1855(安政2)年、幕府から東蝦夷地の白老から知床岬、択捉(えとろふ)島までの警備を命じられた仙台藩が、その翌年に拠点として構築したもので、堀と土塁に囲まれた内曲輪(うちぐるわ)と外曲輪(そとぐるわ)から成ります。施設としては本陣、勘定所、殻蔵、稽古場、長屋などを備え、東西の丘陵に塩竈神社と愛宕神社を祀っています。また、約120人の仙台藩の兵士たちが常駐していましたが、厳しい環境のため、ここで亡くなる兵士もいました。
幕府のこの政策は、従来は蝦夷地に松前藩しか置いていなかったことに対し、北方警備の重要性から東北諸藩(津軽・南部・秋田・仙台・庄内・会津)にも蝦夷地を分割して警備させることにしたもので、各地にこうした陣屋が造られました。仙台藩の場合は、この白老に元陣屋を造ったほか、広尾、厚岸、根室、国後、択捉に出張陣屋を構築しており、広大な範囲の警備が任されたことが分かります。
しかし、1868(慶応4)年の戊辰戦争勃発に伴い江戸幕府は崩壊。白老元陣屋から仙台藩兵は撤収し、約12年という短い期間で役目を終えることになりました。
1966(昭和41)年に国指定史跡となり、土塁などがよく残っている他、一部の門が復元されています。また、併設の仙台藩白老元陣屋資料館では復元模型や様々な資料を見ることが出来ます。
(撮影&解説:裏辺金好)
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