2009年11月28日 新潟経由で会津&只見線へ
27日(金)夜、裏辺所長は新宿駅にいた!。そして、見上げた電光表示板に表示された湘南新宿ラインの快速新潟行きとは・・・?
もちろんこちらのこと。臨時にはなってしまいましたが、今も健在の485系快速「ムーンライトえちご」。これで新潟を目指します。てなわけで、今週もお出かけ。ちなみに来週もお出かけ。再来週もお出かけ。ああ、何とでも言うが良いさ。自分でもバカだろとは認識してますんで・・・。
と・・・その前に、253系特急「成田エクスプレス」との顔合わせを撮影。
そして高崎駅でしばらく停車するため、続いて上野からやってきた489系急行「能登」を撮影。かつて「ムーンライトえちご」に乗り遅れ、急きょ行先を富山に変更し、この急行「能登」に乗車。ところが高崎にて「あ、両列車は高崎で接続していたんだ」と気がついたときのショックがよみがえって来ます。
ちなみに意外にも「ムーンライトえちご」は初めての乗車です。
続いて今度は長岡駅にて「ムーンライトえちご」を撮影。ハイ、要するに・・・眠れないわけです。
そして目的地の新潟に到着。まだ午前5時前・・・何をすればよいのやら・・・。
隣のホームには快速「村上」行きが停車中。これに乗って秋田方面に向かうのも手ですが・・・。
それから弥彦線用の115系もいたので、初めて撮影。
意外とやることのある午前5時。今度やってきた115系の行先は・・・あらら、編成の真ん中で切り離しですか?
そして午前7時。本日の目的である寝台特急「思い出のつるぎ」号を撮影。
前も後ろも往年のトレインマーク(ヘッドマーク)が準備されています。側面は「臨時」表示でしたが・・・。
さて、実質的に本日のメインイベントは終わってしまいましたが、「土日きっぷ」を使っているため、まさか東京に帰るのは勿体無い。とりあえず磐越西線に乗って米沢に向かうことにします。と、その前に新津駅にて途中下車。まずは回送前のSLばんえつ物語を撮影します。
運転に向けてスタンバイ中のC57 180号機。普段、意外にも動態保存されている蒸気機関車は撮影する機会に恵まれない私ですが、今月は同じ機関車を含めて3回撮ることになりました。
そして583系による急行「きたぐに」を撮影。塗装こそ国鉄色より変わっていますが、グリーン車つきの長大編成は見ていて惚れ惚れします。ていうか、この塗装も非常に好き。
新津駅の自由連絡通路よりC57 150号機を上から撮影。
そして新津運輸区に停泊中の車両群。キハ58系国鉄色、キハ52形国鉄色、キハ40形国鉄色などもいます。ちなみに転車台の辺りにはキハ52形新潟色も多数現存。さて、これからどうするのでしょうか・・・?
こちらが新津駅の駅舎。2003(平成15)年に改築されたもので、戦前の駅舎が消えてしまったことは残念ですが、随分と立派なものになったのは間違いありません。ひっそりとした駅前の雰囲気とのギャップが・・・。
ところで新津は新潟市との合併と政令指定都市化を経て、現在は新潟市秋葉区に。旧市町村名を使わないのは、新市の一体感を損なうという配慮なのでしょうが、う〜ん釈然としないものが・・・。
そんな思いはさておきまして、磐越西線の快速「あがの」に乗車。先頭がキハ110系、後ろ2両がキハE120系2両の3両編成。
磐越西線のうち、新津〜喜多方間は未乗車。あいにくの天気ではありましたが、阿賀野川に沿って走る光景を堪能しました。
約2時間をかけて会津若松に到着。キハE120系、格好良いですね。ステンレス車体の車両でも、ラッピング面積の拡大によって非常に明るい雰囲気になるという、良い見本です。
さて、次の列車まで時間があるため、私のワガママで飯盛山へ。ここにある通称「さざえ堂」こと、旧正宗寺三匝堂を是非見ておきたかった次第(三匝とは、「そう」と読みます)。1796(寛政8)年、現在は存在しない正宗寺の仏堂として郁堂(いくどう)和尚が建立したもの。正宗寺は明治初期の廃仏毀釈で無くなりましたが、この「さざえ堂」は個人の所有として存続しました。
六角3層、高さ16mの「さざえ堂」の中は、二重らせん構造の通路によって構成され、階段が無く、一方通行にて昇降別々で建物の中を上下するという構造。
ずっとこんな感じで上へ行き、そして下っていきます。入り口と出口は当然のことながら別です。同種の建物は他にも各地に現存していますが、こんな二重らせん構造になっているのは唯一の例。近代の建築以前に、この二重らせん構造を採用したものは、フランスのロワール地方にあるシャンボール城内部にて、レオナルド・ダ・ヴィンチが設計したものなど少数。いやはや、面白い。
ちなみに、二重らせん構造までは採用しないけど、同じようにグルグル回りながら参拝する「さざえ堂」は江戸時代にヒットした形式で、全国にいくつか現存。この形式の建物は、三十三観音や百観音などが配置され、堂内を進むだけで巡礼が叶う仕組みになっています。会津の「さざえ堂」の場合、明治になるまでは西国三十三観音を安置していましたが、その後は皇朝二十四孝(会津藩道徳教本)の絵額を掲げています。
続いて幕末の会津戦争の折、官軍との戦いで「城が燃えている!」と市中の戦災を誤認した白虎隊の二番隊20名が自刃した(1名は一命を取り留めた)場所を見学。そこから見る会津若松城は、カメラのズームで撮影するとこんな感じですが・・・。
実際にはこんな感じ。これでは城の近くが激しく燃えていれば、城が落城したと誤認するのは無理からぬことです。新しい世を迎えることなく、志半ばで散った若者たちのことを考えると、涙せずにはいられませんね。
それでは歴史紀行は終わり、再び会津若松駅へ。今度は只見線に乗車しますが、途中の西若松までは会津鉄道のキハ8500系「AIZUマウントエクスプレス」による快速列車に乗車。
西若松駅は2005(平成17)年9月に改築され、城郭風の橋上駅舎となっています。う〜ん、立派!
そして只見線の列車が入線。キハ40系による2両編成です。
列車本数が非常に少ない只見線。会津若松駅より約40分の会津坂下駅までは住宅も乗客も、そこそこ多かったのですが、ここを過ぎるとホラこの通り。
会津檜原駅。只見線で驚くべきは、特に福島県側の駅舎の大半は待合室レベルであっても、きちんと改築されていたこと。現在でも工事は進められており、JR東日本は只見線の活性化にかなりの資金を投入しています。
会津宮下駅にて。各地で運転停車することもあり、撮影者には有り難い・・・。ちなみに、この会津宮下駅も大規模に工事中。
平戸駅。冬場でも列車を安心して待てるよう、こちらも改築されたばかりといった感じでした。周辺整備も引き続き進行するようです。
JAと郵便局がくっついた会津川口駅。これまた立派な駅舎ですね。
会津若松行きの列車と行き違い。
そして・・・線名の由来となったた只見駅。辺りが暗くなり、そして非常に広い駅構内にホーム1つという雰囲気がたまりません。
次の駅が田子倉駅。見てお分かりの通り、スノーシェルターに覆われたホームが特徴。で、あるにもかかわらず(?)12月〜3月は休業するという駅で、駅の周りには民家も無く、停車する列車も1日3往復。まさに秘境駅です。
終点の小出駅に到着。会津若松を13時08分に出た列車は、17時42分に小出に到着したのでした・・・。
そして長岡まで行き、帰宅しました。