平安時代末期に多田源氏の源行綱が築城したとの伝承もありますが、発掘調査の結果、14世紀〜15世紀前半に築城され、16世紀中ごろに小田原の北条氏によって改修され、座間氏を城代として置いていたと云われています。この際に、後北条氏独特の築城様式である、二重土塁とその間に空堀を設けるスタイルで整備されています。
北条氏滅亡により廃城となり、江戸時代は村の入会地(共有地)として使用され、近年は雑木林のような状態になっていましたが、横浜市が整備を行い、平成20年6月から公開しています。これによって各郭の形もハッキリと再現されています。非常に歩きやすく、しかも横浜市営地下鉄のセンター南駅から近いため、関東でも有数の「行きやすい」戦国の城です。
(撮影&解説:裏辺金好)
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