1855(安政2)年、幕府から現在の函館から幌別までの警備を命じられた南部藩が、勘定奉行である新渡部十次郎(新渡戸稲造の父)ら28人に調査をさせ、その翌年に箱館へ元陣屋を構築するとともに、天然の港であった室蘭のペケレオタ(白い、または明るい砂浜の意味。現・室蘭市陣屋町付近)に出張陣屋の1つを構築したものです。
幕府のこの政策は、従来は蝦夷地に松前藩しか置いていなかったことに対し、北方警備の重要性から東北諸藩(津軽・南部・秋田・仙台・庄内・会津)にも蝦夷地を分割して警備させることにしたもので、各地にこうした陣屋が造られました。また、モロラン陣屋の場合はポロシレト(大きな岬の意。現室蘭市崎守町)と絵鞆に台場が設置されました。
しかし、1868(慶応4)年の戊辰戦争勃発に伴い江戸幕府は崩壊。そして、南部藩士たちは新政府へこの陣屋の明け渡しを拒み、陣屋を焼き払って南部藩へ帰還。こうして、約12年という短い期間で役目を終えることになりました。
その後、1934(昭和9)年に国指定史跡となり、1968(昭和43)年から5年かけて、土塁と堀の修理や屋敷跡の平面復元行われています。
(撮影&解説:裏辺金好)
|