駿府城〜静岡県静岡市葵区〜


○解説

 徳川家康が、自らの居城として築城させたもので、1589(天正17)年に天守閣をはじめとする二の丸までが完成。しかし、豊臣秀吉によって関東に移封され、代わりに中村一氏が城主になります。ところが、豊臣秀吉が病没し、関が原の戦いに勝利して江戸幕府を開いた家康は、1605(慶長10)年に将軍職を息子の秀忠に譲り、駿府城を大御所政治を行う城として再整備を開始。城下町も大規模に整備され、駿府は大いに繁栄します。
 1635(寛永12)年に城下町で発生した火災が駿府城にも延焼し、天守閣や御殿、櫓などの大半を焼失。以後、天守閣は再建されず、さらに1707(宝永4)年の宝永大地震、1854(安政元)年の安政大地震でも甚大な被害を蒙ります。
 さて、明治維新で政権を失った徳川家は、江戸から駿府に移り、駿河”府中”では不忠に通じる、と明治天皇に配慮し、地名を静岡、という何とも穏やかなものに改名。さらに1870(明治3)年以降、城内の建築の大半が払下げ、取り壊しが実施されます。また、1896(明治29)年には陸軍省の管轄となります。
 戦後は静岡市の管理となり、駿府公園として整備。建物は1989(平成元)年に巽櫓が、1996(平成8)年に二の丸東御門(上写真)、2014(平成26)年に坤櫓が復元されています。また、外堀、中掘、内堀の3つが見られるのは非常に珍しく、往時の縄張りを良く残しています。
(写真&解説:裏辺金好)

○場所



○風景



駿府城復元模型
現在も堀はこの雰囲気が良く残っている駿府城。写真1枚目は右側、写真2枚目は左側が、現在の静岡駅方向です。


巽櫓
1989(平成元)年復元。二の丸南東の隅櫓で、二層三階の構造です。



東御門
1996(平成8)年復元。高麗門と櫓門から成っています。


坤櫓
2014(平成26)年に復元された二の丸の櫓。坤は「ひつじさる」と読みます。


二の丸


本丸堀


駿府城天守閣復元模型
徳川家康の居城に相応しい、五層七階の壮大な天守閣。天守台の上にそのまま建っているわけではないのが特徴的。本体の周りを多聞櫓で囲んでいます。


北御門跡


外堀
本丸、二の丸、三の丸全ての堀が現存している駿府城。


大手御門跡
三の丸堀(外堀)を渡ると大手御門。右手に直角に曲がり、渡櫓門をくぐって、城内に入る構造です。


静岡県庁 【国登録有形文化財】
1937(昭和12)年築。三の丸に位置する静岡県庁は、帝冠様式の堂々たる構え。



静岡市役所 【国登録有形文化財】
1934(昭和9)年築。大手御門の前、かつての静岡奉行所跡に静岡市役所静岡庁舎、葵区役所が建っています。静岡県庁とのスタイルの対比が面白いですね。


西郷山岡会見の地 【静岡市指定史跡】
かつての東海道に面した、駿府城近くのこの場所は、1868(慶応4)年に西郷隆盛と、山岡鉄太郎(鉄舟)が徳川家の処分について話し合ったところ。当時、松崎源平衛の屋敷がありました。


徳川慶喜公屋敷跡・浮月楼
静岡駅近くにある料亭「浮月楼」(ふげつろう)は、元々は徳川家の代官屋敷があり、徳川慶喜が大政奉還の後、約20年間過ごされた屋敷跡。現在も残る日本庭園は、庭師として名高い小川治兵衛が作庭したもの。

静岡銀行本店 【国登録有形文化財】
1931(昭和6)年築。設計は中村與資平。石造風に見せるRC造で、街路に面する2面はいずれも4本のドリス式のオーダーを持っています。

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