2008年12月6日・7日 0系ひかり&岸和田、奈良を行く旅


 本日臨時で運転される0系「ひかり」を撮影したい、というだけの理由で大阪へ到着。もちろん、0系だけ撮影して終わり・・・という気はないものの、行くところを決めたのも殆ど出発直前、大阪にいる友人たちに「遊んでくれ」と頼むのも直前という、無鉄砲な計画でしたが、1泊2日で大阪府岸和田市の岸和田城と紀州街道沿いの古い町並みの見学、南海電鉄、阪神電鉄、近鉄、京阪電鉄の撮影、さらには奈良へ移動し広大な平城京跡の散策、唐招提寺と薬師寺の見学と、充実した2日間でした。
 というわけで、まずは写真の関西空港駅からスタート。よく解りませんが、なぜか綺麗に撮影できた・・・。


 今回は関西空港からは初めてとなる南海電鉄に乗車。50000系特急「ラピート」は相変わらず強烈なデザインです。乗ってみたい、と思いながら無駄にケチって乗らないのが所長。


 友人と泉大津駅で合流するまで時間があったので(というか時間を作ったので)、羽衣駅で南海本線の車両を撮影。両方とも1000系ですが、minapita ラッピング車両となった左の車両は、随分と面白い雰囲気ですね。


 先ほど関西空港駅にいた特急「ラピートβ」が羽衣駅を通過。


 こちらは高師浜線の2200系。この系列は更新こそされていますが、約40年活躍するベテラン。


 さて、大学時代の友人と合流して彼が勤務する岸和田へ。岸和田は大阪府内でも大坂城と並んで立派な城郭が残る場所。残念ながら建造物は、戦後になって復興されたものとはいえ、なかなか立派です。


 ただ1954(昭和29)年に復興された大天守閣は、江戸時代を通じて5層だったものを3層にしてしまった、全くのデタラメ建造物。・・・意外と格好いいですけどね。
 なお、岸和田城は1334(建武元)年に楠木正成の一族である和田氏が、当時「岸」と呼ばれていたこの地に城を築城したのが始まり。つまり岸和田という地名の由来は、「岸」の和田という珍しい旧地名と人名の合成地名。それから室町時代から江戸時代初期にかけて信濃氏、細川氏、三好氏、松浦氏、中村氏、小出氏、松平氏と代わり、1640(寛永17)年に紀州藩のお目付け役として、岡部宣勝が入城し、幕末まで岡部氏の城下町として栄えました。


 こちらは旧岸和田城内の薬草園の跡地に、寺田利吉氏が1929(昭和4)年から約10年かけて建設した五風荘。立派な主屋に茶室、回遊式庭園が見事なものです。


 絶対所長が喜ぶ、と友人が案内してくれた岸和田市魚屋町にある近代建築。ネットで調べたところ、これは1919(大正8)年築の旧四十三銀行(現、成協信用組合岸和田支店)とのこと。赤いレンガと花崗岩のツートンカラー、そして適度な装飾に丸みを帯びた姿は実に素晴らしいですね。


 しかし、何といっても岸和田で見るべきは旧紀州街道沿い、岸和田市本町に残る古い町並み。


 ご覧のとおり、見事な町並みが広がります。


 説明板も用意されており、建物1つ1つの概要もよく解ります。


 もう1枚。岸和田はこのほかにも市内の各地に古い町並みが残っており、必見です。


 岸和田の観光を終えて友人と別れ、今度は南海電鉄の浜寺公園駅へ。4年前に1度訪問していますが、現在のデジカメで撮影したく再訪問。東京駅や日本銀行本店の設計でおなじみ、辰野金吾の設計で1907(明治40)年の建築です。南海電鉄本線で進む連続立体交差事業による取り壊しの可能性もありましたが、堺市は保存を決定。高架化後も新駅舎の正面で活躍してくれます。


 別角度より。なお、この駅舎は国の登録有形文化財に指定されています。


 保存は非常に喜ばしいことですが、高架化後の雰囲気は大きく変わってしまうでしょうから現在の姿は記録しておかなければ・・・。


 ホームの様子。


 ちなみに近くには阪堺電気軌道の浜寺駅前駅があります。こちらは、何だか昭和初期といった感じですね。


 で、停車中の車両を撮影。


 それから浜寺公園駅のお隣、南海電鉄の諏訪ノ森駅へ。小ぶりな建築で、気に留めない人も多いとは思いますが、これも1919(大正8)年に建築された歴史ある駅舎。国の登録有形文化財に指定されています。やはり南海電鉄本線で進む連続立体交差事業による取り壊しの可能性もありましたが、堺市はこれも保存を決定。高架化後も新駅舎に接続して使用されるようです。


