滝山城〜東京都八王子市〜
○解説
八王子城と並び都内を代表する山城である滝山城。元々は1521年ごろ、山内上杉家の重臣・大石定重(おおいし さだしげ/1467〜1527年)が築城したもの。1546(天文15)年の河越の夜戦(河越城の戦い)で、小田原の北条氏が扇谷上杉氏を滅ぼし、山内上杉氏の勢力を後退させると、大石氏は北条氏の軍門に下ります。滝山城は北条氏照によって、北条氏の北関東の侵攻拠点と、甲斐の武田氏に備える城として大改修を受け、北を多摩川、南を谷地川に挟まれた東西およそ900mの東日本随一の規模の平山城となりました。
1569(永禄12)年には武田信玄率いる2万の軍勢が関東に侵攻した際には、なんと北条氏は落城寸前にまで追い詰められながらも2000の軍勢でこれを守り抜きます。
北条氏照はこの後、より堅固な城を求めて八王子城を築城。1587(天正15)年頃に滝山城から本拠を移しました。
現在は滝山公園として整備されているほか、国指定史跡、「続日本100名城」(123番)となっています。曲輪や堀がよく残っていますが、草が生い茂ると良く解らない部分も・・・。
(写真&解説:裏辺金好)
○場所
○風景
枡形虎口
大手口と想定される天野坂からの堀底道を登ると、小宮曲輪と三の丸の間の枡形虎口に出ます。
千畳敷
馬出
中の丸
引橋
本丸と中の丸を結ぶ橋。かつてはもう少し下に架けられていた木橋で、中の丸に敵が押し寄せてきた場合、半分ほど本丸に橋を引き込むことが出来たと考えられています。
本丸枡形虎口
本丸
本丸
本丸南側虎口
行き止まりの曲輪
両端が狭い土橋となっており、ここに進入した敵は「袋のねずみ」状態になります。非常に貴重な城郭遺構です。