ドイツの再軍備化計画の一環として、当時はイギリス以外に類を見る事のない空軍(ルフトヴァッフェ)を創設したドイツ。通称『メッサーシュミット戦闘機』として知られるBF109シリーズはそのような環境の中で1935年、BFW(バイエリッシュ航空機)社により完成させられる。
設計主任は当時、BFW航空機開発部門に在籍していたメッサーシュミット博士である。彼は後にBFW社の社長に就任し、社名もBFW社からメッサーシュミット社へと変更。事実上、ドイツの一大軍用機メーカーへと台頭していく。その先駆けとして出現したBF109は全金属製単葉機という当時の航空機常識をうち破り、様々な新機軸を盛り込んだ野心作であった。
再軍備化計画としてドイツ当局は次期主力戦闘機の開発を フォッケウルフ、アラド、バイエルン、BFWの4社に要求し、各メーカー共に特色ある戦闘機を提出したが、各飛行実験をくぐり抜け正式採用されたのはBF109であった。初陣というより、実地試験としてBF109はスペイン内戦に参加し、ひとまずの実戦性能を示すと、当初、低出力エンジンであった物から、より大出力エンジンへの換装が実施され、
これがE型としてシリーズ最初の量産機として登場する。
また、列強各国の主力戦闘機性能を鑑みて、主武装であった7.92ミリ機関銃では不足とされ、E型は早々に20ミリ機関砲を採用している。ドイツでは海軍再軍備計画も発動しており、次世代主力艦船として建造が進んでいた空母『グラーフ・ツェッペリン』等の艦載機化計画も発動し、E型に艦載機機構を装備したT型も作られたが、大戦を通じて一度も空母から飛び立つ事は無かった。
E型をより見直し、性能を向上させた機体がF型であり、
特徴的な流線ボディに更に向上がなされたエンジンを搭載し、それに併せて内部機構も一新され、事実上のシリーズ完成を見る。所謂、メッサーシュミット戦闘機と呼ばれる機体はこのF型である。
激化するヨーロッパ戦線の実状にあわせて、F型はより重武装、大出力が求められ、G型が生まれる。これはシリーズ最多の量産を誇るが、性能的には重量悪化が災いし、F型に見られるバランス性能の良さは無い。大戦末期に高出力エンジンに換装された物が作られ、速度性能は大幅にアップされるが、時代に合う機体ではなくなっていた。
最終量産型として知られるK型は、イギリスのスピットファイアと渡り合える能力を持たせるべく、高々度戦闘での性能強化が図られた。その課程で、700km/hを越える速度を持ち得る機体となったが、当初の面影はなく、BF109の名前のみを残す全くの別の戦闘機である。
ドイツと日本の戦闘機の運命は共通している。
それは戦争の最初から戦い、最後まで戦った事である。
ところで、BF109にはシリーズ通して恐ろしい致命欠陥があった。それは主脚が折れやすかった事だ。航空性能維持のため主脚位置が胴体直下に存在した為、重量負荷バランスが悪く、着陸の際、機体の重さに耐えきれず折れてしまうのだ。
だから折角、激しい航空戦で生き残ったのに、着陸で主脚が折れて機体が炎上し、 パイロットが事故死してしまう例も多かった。
が、どういう訳か改められることもなく、対戦末期には部品性能が悪化して、主脚自体も脆くなり、いとも簡単によく折れた。が、しかし、同時期に開発された戦闘機では群を抜いた性能を持っていた事は確かである。