2009年3月8日 碓氷峠を初訪問する


 毎度お馴染み(?)フリーライターの吉田一紀さんに誘われて、秋間森林鉄道の全線開通式に参加してまいりました。
 ・・・はて、秋間森林鉄道?という方も非常に多いとおもいますが、これはプロのピアニストである國谷尊之さんが群馬県の自宅に敷設された5インチの鉄道模型! 車両も手作りにしてデザインもオリジナルのもので、基本的にはホームセンターなどで簡単に手に入るものを創意工夫で組み合わせて完成。人が上に乗って運転することが可能です。
 では、これについては後ほどたっぷりとご紹介することにしまして、本日の行程を順を追って御紹介。

 高崎駅で吉田さんと合流することにしたため、通常であれば休日の住居である日野から、武蔵野線→埼京線→高崎線ルートを選択するところですが、弊サイトのスタッフであるdaikitiさんが、旅行記の中で八高線を全線乗られている記事を思い出し、「そういえば、私は全線完乗していなかったなあ」と。
 ならば乗るしかないでしょう、というわけで八王子駅へ。まずは「おかげさまで100周年横浜線」ヘッドマークをつけた205系横浜線を撮影。

 そして八高線に乗車。こちらも205系です。

 八王子と高崎を結ぶから「八高線」という路線名ですが、現在は高麗川駅で完全に系統が分断されており、205系電車は高麗川駅から川越線へ直通して川越駅へ、一方で高麗川駅から高崎駅へは上写真のキハ110系が使用されています。

 キハ110系車内の様子。1人掛けクロスシートも存在しています。

 さて、高崎駅に着くと上信電鉄ホームに500形「銀河鉄道999」ラッピング車両が。2008年10月19日より運行を開始したもので、上信電鉄活性化につながることを願ってやみません。さて、ここで吉田一紀さんと合流し、某駅へ行きます。そして、吉田さんの本である「モハようございます」の本の中で、分岐器の魅力についてご紹介されたレイルエンヂニアリングというホームページの管理人でありますoomatipalk さんが迎えに来てくださり、しかも素晴らしきクラシックカーにまで乗せていただいて、國谷先生の自宅へ向かいます。
 ・・・というわけで、1枚目の写真につながります(笑)。

 どんな感じで運行されているのかについては、吉田さんのブログhttp://mohayo.blog50.fc2.com/で動画で紹介されていますので、ぜひそちらを御覧ください。スムーズな運転を行うためには、これが意外と良い意味でテクニックがいるもので、そこがまた何とも素晴らしい。Nゲージの運転ももちろん楽しいですが、こうやってアウトドアで自らが車両を動かすというのは、また違った面白さがあるものです。まして、車両も含めて全て自作ですから、愛着も益々湧きますね。

 また配線も一工夫されており、例えばスプリングポイントも設置されており、単純な環状運転ではないのが益々素敵です。

 家の裏にも線路が広がっています。運転すると建物が間近に感じられるため、結構なスピード感が出てきます。また、平坦に見えて意外と起伏に富んでいるため、スピードの出しすぎには要注意。またカーブも勢いよく突っ込むと、脱線します。それを上手く、スムーズに運転するのが、腕の見せ所。
 貴重な経験をさせていただきました國谷先生に深く御礼申し上げます。有難うございました!
 また、今回は吉田さん以外とは初対面でしたが、皆様気さくに話してくださり、とても楽しかったです〜。・・・と、書くとこれで今日は終わり、見たいな感じですが、引き続きみんなである場所へ向かいます。

 そう、なんと国指定重要文化財、碓氷第三橋梁です。これは長野新幹線開通に伴い廃止になった、JR信越本線の横川〜軽井沢間が、旧線時代の明治26年から昭和38年まで使用していた橋梁。碓氷峠は急勾配のため、当時はドイツの山岳鉄道などで採用されていたアプト式による線路を使用していたのですが、そのときの橋梁がコレです。
 200万個以上のレンガを使用した、日本最大のレンガ造アーチ橋。う〜ん、美しい!