 この駅舎の魅力は、何と言っても美しいステンドグラスですね。当時の設計者の心意気が感じられます。


 諏訪ノ森駅を発車する7100系。


 堺駅で、またまた50000系特急「ラピートβ」を撮影。でも、乗らない・・・(乗りたかったけど)。


 1000系住之江競艇ラッピング車両。なかなか上手いデザインですね。


 なんば駅に到着。こちらは泉北高速鉄道の3000系。


 特急「りんかん」で使用される11000系。


 南海電鉄の新鋭8000系。これからどんどん、増えていくんでしょうね。


 さてさて、いよいよ本日最大のお目当てである0系「ひかり」を撮影しに新大阪駅へ。と、ホームを見てみると923形ドクターイエローが。この車両は初めての撮影であり、ちょっと得した気分。一方で0系「ひかり」を、この列車が停車する20番線の向かい側である21番線から撮影しようと企んだところ、回送列車が長時間停車するとのこと。必然的に20番線は大量の人が押し寄せ大混乱状態。ロクな写真が撮れそうではありません。


 そこで、まだ時間が合ったので思い切って新神戸駅へ先回り。0系「ひかり」は新神戸駅を通過するのですが、猛スピードで通過していく姿は往年の姿に相応しいもの。「こだま」運用のために、0系は遅いというイメージが脳裏についていたのですが、それを見事にかき消してくれました。
 これで私は走行する0系を見ることは無いわけで、帰省や旅行で何度と無く利用してきた0系と最後の別れとなりました。写真撮影云々以前に、高速スピードの0系が見られたのは非常に感動。新大阪でムリに粘らなくてよかったです。


 さて、何の計画も無く神戸にまで来てしまったのですから、当然神戸での予定なんてありません。とりあえず地下鉄で三宮駅まで行ったところ、目に入ってきたのが「阪神」の文字。よくよく考えてみれば、阪神電鉄の車両は殆ど撮影したことが無かったので、これを機会に乗車&撮影とします。で、まずは尼崎駅で山陽電鉄5000系を。


 新塗装になった阪神9000系。う〜ん、阪神タイガース♪


 こちらは阪神1000系。


 こちらは阪神5000系。大手私鉄で、いまどき行先表示「板」を掲げている車両があったとは・・・。


 さて、ホームから何やら城跡っぽいのが見えたので行ったところ、やはり尼崎城跡でした。復興された石垣と塀があります。


 それから、間もなく「阪神なんば線」として延伸開業する、阪神西大阪線へ。


 西九条駅ではホームの延伸を含めた大改良工事が盛んに進められていました。


 西九条駅はJR大阪環状線、JR桜島線(JRゆめ咲線)との接続駅。阪神なんば線が開業し、近鉄と直通運転が始まれば、一気に奈良と大阪を結ぶ玄関口の1つとして注目を集めそうです。さて、そんな私の前にやってきたのは大阪環状線の103系低運転台。さすがに、今や珍しい部類の車両になってしまいました。


 こちらは天王寺駅にて。一方で、阪和線は相変わらず103系低運転台の楽園。東京都内では209系も廃車される中で、未だにこれが主力というのは鉄道ファンとしては嬉しいですが、利用客としてはどうでしょう。もっとも、個人的には車両よりもトイレが綺麗だとか、エキナカが魅力的だとか、ホームに待合室があるとか、駅設備が充実していることの方が重要ではないかと思っています。
 あ〜・・・駅設備もJR西日本は・・・。
 さて、今度は難波駅で先ほど岸和田を案内してくれた友人と再び合流し、美味しい天ぷらに舌鼓を打ち、今度は近鉄に乗って奈良へ向かいました。


 というわけで翌日。新大宮駅から西へ歩いていきますと(普通はバスを使うようですが)イトーヨーカドー奈良店があります。元々は経営破たんした奈良そごうとして建設されたもので、あの長屋王邸宅跡が発見され、貴重な木簡が数多く見つかるという大発見の舞台でした。惜しげもなく、こうなってしまうとは。今や、解説板で往時を偲ぶのみです。


