津城〜三重県津市〜
  Tsu Castle in Tsu City, Mie Prefecture

 津城(別名:安濃津城)は、北は安濃川、南は岩田川を天然の要害とした城で、織田信長の弟である織田信包によって築城されました。1580(天正8)年に5層の天守閣が完成すると共に、当時は柳山付近にあった城下町が移されました。
 1594(文禄3)年、織田信包は豊臣秀吉の命によって丹波国柏原に移され、富田知信が城主となります。関ヶ原の戦いでは、富田知信の子である富田信高が東軍についたため、西軍の攻撃を受けて城と城下町に大きな被害を受けました。
 1608(慶長13)年には築城の名手として名高い、藤堂高虎が伊予今治より津に移封され、津城が大改修されると共に、城下町の再整備が行われました。これによって海岸線を通っていた(伊勢神宮への)参宮街道を城下町に引き込み、津は宿場町としても発展します。以後、藤堂氏の支配下で明治維新を迎えています。津藩は最大で32万3000石もの石高を有しており、津城とその城下町はその中心として栄えました。
 明治の終わり頃になって外堀が埋められ、道路や街の整備が進められたことによって、城は往時の姿を失っていきます。現在は本丸と西の丸、内堀の一部が一部残るのみとなっています。また、本丸に模擬隅櫓(上写真)が復興されています。
(撮影・解説:裏辺金好)
 ▼MAP

 ▼アクセス
 近鉄名古屋線津新町駅より徒歩

○風景


江戸時代末期の津城(図面右が北)

西之丸と内堀

西の丸への入り口

入徳門 【津市指定文化財】
 西の丸に移築保存されているもので、藩校「有造館」の講堂正門です。有造館は1820(文政3)年に、第10代藩主の藤堂高兌(たかさわ)が藩士やその子弟の教育機関として設立したものです。


西の丸
現在は日本庭園として整備されています。


天守台跡
基本的に江戸時代に天守は存在していませんでした(江戸時代初期にあったかは諸説あるようです)。


藤堂高虎の銅像

本丸石垣