2009年4月19日・20日 明知鉄道・ガイドウェイバス・長良川鉄道に乗車する
ある意味で2月の北京旅行以来、久しぶりに本格的な旅行に出かけてまいりました。ダイジェスト版にするはずが、書きたいことだらけで長くなりますが、お付き合いくださいませ。さてさて・・・、事の発端はプロのピアニストで自宅に敷設された秋間森林鉄道の社長、國谷尊之さんより「(岐阜県の)明知鉄道で「アケチのお花見大作戦」なるイベントが開催されるらしいので、参加しませんか?」と・・・お誘いを受けた事に始まります。
何でも『おつまみ同好会』さんというサークルが主催されるイベントで、鉄道アーティストの小倉沙耶さんを招いてのイベントだとか。明知鉄道には乗った事も見た事もないし、小倉沙耶さんにもフリーライターの吉田一紀さん経由で、間接的には存じ上げている方なので、一度はご挨拶をせねば!と、即座に頭が回転し、即答でYESと回答いたしました。
さて、明知鉄道と接続するJR恵那駅までどうやっていくか・・・まあ、東海道新幹線経由が妥当かな?と思いつつも、出発直前になってダイヤを調べてみると、休日の住居である日野駅からだと、中央本線(中央東線・中央西線)でも所要時間は大きくは変わらず、しかも運賃が安い!
というわけで、初めて塩尻駅で下車。荷物電車を改造したクモハ123−1とも初の対面。
御覧ください、これが本当のロングシートです!!
ちなみにこの日、115系を使用した臨時快速「高遠さくらまつり号」が松本〜伊那北で運転。高遠の桜も宣伝で見る限り凄い規模のようで、来年は行って見たいですね。
そして、特急「しなの」に乗りl込み、長野経由でやってこられた國谷尊之さんと合流し、ワイワイ話しながら先へ進みます。
そして、恵那駅で『おつまみ同好会』さんの受付を済ませて、明知鉄道へ乗車。我々が乗る事になったのは、最古参の車両であるアケチ6形です。
恥ずかしがりやの所長さんは、なかなか他の方々とは話す機会が持てず、車窓を眺めるのに専念します。なんとも、のんびりとした雰囲気で、民家もまばら。・・・景色は抜群なれど、これでは乗客数アップは至難の業のような・・・。
そして終点の明智駅へ。ミニ・小倉さん撮影会のような雰囲気もある中、アケチ6形の撮影に励む所長でした。
・・・スミマセン。
こちらが明智駅。正面のポストはレトロな丸型ポストで、珍しく「日本郵便」と無粋なシールが貼られていませんでした。このタイプのポストにまで、日本郵便のシールを貼らなくてもいいと思うんですけどね。
駅前に停車中のバスは、東濃鉄道のバス。國谷さんも私も東濃鉄道??状態。
調べてみますと、どうやら笠原線、駄知線の2つの鉄道路線をかつて持っていたそうで、旅客輸送は昭和49年の駄知線を最後に、貨物輸送は昭和53年の笠原線を最後に鉄道事業から撤退したとか。
さて話を戻して、送迎バスで串原村のくしはら温泉 ささゆりの湯へ。
そして明智駅へ戻り、僅か30分の自由時間で明智の町並みを散策。何と言ってもここは、日本大正村と自称するほどの古建築の宝庫。駅からまっすぐ行った場所にある八王子神社は1676(延宝4)年に領主の遠山伊次によって建立されたもの。
さらに写真左側の柿本人麻呂神社は、この地で生誕したとも言われる明智光秀の手によるものだそうです。光秀の生誕地は、実は良くわかっていないようで、有力な説としては可児市明智の生まれではないかといわれています。ただ、こちらの恵那市明智町でも、明智光秀生誕の地であるとPRしています。
江戸時代に遠山氏が使用した明知陣屋跡。
遺構はあまり残っていませんが、代々代官を務めた村上氏宅と土蔵が今も残っています。
・・・と、あまり「日本大正村」と時代的には関係の無いものを先に紹介してしまいましたが、こちらは旧明知町役場。 明治39年に建てられた瓦葺の寄棟造り木造2階建ての建物です。
