戦車の初期開発史(2)ドイツ
○進化する戦車(ドイツ)
戦車は第一次世界大戦終結後から、 第二次世界大戦勃発までの約20年の間に殆ど全世界に広がり、各国で性能向上が実施された。ドイツは敗戦国となり10万人を上限とする兵力が認められるのみとなり、 戦闘車両や兵器の開発保有が禁止され、大きく後退したが、ヒトラーが政権を取ると同時に密かに開発が進められていく。
当初トラクターIというコードで開発が進められたそれは、やがてT号戦車と呼ばれるドイツ戦車の元になった。7.7mm機関銃を一丁有するだけの戦車ではあったが、20年のブランクを埋める為の訓練用戦車としては最適であった。
そして一号戦車のデータを元に開発されたのがU号戦車である。(上写真:II号戦車C型/撮影:秩父路号)
T号戦車の補填用であり、何処までも訓練用であったが、20mm機関砲一丁と7.7mm機関銃一丁を旋回砲塔に装備し、非常に薄いながらもリベット装甲の車体を持つというドイツ戦車としての基礎が使用された一台である。
とはいえこの戦車。 ドイツ初期の戦車不足を補う為に実践で使用され、ソビエト侵攻作戦バルバロッサでも主軸として活躍させられた。
T号、U号戦車のデータを元に第一次世界大戦後始めて実戦使用を前提として開発されたのがV号戦車である。このうちA〜F型は、37mm戦車砲を旋回砲塔に有し、車体前面装甲部に7.7mm機関砲を配置。U号戦車と共にドイツ再軍備の象徴でもある。
(上写真:V号戦車/撮影:秩父路号)
(上写真:W号戦車/撮影:秩父路号)
他方、W号戦車もまた主力兵器としての開発が行われ、このうちA〜F型は24口径75mm砲を装備していた。
これは、この当時の一般的な常識である、 戦車は対トーチカ戦の兵器であるという考えに基づき、 対戦車という戦闘を考慮していなかった為である。 対戦車という価値観は1930年代にはまだ、生まれてはいない。 戦車が戦車を倒すという基本理念を戦車に持たせるには今少し時が必要となる。
(解説;岳飛)