2008年11月1日・2日 キハ58系を追って愛媛県へ
10月中は比較的静かだったワタクシでございますが、11月は色々行く予定ですよ〜。ということで、朝の羽田空港からスタート。
朝も早くから次々と飛行機が飛んでいきます。さて、私も乗り込むとしましょう。
さあ、そこで到着しました四国最大の都市、愛媛県松山市。3年連続で訪問しております、私が小学校4年〜6年、中学校1年まで住んでいた場所。それでいて、未だに年賀状をやり取りしている恩師とは一度も会っていないという、なんとも恩知らずな生徒だったりします(先生、スミマセン・・・)。というわけで、さっそく路面電車を大手町で撮影。
見ていると、路面電車の全車両に11月8日 熊本の日ヘッドマークや側面広告を載せて運行しています。なんで松山で熊本なのか、よくわかりません。ネットで調べてみても、そもそも熊本の日が何なのか解らず。伊予鉄道ホームページでも何も載っておらず、何なのでしょうか。・・・と書いておけば、きっと誰か答えてくれるに違いない。
というわけで、ムスタファさんの調べによると松山と熊本で活躍した夏目漱石つながり、とのこと。msnで検索したら何も出ませんでしたが、ヤフーで検索すると、確かに引っかかりました。なるほど、そういえば松山と熊本はそういうつながりがありましたね。
数を少し減らしはしましたが、様々なタイプの旧型車両も多数活躍中。昭和30年代から変わらぬ走行音がいいですね〜。
大手町では伊予鉄道の郊外線である高浜線と路面電車が直交。
そしてJR松山駅に行くとEF65 1000番台がいました。これも四国で見られる、貴重な国鉄色。
さあ、松山に来て早々ではございますが、2000系特急「宇和海」に乗車します。
伊予大洲駅を過ぎると、左手に大洲城が見えてきます。非常に立派!
そうして何と、終点の宇和島にまで到着しました。トレインマークを巻く回ししたので、高松〜徳島を走る「うずしお」状態でパチリ。
駅前に出ると、なにやら小型の蒸気機関車が。宇和島で一番最初に走った蒸気機関車(宇和島鉄道のケ220形)を復元したものだそうです。宇和島鉄道は大正3年10月に宇和島〜近永17.3kmを開業させた軽便鉄道で、大正12年には近永〜吉野を延長開業。そして昭和8年8月に政府により買収されて改軌され、ほぼ現在の予土線になっています。
ちょっと南国的な雰囲気もある宇和島駅。非常に綺麗な駅で好感が持てます。手入れされた花壇もいいですね。
さて、駅前でレンタサイクルを借りて散策。駅の近くには江戸時代後期の蘭学者、高野長英が宇和島に潜伏していた居住地跡があります。高野長英はシーボルトの門下生で、幕府の異国船打払令を批判するなどして投獄されていましたが、火災に乗じて脱獄し、宇和島藩主の伊達宗城の庇護を受け、宇和島藩の兵備洋式化などに貢献しました。
そしてこちら、この素晴らしい庭園は天赦園(てんしゃえん)。1672(寛文12)年に宇和島藩2代藩主の伊達宗利が海を埋め立て造成した浜御殿の南東部分を、7代藩主の伊達宗紀(むねただ)が隠居の場所として大改造を行って、1866(慶応2)年に竣工したもの。庭園の名前は、あの伊達政宗が隠居した後に家臣たちに示した
「馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し 残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん」
という詩からとったものだそうです。
中国・四国地方には岡山や広島、高松や丸亀など、城とともに大名庭園が多く残っていますが、ここもその1つですね。美しいだけでなく、伊達宗紀は宇和島藩の財政再建に成功させた人物で、さらに幕末において、この場所から宇和島藩の指示をあれこれ行い、賢公と称えられた8代藩主の伊達宗城の背後より明治維新へ様々な介入を行った、宇和島藩の黒幕(笑)。西郷隆盛や大村益次郎とも、ここで会見を行ったそうです。
ちなみに伊達宗紀は、1889(明治22)年に98歳という長寿で亡くなったとか。
