諏訪原城〜静岡県島田市〜


○解説

 諏訪原城(すわはらじょう)は1573(天正元)年、武田勝頼が徳川家が支配する遠江侵攻の足掛かりとして、馬場信春(信房)に命じて牧ノ原台地に築城させたものと云われています。
 城内に諏訪大明神を祀ったことから、諏訪原城の名が付いたと云われ、城のすぐ南を東海道が通る要衛の地にありました。
 ところが、1575(天正3)年に長篠の戦いで織田・徳川連合軍は武田勝頼の軍勢を打ち破り、諏訪原城は1ヶ月にわたって徳川家の攻撃にさらされて落城。牧野城と改名し、今川氏真や松平家忠などが城番を務め、縄張りの増強に努めます。
 しかし、1581(天正9)年に武田方の高天神城(静岡県掛川市)の攻略に成功し、翌年には武田氏が滅亡したことから、諏訪原城の必要性がなくなり、1590(天正18)年頃に廃城となっています。
 近年は発掘調査や樹木伐採を含めた整備が行われており、2016(平成28)年度には二の曲輪北馬出の門が薬医門形式で復元されています。
 また、徳川家によって改修を受けていますが、武田流築城術の特徴である丸馬出(三日月堀と曲輪がセットになったもの)などは必見です。
(写真&解説:裏辺金好)

○場所



○風景


大手南外堀跡



二の曲輪大手馬出


二の曲輪中馬出

二の曲輪中馬出(左)と外堀(右)

二の曲輪北馬出の門

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