2009年8月15日 国鉄色になったキハ30形と国立民俗歴史博物館
コミケ出展のために我が家に宿泊に来た桜乃所員を大井町で見送り、私といえば品川へ。「ムーンライトながら」用189系が回送されていたので撮影。そういや、もうじき成田エクスプレスの一部に新型のE259系が投入されますが、余剰となった253系が「ながら」に回ったり・・・なんてことは・・・??
そして総武・横須賀快速線に乗り換えて千葉へ。さあ、113系をバンバン撮影するぞ・・・と意気込むも、逆光。反対側はホーム端すれすれに停車しているので、撮影しづらく・・・。それにしても、あまり千葉に行かないので気がつきませんでしたが、まだこんな長編成の113系がバンバン活躍していたんですね。
E257系特急「あやめ」。やはりLEDのトレインマークは見づらい・・・。
そして、本日はデュークさんと合流して木更津へ。お目当てはもちろん、国鉄色に復元されたキハ30形!! 本日は運用に就いていないようで、さてどう写真を撮るべきかと悩みましたが・・・。
実際には公道上から車庫がよくみえるため、こちらのキハ30+37+38という久留里線オール形式の編成もバッチリ撮影。
そして・・・う〜ん、素晴らしい!!
往時を知る方には前面強化板が邪魔かもしれませんし、久留里線というステッカーでごまかされた(?)行先方向幕が多少残念ではありますが、ピカピカの国鉄色ツートンカラーはたまりません。
キハ38形との並び。
こちらは運用中のキハ37形。
もう1両のキハ30形は、木更津駅構内の隅のほうにいました。
君津行きの113系。
E257系特急「さざなみ」。LEDでイラストを描いてはいますが、全く見えません。
それから五井駅に行き、小港鉄道の車両を構内より撮影。久しぶりに乗りたい気はしますが・・・。
本日はこちらを優先。千葉県佐倉市にある佐倉城へ。石垣を使わない城なので、このような不思議な(?)感じです。
そして、この佐倉城内にあるのが国立歴史民俗博物館。2006年12月に訪問して以来、久しぶりです。前回は閉館1時間前に来るという無謀なことを行ったため、ものすごい超特急で見学。お陰で超絶に消化不良でした。今回は・・・デュークさんの都合上、約2時間での見学。うむ、これならしっかり見られる・・・わけは無いです。やはり、せめて午後いっぱいは必要そう。
国立民俗歴史博物館の魅力は、日本史を通史で紹介。しかも、全国の博物館に収蔵されている文化財のレプリカを大量に展示している上に、このようにジオラマを多数展示。視覚的に当時の雰囲気を勉強することが出来ます。上写真は三内丸山遺跡。
兵庫県神戸市で発掘された銅鐸2種類(一番左は本物)と、完成したときの銅鐸(右)。・・・と、ここでデジカメの電池残量がほぼ限界に達したため、デュークさんに撮影を任せつつ、たまに復活したときに私は撮影。
「漢委奴国王」でお馴染み金印(デュークさん撮影)。原品は福岡市博物館で展示されています。
卑弥呼の墓と考える研究者もいる奈良県桜井市の箸墓古墳模型。
このように築造時の姿と、現在の姿の双方を半分ずつ再現しています。学校の授業でも、こういう教え方をしてくれないものか。ただ教科書を読ませて、黒板に語句を並べるだけでは実感が全くわかないのですが、社会化の先生たちは、それが解っているのかなあ。と、文句を言うだけでは仕方が無いので、弊サイトではこれからもビジュアルな歴史コーナーを作り続けます。
こちらは平城京復元模型。如何せん、デジカメの電池残量が厳しい上に、だんだん滞在時間もやばいので、今回はジオラマをメインに撮影しております、スミマセン。
鎌倉時代初期の鎌倉の全景(デュークさん撮影)。こんなに防御に優れた場所に幕府を置いたわけですが、それでも滅亡するときは滅亡してしまう、というのは歴史が示している通り。防衛の着眼点は良かったんだとは思いますが・・・。しかし、どんな政治を行ったにせよ、町がこれでは発展出来ないですね。
戦国時代の京都の町並みを復元した模型(デュークさん撮影)。当時は瓦葺ではなくて、板葺きの町屋が多かったんですね。
江戸時代後期の輸出品。ですから、こうやって現物を見ると、何を輸出したのか直ぐに覚えられます。
そして、今でも赤レンガ倉庫が残っている横浜の様子。写真中央、今は基礎部分だけが残っているレンガ造りの洋館が見えます。・・・というわけで、これにてタイムアップ。二人揃って消化不良。も、もう一度行かないと・・・。よくよく考えれば、ホリデーパスを使えば2300円で行って帰ってこれるんですから、ちょくちょく行けば良いわけです。アレだけ前回、消化不良な気分を味わったというのに、どうして2年以上行かなかったのか・・・。
さて、東京駅前に出ると東京中央郵便局が絶賛工事中。デジカメが何とか復活したので現況を撮影します。ご覧のとおり、コーナー部分が見事にぶっ壊されて、内部へ工事用車両が入りやすいようになっています。このビル、マスコミや文化人も含めて、今度は逆に「鳩山憎し」と言わんばかりに、鳩山総務大臣(当時)の保存命令への対応を批判しましたが、戦前、1931(昭和6) 年に吉田鉄郎の設計で建てられた貴重な文化財。
そして、現代的なビルの先駆けといえる物件であり、当初は大半をぶっ壊して一部をレプリカで再現しようとした日本郵政の方こそ、個人的には信じられない見解でした。とは言え、黒ずんでボロボロになった建築を興味の無い方が見ても、ただの汚いビルにしか見えないのは、仕方の無いことなのでしょうか。いずれにせよ、この件に関しては鳩山総務大臣(当時)のお陰で、保存箇所が大きく広がってよかったです。
一方、その直ぐ近くでも戦前に建てられたビルがありました。1928(昭和3)年に建てられた丸の内八重洲ビル。再開発で取り壊されてしまい、なんとも残念でしたが・・・。
また微妙な形ではございますが、下層部の石造りの部分はおそらくそのまま移築でしょうか。特徴的な尖塔の部分は再び再現が行われておりました。こちらは全く復元を期待していなかっただけに、ちょっと嬉しい。
そして再開発の目玉であった、三菱1号館の復元。美術館としてこれから活用するそうですが、これは想像以上に美しい。惜しむらくは、ちょっと木が邪魔なような・・・。いずれにせよ、これから復元される東京駅、三菱1号館、それから旧司法省と共に、東京駅周辺の赤レンガ建築として、良い観光名所になりそうです。
・・・これにて、完全にデジカメの電池がダウン。意外と最後まで活躍してくれたことに感謝!