2003年3月20日 岩徳線で岩国城・錦帯橋へ


この日は氷川副所長ら高校時代の友人たちと岩国城、錦帯橋を巡ることに。まずは広島電鉄の横川駅停留所で下車します。当時はJR横川駅との直結工事が行われている段階で、 旧停留所最後の姿を記録しておきました。

横川駅停留所に停車中の1912号。

こちらが建設中の新・横川駅停留所。まだまだ絶賛工事中の段階の雰囲気ですが、何と撮影から7日後の3月27日に供用を開始しています。

別角度からもう1枚。

さて、JR山陽本線に乗車して岩国駅へやって来ました。早速、115系リニューアル色を撮影。背後に映るJR貨物コンテナの旧塗装が懐かしい。というか、こっちの方が良いデザインだったような…。

ここからは岩徳線に乗り換えますが、乗車したのは錦川鉄道のNT2001「かじか」。

そして隣駅である西岩国駅で下車。昭和初期には岩徳線が山陽本線であったことの名残で、長大ホームが残ります。元々は2面3線でした。

徳山方面から氷川副所長たちを乗せたキハ40形が到着。すると、メンバーのうち1人が下車時に「切符が見つからない!」とのハプニングが…。

西岩国駅の駅舎は1929(昭和4)年築で、国登録有形文化財。木造平屋建、寄棟造、桟瓦葺で,玄関上部に切妻壁を飾っているほか、玄関ポーチは3連の弓形アーチと高欄意匠のパラペットで飾っているのが特徴です。

続いて岩国学校へ。こちらは1870(明治3)年築。文明開化の影響で、洋風と和風の入り交じった擬洋風建築です。
現在は岩国市立岩国学校資料館として使用され、江戸時代から今に至るまで、実に多くの教科書を所蔵しており、一般公開されています。この他、郷土の有名人を紹介するほか、元々職員室だった2階では、昔の様々な道具を展示してあります。 ちなみに、東芝の創始者の一人で「日本の電気の父」と云われる藤岡市助や文豪の国木田独歩、作家の宇野千代などが、ここで学んでいます。

戦後の黒塗りの教科書。案内してくれたお爺さんによると、墨で塗っていていると既存の価値観をぶち壊すみたいで楽しかったそうな。

昔懐かしい?机の数々。

途中で見かけた痛車。あずまんが大王・・・かな?

さて、アーチが美しい錦帯橋に到着。撮影当時の錦帯橋は1950(昭和25)年9月14日の「キジヤ台風」で流出したものを復興した後、2001(平成13)年〜2004(平成16)年にかけて、元々の錦帯橋の形に完全に復元すべく、架け替え工事が行われいる途中の状態。一部は木材が新しいのが分かりますね。

さて、錦帯橋を渡った先を散策します。

香川家長屋門 【山口県有形文化財】
岩国藩五家老の1つ、香川家が1693(元禄6)年に建てたもの。岩国市の中でも最も古い建築物です。

錦雲閣 【岩国市登録有形文化財】
1885(明治18)年、岩国藩主だった吉川家の居館跡が公園として開放された際に、城の櫓に似せて造られた絵馬堂です。

岩国徴古館 【岩国市有形文化財】
戦時中である1945(昭和20)年に建てられたもので、佐藤武夫の設計。吉川家ゆかりの文書、歴史資料、美術工芸品、流失した旧錦帯橋の一部ななどが展示されています。

続いてロープウェーに乗って岩国城の天守閣を見ます。こちら、1957(昭和32年)に復興されたものなのですが、錦帯橋との組み合わせを良くするために、本来あった場所よりも錦帯橋寄りに少しだけ移動しています。復興された天守閣からは、岩国城下を一望でき、岩国の城下町の雰囲気を見ることが出来ますが、史実とは違うわけで何とも微妙なところ。

本来の天守台も残存しています。

之にて岩国の観光を終え、バスで岩国駅へ行き解散としました。当時の駅舎は1949 (昭和24)年に建築された3代目で、昭和の香りが・・といえばレトロな感じに聞こえますが、いささか簡素な駅舎でした。今は2017(平成29)年に改築された橋上駅舎が供用されており、駅前広場も一新されています。

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