 しかし、近づいてみるとこのように落書きが「彫られて」います。もはや消し去ることは出来ず、まさに写真真ん中に自らが彫ったように「アホ」な行為として、後世に伝えざるを得ないのでしょうか。もうこれ以上増えないことを祈るばかりですけど、こういう行為を行うことに喜びを感じる人間はどうしても無くならないでしょうから・・・。

 橋梁の上は歩くことが出来ます。正確には、横川駅方面からここまで旧線の上を歩くことが出来まして、ここから写真反対方向の軽井沢方面は歩くことが出来ません。途中までですが、みんなで歩くことにしました。

 橋梁からの風景。結構な高さで、高所恐怖症の方にはちょっと怖いかも。

 そして反対を向くと、今度は信越本線の新線が。新線と言っても、前述の通り新幹線開業で廃止になっていますが、今も架線柱と架線が残っており、廃線とは思えません。EF63形重連+189系特急「あさま」が走ってきそうです。

 では、トンネルの中に入ってみましょう。明治時代の建築ですが、見事な形状です。江戸時代から文明開化、明治の時代になって、直ぐにこうした技術に対応した、当時の諸先輩方の土木技術には驚くほかはありません。

 保線の方々の安全のため、こうした列車退避設備も短い間隔で多数設置されています。

 さて、何だかんだで結構先まで進みますが、御覧のように意外と勾配がキツイ。これを通常の鉄道車両が単体で上っていくのは、昔の車両では大変だったわけで、アプト式を採用したのは当然でしょう。

 で・・・我々は先へ進み、すなわち写真とは反対方向へ下っていっているわけですが・・・。

 途中で線路跡とお別れして、坂本ダムによる人造湖、碓氷湖を見学。そして、先ほどの線路跡に再び戻り、今度はもちろん、上っていくことになります。

 ところで、再び碓氷第三橋梁を渡って下へ行くと、カマド跡がありました。ネットで調べてみると、
http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2008/08/post_844.html
 という記事を発見。ここで書くより、リンク先を見ていただくほうが解りやすいので省略しますが、いやはや、こうした何気ない物体にも色々な歴史があるものです。さて、ここで國谷先生と國谷先生のご友人の皆様(ちなみに全員ピアノの先生)と非常に名残惜しいですがお別れ。吉田さんとoomatipalk さんと共に横川駅へ向かいます。

 その途中で、oomatipalk さんが「碓氷峠の森交流館 峠の湯」に案内してくださいました。と言っても、温泉に入るわけではありません。ここは、このように信越本線の旧線跡と・・・。

 「碓氷峠鉄道文化むら」から信越本線の新線跡を経由してやってくるトロッコ列車の終点と・・・。

 信越本線の新線跡、この3つを堪能することが出来ます。写真奥は、先ほどのトロッコ列車が使用しているとは言え、本当に現役さながらの風景!!

 それから「峠の湯」の近くではEF63形が1両保存されていました。
 ただ、盗まれてしまったのかナンバープレートがありません。

 そして車で旧中山道の坂本宿跡と・・・。

 同じく旧中山道の碓氷関所跡を通過して、JR横川駅へ着きます。

 着いた時間が少し遅かったので「無理かな?」と思っていましたが、碓氷峠鉄道文化むらに入ることが出来たので、高崎行きの列車が来るまで吉田さんたちと大急ぎで探訪。私の場合、2005年にデュークさん、ムスタファさんと行って以来なので懐かしい〜。そして、189系国鉄色「あさま」の姿がまた美しい。しっかり手入れされているようでした。

 今回の訪問でぜひ見ておきたかったのは、2005年に訪問したときに横川駅の脇で無残に放置されていたEF63+189系。不幸中の幸いで、EF63と、189系の9両のうち2両が後に、碓氷峠鉄道文化むらに搬入されて・・・。

 このように美しく・・・う、う〜ん・・・。
 残念ながら活用されている雰囲気もありませんでしたが、また塗装の剥離が著しくなったときには、再塗装してくださるものと信じております。さて、ここでoomatipalk さんとはお別れ。線路関係の話は私には全く未知のゾーンでして、非常に勉強になりました。しかも、お話も非常に上手で・・・。どうも有難うございました〜。

 で、今度こそ今日の旅は終わりかと思いきや、吉田さんと共に引き続き上信電鉄に乗るという、翌日の仕事のことを考えない無謀な行為に出ます。さすがに下仁田までは行きませんでしたが、吉井駅まで行き・・・。

 魅力的な駅に降りる間もなくやってきた対向列車に乗り込んで、高崎駅まで戻るという見事な乗り鉄を敢行。そして高崎駅前を放浪し、偶然入ったお店で特盛りラーメンと勘違いして、特盛りの豚丼を飽きるほど食べる羽目になり・・・。今度こそ、長い1日が終わりました。吉田さん、お疲れ様でした。
 ・・・それにしても、密度の濃い一日でした。

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