2003年9月1日 竹原を観光する
この日はまず、広島駅で小郡行き快速列車(115系)の方向幕を撮影。2003(平成15)年10月1日に小郡駅は新山口駅へ改称されたため、この行き先は見納めとなりました。2005(平成17)年9月30日には小郡町も合併で山口市になっています。
さて、この日はこのまま呉線で竹原へ向かいます。途中、広駅で115系広島快速色と103系瀬戸内色を撮影。
こちらは105系。
さて、竹原駅に到着。2021(令和3)年時点でも変わらぬ国鉄スタイルの駅舎ですが、写真撮影時は随分とボロボロでした。
さて、竹原の町並みです。古くは京都下鴨神社の荘園として栄え、戦国時代は竹原小早川氏の、江戸時代は広島藩浅野家の領地でした。そんな竹原市の中でも、JR竹原駅から近い上市・下市と呼ばれるエリアは、江戸時代後期に製塩や酒造業で栄えた屋敷や、由緒ある寺院が数多く残っており、江戸時代の雰囲気を今に伝えるとともに、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
頼惟清旧宅 [県史跡]
1775(安永4)年頃の建築。日本外史の著者として知られる頼山陽の祖父、頼惟清が紺屋を営んでいた家で、入母屋塗込造、本瓦葺の母屋と単層屋根、切妻造本瓦葺の離れ座敷からなっています。
西方寺普明閣。1758(宝暦8)年築。西方寺本堂横の高台に位置し、元々は戦国武将として有名な小早川隆景が建立したもの。方三間宝形造、本瓦葺の二重屋根、舞台造で、ミニ清水寺といった雰囲気です(模して造られているからですが)。
そして広島駅に戻り、可部線の105系リニューアル車を撮影して〆としました。