2009年1月17日 川越の古い町並みを散策
本日は新秋津駅へ。ここから新小平駅方向に歩いていくと、こういうのがいるわけでございます。もし209系が中央線快速に投入されていたら、こんな感じだったんでしょうね。
側面方向幕は、御丁寧に「かいじ←→むさし野 訓練線内各駅停車」と掲示。
その隣には、配給車クモヤ143形がいました。
さて本日の主目的は、2004年7月以来の訪問となる川越へ。祖母の家から大した距離ではないので、ちょくちょく行こうと思ってはいたものの、いつの間にか4年以上が経過していました。というわけで、東武東上線に乗り換えるべく北朝霞駅で下車。ちなみに東武鉄道の駅は隣接しているにもかかわらず、朝霞台駅という名前。ちょっと紛らわしい。
川越駅に到着。観光地は少し離れているため、ループバスに乗り換えました。
まず向かったのが中院(正式には天台宗別格本山中院)。江戸時代初期、すぐ北にある喜多院に天海僧正が来るまでは、川越にある寺院の中心的存在だったようですが、今はひっそりとしています。ちなみに、ご覧のとおり狭山茶の発祥の地だそうで、ここから狭山茶の栽培が始まったそうです。
ところで、中院にあったこの赤い門。くぐる際に、見事にコケてしまったのですが・・・。
400年前の建物だ、と明治時代の埼玉県が特別保護建造物に指定したようです。しかし現地はもちろん、ネットで検索しても、この門に関する由来などの記述は見つかりませんでした。
続いて、仙波東照宮へ。「三大東照宮」(日光、久能山、仙波)の1つだそうで、もちろん徳川家康を祀っています。建築的にも、江戸時代の古建築が色々残っており、例えば写真の拝殿は1633(寛永10)年の建築です。
そして、これに隣接する喜多院へ。こちらも古建築好きには、たまらない寺院。写真の山門は1632(寛永9)年築。天海僧正が造らせたものです。
多宝塔は1639(寛永16)年の建築。
そして2004年に行った際には見落としてしまったのですが、ここを入ると江戸城紅葉山の客殿、書院などを移築した空間へ。そうです、なんと喜多院には江戸城の御殿(しかも徳川家光が使っていたもの)が現存しているのです。
内部は撮影禁止だったので、この程度の写真しか掲載できませんが、「徳川家光誕生の間」、「春日局化粧の間」があります。造りは頑丈そうでしたが、意外と絢爛豪華というわけではありませんでした。
そしてこれも、前回の訪問時には見落としたものですが、喜多院には五百羅漢というのがあります。
ご覧ください、この1体ずつ異なった表情。全部で538体が鎮座されているそうです。
なお、1782(天明2)年から1825(文政8)年にかけて造られていったそうです。
始皇帝の兵馬俑の仏教バージョンではありませんが、これは本当にリアルにしてコミカルで凄いものでした。
それにしても、よく造ったものです。
表情だけでなく、姿勢はもちろん所持品なども異なっています。
今にも声が聞こえてきそうですね。
続いて成田山川越別院を通り・・・。
日本聖公会川越キリスト教会礼拝堂(1921(昭和10)年築)を見て・・・。
川越商工会議所(旧・武州銀行/1927(昭和2)年築)を見ます。川越は洋風建築も見所の1つだったりします。
そしていよいよ、あの重厚な蔵の町並みを見学していきます。
といった瞬間にまた洋風建築。いつ頃の建築かは私にはわかりませんでしたが、入居する店舗は時代と共に変化しながらも、大事に保存されているようです。特に右手の洋風建築、2004年に訪問したときには人力車の休憩スペースみたいになってたのですが、今は歯医者さんになっており、非常に綺麗に修復されていました。
玄関上の飾りなども非常に美しいものです。
まだ洋風建築が続きますが(笑)、こちらは埼玉りそな銀行川越支店(旧・八十五銀行本店本館)。1918年(大正7)年の建築で、川越の中でも代表的な建築です。
そして、こちらも川越を代表する風景の1つ「時の鐘」。元々は寛永年間(1624年〜44年)、川越城主酒井忠勝が、城下多賀町 (いまの幸町)に建てたもので、現在のものは1893(明治26)年の川越大火による焼失後に再建されました。現在でも、1日4回(午前6時・正午・午後3時・午後6時)に鳴っています。起床、昼ご飯、おやつ、仕事終わり、という時間帯ですね。
これも川越を代表する景観ですね。防火対策の結果、これだけ重厚になった建物が連なっている姿は圧巻です。
写真左側は重要文化財の大澤家住宅。
町並みに脇には寺院がいくつかあります。こちらは曹洞宗の養寿院。
最後に、おびんづる様をなでてまいりました。
そして今度は東武東上線の川越市駅へ。
これまで、あまり東武東上線の車両を撮影していなかったので、ちょっと日も暮れてきましたが、じっくり撮影することにしました。まずは東武鉄道9000系。
そして「何となく」和光市駅へ。こちらは西武鉄道6000系。
試運転中の東京メトロ7000系。
今度は朝霞台駅へ。東武鉄道50000系トップナンバー編成。50000系の中でも唯一、貫通扉を装備していません。
東京メトロ有楽町線、副都心線乗り入れ対応の50000系(50070系)。
こちらは通常の東上線用50000系。
東武鉄道8000系。
こちらは有楽町線用の東京メトロ7000系。登場時からの黄色いラインカラーが特徴ですが、10000系増備による引退や、副都心線との共通化に伴うラインカラー変更も増えており、どうもこの姿は減少傾向のようです。
・・・と思っていたら、反対方向からも。
最後に、高架化されたJR中央線の国立駅下りホームを見てまいりました。