたときの格変化を扱います。形容詞はついたときはまた今度。
なお、冠詞も形容詞も付かない場合には格を表すことができません。このため、どちらが主語でどちらが目的語なのかが決められないということもあります。しかし、それでは面倒ですから、ドイツ語では冠詞を多用する傾向があります。
これは──特に、冠詞というものを持たない言語を喋る私たちには──ものすごく難しい問題です。なんでも本場の言語学でも冠詞については完全な解決を見ていないとかいう話ですから、相当なものです。ここでは、ひとつだけ重要なことを指摘しておきましょう。詳しくはまたの機会に譲ることにします。
冠詞の基本:定冠詞はその名詞の指すものを相手は知っているという話し手の気持ちを、不定冠詞はその名詞の指すものを相手は知らないという話し手の気持ちを、それぞれ表します。
英語で例を出すことにしましょう。以下はイソップ物語の一節です。
Long, long ago there were a fox and a crow. One day the crow was eating a piece of meat in a tree. The fox came, and saw the nice meat in the crow's mouth. He wanted to eat it, but he could not climb the tree.
むかしむかし、キツネとカラスがいました。ある日、カラスが木の上で肉のかけらを食べていると、キツネがやってきて、カラスが口に美味しそうな肉をくわえているのを見つけました。キツネもその肉が食べたいなあと思いましたが、でもキツネは木に登ることができません。
全ての名詞が最初に出たときは不定冠詞 a 付きで、次からは定冠詞 the 付きで出てきているのがわかります。最初に出てきたときは、聞き手は(例えばこのキツネを)知らないだろうな、という気持ちから不定冠詞をつけ、次に出てきたときは、ほらさっき出てきたあのキツネだよ、わかるでしょ、という気持ちから定冠詞をつけるというわけです。
この使い分けはドイツ語でも同じです。相手が知ってるだろうと思ったら定冠詞。知らないだろうなと思ったら不定冠詞。
Where is the toilet? おトイレどこですか?
初めて出てきても、相手が知ってると思ってるんだから当然定冠詞をつけます。でも──
Sorry, I don't know. ごめんなさい、知りません。
なんてこともあるかも知れません。まあ、本当に相手が知っているかどうかはまた別の問題です。
以前にもいいましたとおり、冠詞や形容詞は付く名詞の性によって形が変わります。ここで全ての場合を挙げるのは面倒な上に目がちかちかすることでしょうから、今日は女性名詞の場合だけにしておきます。男性と中性と複数はまた今度。
ではそういうわけで、早速。
女性名詞Frau「女の人」 | 1格 | 2格 | 3格 | 4格 |
定冠詞der | die Frau ディ フラウ | der Frau デア フラウ | der Frau デア フラウ | die Frau ディ フラウ |
不定冠詞ein | eine Frau アイネ フラウ | einer Frau アイナー フラウ | einer Frau アイナー フラウ | eine Frau アイネ フラウ |
冠詞なし | Frau フラウ | Frau フラウ | Frau フラウ | Frau フラウ |
ごらんの通り、1格と4格は-e、2格と3格は-erという語尾が特徴です。ディー・デア・デア・ディー、と覚えましょう。
女性名詞は常に1格と4格、2格と3格が同じ形です。1格と4格が区別できないというのは面倒な問題を引き起こす可能性があります。ドイツ語は、名詞の位置に制約がない(英語のように、文頭に主語が来なきゃいけないというわけではない)からです。
Die Frau isst die Tomate. ディ フラウ イスト ディ トマーテ
[isst essen「食べる」の三人称単数形、Tomate (女)トマト]
これは「女の人がトマトを食べた」なのか、「女の人をトマトが食べた」なのか。困ったことにこの文だけでは決まりません。
いちおう、文頭に来るのは主語であることが多いですし、トマトが人を食べるというのはかなり特異な現象ですから、おそらくはdie Frauの方が主語でしょう。でも、確定ではありません。
注:普通dieは「ディ」ではなく「ディー」と発音すると習います。ですが定冠詞のdieは弱く発音されるため、母音はそれほど長くありません。短いイであるか、あるいは短母音と長母音の間ぐらいの長さしかありません。ここではそれを強調する意味も込めて、「ディ」と書くことにします。
どこどこに何々があります、という存在を表す構文が、Es gibtです。文頭のesは別に何を指しているわけでもないので、何者なのかであまり悩まないように。英語のIt rains.のitのようなものです。あるものは4格で示します。
Es gibt eine Feder auf den Tisch. エス ギプト アイネ フェーダー アウフ デン ティッシュ
[Feder (女)ペン auf den Tisch 机の上に]
机の上にペンがあります。
状況としては、ペンを知らない人に、「ほら、あそこ、机の上にペンがあるよ」と教えているのですから、Federには不定冠詞がつくのが当然です。
余談ですが英語のthere is/are構文も全く同じことが言えます。There is a pen on the desk.は正しいですがThere is the pen on the desk.は変。ペンの存在を前提に「そのペンなら机の上だよ」というのなら、The pen is on the desk.とすべき。
さて次回は……男性名詞と中性名詞、と行きたいところですが、連続して格変化をやると覚えることが多すぎて大変です。というわけで、次回は格変化の話ではなく、箸休めとして配語法、つまりドイツ語の文における語の並べ方の話をします。