こちらは大正路地。明治末期と大正時代に年貢米を納めた米倉と、江戸時代から続いた呉服問屋の蔵が並ぶ昔ながらの路地です。・・・このほか色々あったようですが、さすがに30分ではこのぐらいが限界。また行くことにしましょう。
そして再び明知鉄道へ。車内では小倉さんのミニライブがあり、その後で國谷さんと共に、ようやく僅かながら御挨拶をさせていただきました。向こうは多少、こちらをご存知だったようで大変恐縮です。で・・・恵那駅で再び小倉さん撮影会状態でしたが、小倉さんは多くのカメラを前に、全てのカメラが小倉さんを正面から撮影できるよう、目線や体の角度を絶妙なタイミングで変え本当にプロの仕事だと心から尊敬しました。
さて、私と國谷さんと旅行はまだ終わりません。恵那駅の南側は、かつての中山道大井宿。当時の面影を残しているということで、いそいそと観光に励みます。上写真は本陣の表門。
大井宿の古い町並み。
さらに313系快速「セントラルライナー」に初乗車。
非常に快適だった車内。ある意味、これが現代の急行列車だ!と一人で勝手に興奮。
ところで、ここだけでしたが、車両番号のフォントがこんなユニークなものに。誰が選んだフォントでしょう。
そして高蔵寺で愛知環状鉄道に乗り換え。313系をベースに製造された2000系を撮影します。
その2000系の中でも、最近登場した2両編成×2本は、帯を青+白とし、車内をセミクロスシートからオールロングシートにしたもの。難なく撮影する事が出来ました。・・・嬉しい(笑)。
さらに瀬戸市駅で、名古屋鉄道瀬戸線の新瀬戸駅へ乗り換え。
さらにさらに・・・守山自衛隊駅前から、ちょっとだけ歩いてガイドウェイバス「ゆとりーとライン」に初乗車。
これは今まで、完全に私の認識不足でしたが、結構スピードを出してくれます。
またアップダウンがあって結構楽しい。高速道路の上も超えていきます。
ガイドウェイ区間の小幡緑地の1つ先で下車しました。バスは引き続き一般道路経由で高蔵寺駅まで直通していきます。
そして再びガイドウェイバスに乗り込み、今度は起点の大曽根駅まで向かいます。ちなみに、バスの前面左上にご注目。先ほど乗車したバスは名鉄のバスですが、こちらはJR東海のバスです。ここでは両社とも、同じ路線を使っているわけで・・・。
さて、本来はまだ引き続き乗り鉄の計画もあったのですが、さすがに疲れてきたので、これにて打ち切り。JR中央線で名古屋駅に出て、駅地下街で和歌山ラーメン、さらにJR東海道本線で岐阜駅へ出て駅ビルの中で喫茶店という流れへ。楽しい時間というのはあっという間に終わるもので、これにて解散。國谷さん、どうも有り難うございました。
さて、翌日は國谷さんは岐阜でお仕事。一方の私は仕事を休み、引き続き観光。・・・しかし、昨日の疲れが多少。う〜む、年々旅行の疲れがモロに蓄積するようになっています。では、まずは名鉄岐阜駅を撮影。もはや路面電車の姿はありません。
整備がだいたい終わってきたJR岐阜駅。かなりお金かかってますね〜。この建設費で路面電車支援をしたほうが、公共交通政策としては大きい効果が得られたと思います。
さて、まずはJR高山本線に乗って美濃太田駅で下車。写真ではわかりにくいですが、キハ40系4両編成でした。やはり、少しでも車両が多い方が迫力があります。
すっかり現代的な雰囲気になっている美濃太田駅。
そしてここから、長良川鉄道に乗り美濃市駅へ向かいます。沿線の関とか郡上八幡とか、観光したいところが多数・・・。また次回にぜひ行ってみたいものですが、今回は美濃市だけ。乗車したのは最新型のナガラ5形。列車は幸いにも、座席が全て埋まるほど盛況でした。
