郡上八幡城〜岐阜県郡上市〜


○解説

 郡上の地は1219(承久元)年に東胤行(とう たねゆき)が山田荘の地頭となって以来、長らく領有していましたが、1559(永禄2)年に一族の遠藤盛数と対立し滅ぼされます。この際、遠藤盛数が布陣した場所に砦を築いたのが郡上八幡城の始まりです。

 1588(天正16)年に遠藤慶隆(盛数の子)に代わって稲葉貞通が城主となり、郡上八幡城の大改修を実施。山上に石垣を築いて本丸とし、山麓に居館を築き二の丸とするなど、近世城郭としての姿を整えました。

 関ヶ原の戦い後は再び遠藤慶隆が城主となり、郡上藩が成立。1667(寛文7)年には遠藤常友が城を大改修し、それまで城主格だったものが正式な城主として認められています。

 遠藤家の領有が5代続いたのち、井上氏2代、金森氏2代、青山氏7代と城主が変遷。1759(宝暦9)年に青山幸道は二の丸を本丸と改め、山上の旧本丸は桜の丸・松の丸と称されるように。そして、明治維新後は廃城となり石垣を残してすべての建物が取り壊されますが、1933(昭和8)年に天守台跡に当時国宝だった大垣城をベースに4層5階の模擬天守閣・隅櫓・高塀が木造建築で再建されています。

 模造とはいえ今や築90年という日本最古の木造再建であり、今や郡上を代表する景観となっています。
(撮影:リン)

○場所



○風景


全体図


復元模型






模擬大手門




模擬天守閣 【郡上市指定有形文化財】



模擬天守閣内部
吹き抜けになっています。






城下町 【国重要伝統的建造物群保存地区】
職人町、鍛冶屋町、柳町は、江戸時代初期に整備された城下町の風景が残り、家と家の間にある「袖壁」と呼ばれる仕切りと、防火対策のために郡上藩主の遠藤常友によって4年の歳月をかけて築造された水路が特徴です。



旧・八幡町役場(現・郡上八幡旧庁舎記念館) 【国登録有形文化財】
1936(昭和11)年築。市街地のほぼ中央に位置し、1994(平成6)年まで現役でした。木造2階建てで、屋根の小屋組には当時最新の技術であったトラス工法が使われています。正面と南側の2か所に玄関ポーチがあります。

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