石神井城〜東京都練馬区〜


○解説

 石神井城の築城時期は定かではありませんが、秩父平氏の一族である豊島氏の城として使われたもので、発掘調査では、12世紀から16世紀前半までの陶磁器が出土しています。1476(文明8)年から始まった長尾景春の乱で、豊島泰経は長尾景春に味方したところ、石神井城は太田道灌に攻められて落城しました。

 なお、石神井川と三宝寺池に挟まれた標高49mの舌状台地上に所在し、その規模は東西、南北ともに約350mの主郭(内郭)と外郭から成ります。現在は主郭周辺の土塁・空堀が残りますが、主郭は立ち入りが禁止されています。
(撮影&解説:裏辺金好)

○場所



○風景


宅地造成によって全体は不明ですが、その痕跡はある程度見られます。









三宝寺池と石神井城


氷川神社
応永年間(1394〜1428)年に豊島氏が創建したもので、石神井城落城後も地元の総鎮守として崇敬を集めてきました。社殿の前には江戸時代に豊島氏の子孫が寄進した石灯篭一対が今も残ります。

↑ PAGE TOP