足利氏館(鑁阿寺)〜栃木県足利市〜


○解説

 足利氏館は、源義家の孫である足利義国・足利義兼親子が鎌倉時代の初めに築いたと云われ、1196(建久7)年に義兼は館内へ持仏堂を建立。13世紀前半には義兼の子である足利義氏が、義兼の追善供養のため堂塔伽藍を開始し、邸内の寺院化が本格的に始まります。足利義兼の法名である鑁阿(ばんな)から、鑁阿寺と称しました。
 その後、足利氏の館としての役割は終えていきますが、鑁阿寺は戦国時代に至るまで足利家の手厚い保護を受けたほか、江戸時代には第5代将軍である徳川綱吉の母、桂昌院からも保護を受けています。
 明治維新によって、鑁阿寺を囲んでいた塔頭12院は明治政府に一部を除いて上知することになります。しかし、水掘と土塁に囲まれた約40,000uの敷地は残され、中世武士の館としての雰囲気を今に伝えているほか、現在見られる伽藍の殆どが国宝や国指定重要文化財などの文化財指定されており、非常に見ごたえがあります。直ぐ近くにある足利学校とセットでの観光がお勧めです。
(撮影&解説:裏辺金好)

○場所



○風景


境内図

太鼓橋(反橋) 【栃木県指定文化財】
安政年間(1855〜60年)築。




楼門(山門) 【栃木県指定文化財】
1564(永禄7)年に室町幕府第13代将軍の足利義輝によって再建されたもの。両側に仁王尊像を配しており、これは鎌倉時代に運慶の手によるものだとか。





本堂(大御堂) 【国宝】
1299(正安元)年に足利貞氏(足利尊氏の父)が建立したもので、1407(応永14)年から1432(永享4)年にかけて修築。江戸時代中期に正面向拝が改造されています。本尊は大日如来。

一切経堂 【国指定重要文化財】
足利義兼が創建した後、1407(応永14)年に関東管領の足利満兼が再建したもの(※現地看板及び鑁阿寺ウェブサイトの記載。文化庁の国指定文化財等データベースでは、江戸時代初期の建築と記載)。内部にある八角の輪蔵にて、一切経二千巻余(黄檗版)を収蔵しています。


鐘楼 【国指定重要文化財】
1196(建久7)年に足利義兼が創建(※現地看板などによる)。文化庁の国指定文化財等データベースでは、鎌倉時代後期築となっていることから、本堂と同時期に改築されたのでしょうか。いずれにせよ、随一の歴史を持ちます。


多宝堂  【栃木県指定文化財】
1692(元禄5)年築。江戸幕府第5代将軍の徳川綱吉の母、桂昌院が寄進したもの。


中御堂(不動堂)
1592(文禄元)年築。足利国朝の寄進と云われます。


御霊屋 【栃木県指定文化財】
江戸幕府第11代将軍、徳川家斉の寄進で再建されたもの。本殿に源氏の祖、拝殿に足利十五代将軍像(栃木県指定文化財)を祀ります。

大酉堂(おおとりどう)
元々は足利尊氏を祀るために室町時代に建立されたもので、江戸時代築。明治中期からは皇国史観から足利尊氏を逆賊視する風潮となり、大酉大権現を本尊に。1917(大正6)年に大修理が行われました。

校倉(大黒堂) 【足利市指定重要文化財】
1432(永享4)年築と云われているが、棟札によると1752(宝暦2)年築。

蛭子堂 【足利市指定重要文化財】
江戸時代築。時姫堂とも称し、足利義兼の母である北条時子(源頼朝の妻、北条政子の妹) を祀っています。

西門 【栃木県指定文化財】
1432(永享4)年築。

東門 【栃木県指定文化財】
1432(永享4)年築。

北門 【足利市重要文化財】
1845(弘化2)年築。元々は塔中の1つであった千手院の門で、大正7年に現在地へ移築したもの。

大銀杏 【天然記念物】
足利義兼の手植えとも云われますが真相は不明。樹齢は推定で約550年だとか。

本坊
明治時代築。

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