 一方で、向かい側にある平城京左京三条二坊宮跡庭園は保存と整備が進行中。国の特別史跡・特別名勝に指定されています。長屋王邸宅跡の現状と比べると、その扱いの差は歴然・・・。


 さらに歩いて、平城京の中心であった平城宮跡へ。その中でも、まずは東南隅にある東院庭園を見学。


 それから、「法華寺」という文字が見えたので、一度平城宮跡を後にして北へ行き法華寺へ。光明宗の寺院で、奈良時代には日本の総国分尼寺とされた由緒あるお寺。聖武天皇の皇后である光明皇后が、藤原不比等の邸宅跡に造ったのを起源とします。写真の本堂は1601(慶長6)年、豊臣秀頼と淀殿の寄進によって再建されたもので国重要文化財。このほか、鐘楼と南門も国重要文化財です。


 再び平城宮跡に戻り遺構展示館へ。もちろん保存されている遺構のほか、現在復元工事中の第一次大極殿の模型などが展示されています。完成が待ち遠しいですね〜。


 こちらは復元された宮内省の建物。


 復元中の第1次大極殿を奥に臨んで撮影。平城宮跡はとにかく広大で、遺構を見て回るだけでも一苦労です。田んぼになっていたことが、良好な遺構の保存につながり、さらに敷地の買い取りも比較的容易だったようです。ちなみに今見ている平城宮跡は、あくまで宮殿や政庁があった部分のみのことで、平城京としての市街地全体は、東大寺などはもちろん、薬師寺なども含んでいたわけでして、なんとも広大な都市だったわけです。


 こちらは平城宮のシンボルとして以前から有名な朱雀門。


 残念ながら近鉄奈良線が平城宮跡の南側を横断しており、平城京の景観を大きく阻害していますが、撮影ポイントとしてはお勧め。写真は京都市営地下鉄10系平城遷都1300年祭ラッピング車両。無機質なステンレス車体より、遥かに良いですね〜。


 同じく近鉄奈良線を撮影。こちらは近鉄30000系。


 同じく近鉄奈良線を撮影。こちらは近鉄5800系。


 さらに今度は近鉄西ノ京駅へ行き、徒歩で唐招提寺へ。鑑真が開基した、律宗の総本山です。


 建築や所蔵品等に数多くの貴重な文化財が残りますが、やはり門をくぐると見える金堂(国宝) は奈良時代に建てられたもので必見。


 唐招提寺では未だに紅葉も綺麗でした。


 こちらは薬師寺へ行く途中の骨董店で露天販売されていた古銭の数々。寛永通宝が主体で、1枚100円とのこと。これだけ並べられていると、なかなか壮観ですね。3枚購入しました。


 さて薬師寺。5年前に弊サイトのスタッフである桜乃氏と訪問しましたが、天候が悪く満足な撮影ができなかったため、今度こそ!と再挑戦。写真の東塔は奈良時代(天平年間)の建築で、もちろん国宝。未だに我々に、その優美な姿を見せてくれるというのは凄い話。


 東塔、そして1981年に復元された西塔をバックに南門側から撮影。南門は1512(永正9)年の建築です。


 南門の向かい側には休岡八幡宮があります。社殿は1596(慶長元)年に豊臣秀頼の寄進で建築されたもので、国重要文化財。


 近鉄で鶴橋駅へ戻り、JR大阪環状線へ。関東では風前の灯である201系も、ここでは心行くまで堪能できます。車内に入ると新車同然なので、その点でノスタルジーは感じられませんが・・・(でも頼もしい限りです)。


 京橋駅で京阪電鉄に乗り換え、野江駅でしばらく撮影タイム。写真は2200系旧塗装。


 こちらは新鋭の3000系。


 8000系旧塗装。


 1000系新塗装。


 8000系新塗装。


 さらに中之島線へ行き、終点の中之島まで全線完乗。残念ながら、乗客の数は非常に少ないものでした。平日朝晩のラッシュ時は混むでしょうが、そうでなければ京橋方面から中之島へ用事がある人ってのも、それほど多いわけではないでしょう。せめて、大阪駅方向から直結していないと厳しい気がします。

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