古河公方館〜茨城県古河市〜
○解説
古河公方館は、1455(享徳4)年に第5代鎌倉公方(のち初代古河公方)である足利成氏が、享徳の乱によって鎌倉を失ったことに伴い、新たな拠点として築城したといわれます。現在の古河市鴻巣に位置し、別名として鴻巣御所または鴻巣館とも呼ばれます。のちに後に渡良瀬川沿いの古河城に移り、その後の使われ方は資料に乏しい状態ですが、最後の古河公方・足利義氏の娘である足利氏姫が1620(元和6)年に没するまで使われたと云われています。
(撮影&解説:裏辺金好)
○場所
○風景
古河公方館(鴻巣御所)跡
館跡には重要文化財の古民家(後述)が移されているほか、堀がこのように美しく残っています。
旧中山家住宅 【茨城県指定有形文化財】
元は茨城県岩井市(現在の坂東市東部)にあった「直屋」といわれる型の農家で、南側に二カ所の出入り口が存在。床板裏面の墨書に「延宝二年」(1674年)とあり、このころの建築ではないかと推測されます。
旧飛田家住宅 【国指定重要文化財】
元は茨城県久慈郡金砂郷村(現在の常陸太田市金砂郷地区)にあったもので、18世紀前半の曲屋形式農家建築。L字型の突出部(南側)に「厩」があり、西側は「土間」、中央に広い「板の間」、その片隅(東北奥)に小さな「部屋」、さらにその東側には「座敷」が続いています。