昨日は夜9時30分に寝て、朝7時30分に起きるという大量の睡眠時間を確保したにもかかわらず、あっという間に寝てしまい・・・目が覚めたら目的地の美濃市駅でした。大慌てで下車します。それにしても、のどかな雰囲気に驚き。
駅舎もシンプルで素敵です。周りの風景も最高じゃないですか。
さて、駅前の大きな通りをまっすぐ歩いていくと、旧名鉄美濃駅が。これは1999(平成11)年に末端区間が廃止になった名古屋鉄道美濃町線の終着駅(今では路線全部が消えましたが)。幸いにも1911(明治44)年、美濃電気軌道開通時に建設され、90年間にわたって親しまれてきた駅舎が保存されています。
さらにここには、旧ホームにモ510形512号、モ600形601号、モ590形593号、モ870形876号(カットボディ)が静態保存。まるで、今にも動き出しそうな美しさです。
そして先に進むと、美濃市の「うだつ」のある古い町並みが見えてきます。今でも数多くの古建築が残っており、江戸時代から使われている建物も珍しくありません。
電柱も無く、空も広々としていますね。
面白かったのがこちら。1876(明治9)年に建てられた旧有知小学校の本館を、宝勝院という寺の庫裏として移築したもの。逆パターンはあるような気がしますが、小学校→寺という転用の方法は珍しい気がします。しかも、洋風建築。
交差点に面し、大変立派な構造の武藤家住宅。
そして長良川鉄道へ戻り、ナガラ2形に乗って再び美濃太田駅へ向かいます。
さらば美濃市駅〜。
途中の関駅では、開業時に登場したナガラ1形がいました。
さて、美濃太田駅前のホテルでレンタサイクルを借り、周辺を散策。ここは中山道太田宿があったところで、現在でもこのように脇本陣林家住宅(国重要文化財)や・・・。
太田宿本陣門(美濃加茂市指定有形文化財)などが残っています。
さらに自転車を延々と走らせ、太多線の美濃川合駅近くまで行くと美濃太田車両区がありました。ここにはJR東海の歴史的な車両たちが数多く放置・・・されていたのが、さすがに正式な保存先が決まったので、腐食が進まないようシートで全て覆われていました。
正直、かなり自転車で走った割には・・・だったのでショックではありましたが(でも有難いことです)、折角なので近くで少し撮影。上写真高山本線へのキハ40系回送列車。
そして高山本線に乗り鵜沼駅で下車。名鉄の新鵜沼駅と接続していますが、これには乗らずに犬山橋を徒歩で渡り撮影。まずは6500系。
こちらは1000系+1200系。今見てもこの1000系のパノラマ構造は迫力があります。
それから先日廃止になった犬山モノレール跡を見学。引き続き徒歩にて、旧動物園駅へ向かいます。
日本モンキーパークにて1600円の入場料を払って中へ行き、旧動物園駅へ。2両だけ旧塗装に復元されてMRM100系が保存されていました。跡の車両も、写真後方にてこれからの処遇を待っているようです。
さて、お金を払ったんですから日本モンキーパークもしっかりと見学。こちらはボリビアリスザル。南米のブラジルやペルーなどに生息しています。・・・こんなに近くで撮影できるとは!
こちらはマダガスカル島東部に生息する、エリマキキツネザル。父親も子育てに積極的なのが特徴だそうですよ。
こちらはアフリカ中部〜西部に生息するパタスモンキー。・・・などなど、類人猿にいかに多様な種類があるかを、まざまざと感じる事の出来る充実の展示内容でした。
そしてバスで犬山駅に行き、さらに徒歩で犬山城へ行ったところ、もう閉門時間でした。悔しいので長良川を渡り、岐阜県側より美しい姿を撮影しました。・・・ウットリ。
というわけで、名鉄新鵜沼駅まで徒歩で行くという、なんとも本日の後半戦は歩いてばかりの行程。6500系後期型に乗車し、一気に名鉄名古屋駅まで向かい、さすがに寄り道せず新幹線で帰宅。