尼崎城〜兵庫県尼崎市〜
○解説
尼崎城は1617(元和3)年、大坂を直轄領とした江戸幕府が西の守りとするため、譜代大名の戸田氏鉄を5万石で配して築城させたもの。数年をかけて3重の堀と4層の天守(西側と南側に付櫓)を持つ広大な城が完成しました。本丸はぼぼ正方形で、南北とも約115m。北東に天守、他の三隅に三重櫓を1棟ずつ配し、中央には御殿などが置かれました。
さて、戸田氏鉄は1635(寛永12)年に美濃大垣10万石に移封されると、やはり譜代大名の青山幸成が入封。4代続いたのち、1711(宝永8)年に松平忠喬が入封すると、以後は(桜井)松平家7代が続き、明治維新を迎えました。
明治維新後は建物や敷地は破却され、僅かに移築された建物も戦災により焼失。本丸跡は尼崎市立明城小学校の敷地となっていましたが、のちに西三の丸跡地(阪神尼崎駅近く)に尼崎城址公園が整備され、石垣と土塀が模擬復元されました。
さらに2019(平成31)年3月29日からは、尼崎城址公園に天守と付櫓が鉄筋コンクリート造で外観復元されて一般公開開始。これは、家電量販店のミドリ電化(現在はエディオンに吸収合併)創業者である安保詮 氏が12億円以上の私財を投じて建設し、尼崎市に寄付したもの。
尼崎城址公園内に整備されたことから、実際にあった場所から北西に約300mずれているものの、外観は絵図をもとに忠実に復元。また、復興済の石垣や土塀を含めた景観が形成され、阪神尼崎駅ホームからもよく見えることから、尼崎市のシンボルとして期待されています。
(写真&解説:裏辺金好)
○場所
○風景
尼崎城天守復元前の尼崎城址公園
尼崎城天守
旧・阪神電鉄尼崎発電所(現・阪神電鉄尼崎レンガ倉庫)
1904(明治37)年築。電車用の火力発電所として建設されたもので、1918(大正7)年に稼働停止。その後は阪神電鉄尼崎工場の一角で資材倉庫として使われ続けています。尼崎城址公園に隣接していますので、セットで是非。