2003年7月5日 キハ58系「こがね」&103系鶴見線などを撮る
7月5日。この日は品川駅でキハ58系改造のジョイフルトレイン「こがね」が展示されるというので、午前中に大学で用事を済ませた後に出撃。すると、偶然にも池袋駅にて14系ジョイフルトレイン「ゆとり」に遭遇。元々は「サロンエクスプレス東京」として登場した編成で、1997(平成9)年に和式に改造される際に名称が変更されています。
さて、品川駅へ。ジョイフルトレイン「こがね」は1989年(平成元年)に「グラシア」として登場したもので、2003(平成15)年のリニューアルの際に塗装を変更し「こがね」となったもの。
車内も見学出来ました。車体の片側に3列シートが並んでいますが、よく見るとその中でも1+2、2+1で交互に並んでいます。さらに、窓に向けて座席を回転することもできるようです・・・が、グループ旅行じゃないと後ろの席の人と「こんにちは」状態なので、ちょっと使いにくそう。
先頭の3分の1は新製したものでしょうか。キハ58系時代と大きく変わっています。なお、2010(平成22)年に引退し、現在はフィリピン国鉄で活躍しています。
ちなみにこの日は、185系が休憩車両として展示。湘南色をアクセントカラーにした、当時の新塗装です。
続いてその足で川崎へ向かい、南武線の209系に乗り換え。
浜川崎駅で、当時の新車である南武支線の205系に乗換。
南武支線に初めて乗車し、終点の浜川崎駅に到着。
南武支線の浜川崎駅と鶴見線の浜川崎駅が向かい合っている構図。元々、南武支線は南武鉄道、鶴見線は鶴見臨港鉄道が建設したことに由来します。
では、鶴見線に乗り換え…ようと思ったら、行ってしまった…。
やむを得ず、扇町行きの103系を撮影し…。
結局、来た道を引き返す形になりました。
さらに、浜松町駅前にある芝離宮庭園へ。1678(延宝6)年に、小田原藩主で老中の大久保忠朝が、海面を埋め立てたこの土地を幕府第4代将軍、徳川家綱より拝領し、屋敷と「楽壽園」という庭園を造ったことに始まります。庭園が完成したのは1686(貞享3)年のこと。1871(明治4)年に有栖川宮熾仁親王邸となり、さらに1875(明治8)年に宮内省が買い上げ、翌年に芝離宮となったものですが、当時の大名庭園が今に残っていることは非常に貴重です。
浜松町駅前に当時存在した渡邊ビル。1931(昭和6)年に建築されたもので、塔屋の屋根を和風とした帝冠様式だったのが特徴でした。
最後に、東京駅で205系ADトレインを撮影して〆。ADトレインはアド・トレインと読み、1990(平成2)年にサービスを開始した広告貸切列車です。山手線の場合、当時はヘッドマークを掲出していましたが、翌年からは装着していません。