帰雲城〜岐阜県大野郡白川村〜
○解説
帰雲城(かえりくもじょう)は、室町幕府の第8代将軍・足利義政の命により白川郷を支配した内ヶ島為氏が、1462年ごろに本拠として築城したもの。内ヶ島氏は戦国時代になると、向牧戸城、萩町城、新淵城などの支城を持つ戦国大名として成長し、姉小路頼綱や上杉謙信などの侵攻を退けますが、織田信長配下の佐々成政が越中に侵攻すると、第4代の内ヶ島氏理はこれに服属します。さらに、本能寺の変で織田信長が倒れると豊臣秀吉の命で金森長近が侵攻。
この時、佐々成政に従い越中に出陣中だった内ヶ島氏理は豊臣秀吉に降伏し、所領が安堵されます。
予想外の軽い処分にホッとした内ヶ島氏は、祝宴を開こうと一族郎党が帰雲城に集結。ところが、祝宴を翌日に控えた1585(天正13)年11月29日(※新暦では1月18日)、東海・北陸・近畿の広い地域を襲った巨大地震(天正大地震)に見舞われ、庄川右岸の(現)帰雲山が大崩落。土石流や洪水によって一族、家臣、領民もろとも生き埋めとなり、滅亡しました。
難を逃れたのは所用により、この地を離れていた4人だけと云われますが、既に地形は変わり果てており、現在に至るまで城跡の正確な場所は不明。
推定地に建立された石碑が歴史を今に伝えます。
(写真:リン/解説:裏辺金好)