そして宇和島城を見学。そこそこ高い場所にあり、路盤の悪い昔ながらの登城ルートで上ると、結構大変です。天守閣は、姫路城とか大坂城とかを想像すると、随分かわいらしいものですが、見れば見るほどどっしりとした構えで、1666(寛文6)年に建造された、全国でも貴重な現存天守閣の1つです。
さらに宇和島駅方向に戻り自転車を西へ走らせ、海の近くへ。宇和島藩が造った樺崎灯台跡に隣接して建つのが、旧宇和島警察署。1884(明治17)年に建築された擬洋風建築で、1953(昭和28)年に当時の南宇和郡西海町(現、愛南町西海地区)に移築され、西海町役場として1990(平成2)年まで使用。役目を終えた後、当時の場所とは全然違いますが宇和島に再移築され、宇和島市立歴史資料館として使用されているものです。
そして宇和島駅に戻り、日本の旅・鉄道見聞録コーナーで紹介しているとおり、急行「うわじま」を撮影。
そしてカレーパンマンが描かれた特急「宇和海」に乗車し、伊予大洲駅でデュークさんと合流して松山へ戻ります。
松山と言えば道後温泉! 未だに明治の建物が現役であり、我等2人は早速湯に浸かりに行くことにしました。実際、ここで風呂に入るのは10年ぶりぐらいかも・・・。休憩室でお茶を飲むでいると、100年前の人たちも、ここで同じことをしていたんだろうなあと、感慨深いものがあります。
実はホテルでサービスのカレーを食べておきながら、やはり何か名物を食べたい! ということで、私の発案で鯛めしを道後温泉近くの店で注文しました。この鯛めし、愛媛県では2種類ありまして、上が南予風鯛めし。南予地方は愛媛県南部のことで、大洲市から宇和島市一体を指します。とろろや特製のダシ醤油、ゴマや海苔をかけて召し上がれ。
一方、こちらが中予風鯛めし。もう、鯛めしの違いがわかりますね!
中予地方とは、この松山市や伊予市などのことで(デュークさんには内子町とか大洲市のことだと、嘘教えてしまった・・・。この場を借りてお詫びいたします)、松山の名物料理と言えば、この鯛めしを挙げられます。身をほぐして、混ぜて食べましょう。両方とも美味しい!
さて翌日。朝も早くから高松発宇和島行きの特急「いしづち」にデュークさんと乗車します。
・・・と、出発前に2000系特急「しおかぜ」がやってきたので撮影。こりゃまたすごい・・・。
そして内子線の内子駅で下車。駅前ではC12形蒸気機関車が、非常に美麗な状態で保存されていました。
さて、内子町は全国でも有数の古い町並みが残っています。この光景には圧巻。
なまこ壁や窓の形など、いろいろと見るべきポイントがあります。
こちらも古い町並み。
それから、内子駅から古い町並みに行く手前にある内子座は、1916(大正5)年に地元の熱意によって竣工した木造2階建ての芝居劇場。一時は老朽化による解体も議論されましたが、ここで「古い町並みとともに地元の遺産として活用しよう」と動きが広がり、現在は内子観光の中心として再び活用。年間80日近くを、劇場としても使用しています。
こちらが内部の様子です。
さて、内子駅で特急「宇和海」などを撮影して松山へ戻ります。
そして岡山空港から帰るというデュークと別れ、いよいよJR四国のキハ58系最終運転となる急行「いよ」を撮影。
さらに、昔すんでいた鉄砲町の電停で路面電車を撮影。私が住んでいたころは、この電車しかなかったわけですが・・・。
今やこのように、超低床車両の2100形も来るわけで、時代は変わったなあと思います。
昔通っていた小学校や中学校、それから塾などを見ながら、やはり路面電車を撮影。
そして大街道へ行くと、坊ちゃん列車が走っていたので撮影。蒸気機関車(中身はディーゼルですが)が路面電車の線路上を走るのが、なんとも面白い光景ですね。松山観光の見所の1つです。
続いて松山城に行き天守閣を撮影。満足の行く1枚に仕上がりました。
そして松山空港から帰ったわけですが、やはり愛媛県はいいですね〜。今度は伊予西条市の四国鉄道文化館を見に行くのをテーマにして、また訪問したいと思います。