2009年11月29日 茶色い山手線と「ひたちなか海浜鉄道」
で、翌日。まずは神田駅へ。偶然にも山手線命名100周年記念ラッピング電車がやってきたので撮影。明治の広告はともかく、前面も完全に茶色くしてくれれば、よりレトロっぽかったと思うのですが、しかしインパクトは抜群ですね。
そして上野駅へ。常磐線のE653系特急「フレッシュひたち」に乗車して勝田駅へ向かいます。普段、常磐線を利用することが少ないので、実は特急「スーパーひたち」も「フレッシュひたち」も乗ったことがありません。・・・と思っていたのですが、昔の撮影雑記を見返してみると、2006年12月に水戸〜石岡という短い区間で、「フレッシュひたち」には乗ってました。
勝田駅では、ひたちなか海浜鉄道湊線に乗り換え。那珂湊駅で開催される「湊線ふれあいファン感謝記念祭」に向かいます。
那珂湊駅に到着すると、三木鉄道からやってきたミキ300−103が絶好のロケーションで展示。
そして今回注目の目玉が、今年7月に引退したキハ223が、生まれ故郷の羽幌炭鉱鉄道に塗られたこと。以前に引退して解体されたキハ221がこの塗装をまとっていましたが、久しぶりの登場です。そして嬉しいことに、埼玉県さいたま市緑区にある「ほしあい眼科」にて保存が決定したとのこと。末永く羽幌炭鉱鉄道の歴史を伝えていただけると嬉しいです。
それからもう1つ、国鉄から鹿島臨海鉄道を経て、ここで活躍したキハ200形が国鉄色(たらこ色)に復元。車番もキハ20 429と、おそらく元の番号に戻されていました。ヘッドライトは改造されたままの状態ですが、それはそれで面白い組み合わせ。キハ20形にとって、また新しい塗装と形態のバリエーションが誕生したことになります。
こちらは日本初のステンレス気動車、ケハ601。
本日は車内も一般解放されており、ボランティアの方による説明も。内部の座席が復元されていたには驚きましたし、何を隠そう、これがこの車両のウリの1つで、クッションの中身が藁(わら)なのだとか。「これで昔は良く通ったものだ」と、懐かしそうにボランティアの方が仰っていました。座り心地は、硬いけど・・・何故か意外といい(笑)。
それから那珂湊駅近くで国鉄色3重連を撮影。この3両は、いつまでも運用を続けて欲しいものです。
さらに山形交通のボンネットバスが展示。ナンバープレートは土浦ナンバーとなっていますので、茨城交通の所有でしょうか・・・?
那珂湊駅近くのレンガ倉庫。
イベントで活気あふれる那珂湊駅。ちなみに駅舎は、1913(大正2)年に開業した当時からのレトロな駅舎(・・・だったはず)。
そして駅周辺を散策することとし、反射炉跡に向かいます。その入り口の門が山上門で、なんと先日訪問した旧水戸藩小石川藩邸(現在の東京ドーム周辺)の正面右側の門を移築したもの。江戸時代後期に、勅使(朝廷からの使者)を奉迎するために建設されたもので、1936(昭和11)年に、当時敷地を管理していた陸軍から、那珂湊出身の深作貞治氏が払い下げを受けてここに移築しました。
現存する唯一の旧水戸藩小石川藩邸の門で、非常に貴重な江戸の大名屋敷の遺構です。
こちらが反射炉跡。幕末に水戸藩主の徳川斉昭が大砲鋳造のために作らせたもので、1855(安政2)年に西炉、1857(安政4)年に東炉が完成しました。しかし、その活躍は短いもので、1864(元治元)年の元治甲子の乱(天狗党の乱)という水戸藩の内戦において破壊。現在のものは1937(昭和12)年に復元されたものです。
そんなわけで復元ではありますが、いまや復元から70年を経過。これはこれで立派な文化財です。時代背景を考えると、復元された時代背景を考えると、多少ナショナリズム的な要素もあるのでは?という気もするのですが、どうなのでしょうか。
こちらは、その反射炉に使うために造られたレンガの焼成窯。こちらも復元されたもので、高熱に耐える白色耐火レンガを焼成しました。
ちなみに那珂川を臨む、ここからの風景は絶景です。では、那珂湊駅に戻りましょう。
駅に戻ると、ひたちなか海浜鉄道が売り出し中の(?)駅猫「おさむ」を発見。自由気ままな感じで、これといった愛想はありません。それがまた自然な感じでいいですね〜。
そして国鉄色3重連に乗車し、勝田駅に戻ります。
さらに特急「スーパーひたち」に初乗車し、大甕(おおみか)駅にて下車。こちら、日立電鉄の大甕駅の跡地。現在は一部が駐車場に転用されています。大甕駅で下車したのは、これの見学のため。
そしてE501系に久しぶりに乗車し、勝田駅に戻ります。水戸周辺の運用に限られてしまったE501系ですが、10両編成で運用。廃止される路線があるかと思えば、JRの普通列車は10両編成。う〜ん・・・。
勝田駅では団体列車用の485系(元ビバあいづ編成)を撮影。
続いてタクシーにて、ひたちなか市武田にある武田氏館へ。平安時代、源義光(源義家の弟)の次男(三男とも)である源義清が、この地を領有して武田氏を名乗りました。後に源義清は勢力を拡大しようとし在地勢力との争いますが、朝廷に訴えられ甲斐(山梨県)に配流。そして甲斐で再び勢力を拡大し、有名な武田信玄に代表される甲斐源氏の発祥となりました。
復元された武田氏館は、元々あった場所の近くに復元されたそうで、竹下元総理による「ふるさと創生事業」により建設したものだとか。歴史好きとしては有り難い使い道。たとえ復元であっても、中世の武士の屋敷を見られる例は、岩手県奥州市江刺区の「えさし藤原の郷」など数少ないので、非常に貴重な素材です。
そして武田氏館の前にあるのが、湫尾(ぬまお)神社。武田郷の鎮守武田大明神とも称され、社殿は1648(慶安元)年に建てられたもの。茅葺屋根の拝殿が歴史を感じさせてくれます。
再びタクシーで勝田駅に戻り、なんと普通列車でも隣駅である水戸駅まで、特急「スーパーひたち」に乗車。「土日きっぷ」だから気軽に出来る方法ですね。
そして水郡線に乗車。今回は上写真の上菅谷駅にて分岐する、常陸太田駅までの支線に乗車します。
昨日の只見線の方が、駅は立派だったのは気のせいか・・・(南酒出駅)。
終点の常陸太田駅に到着。
常陸太田駅に到着。大規模な駅前ロータリー整備が行われるようで、工事用フェンスがされていました。
で・・・先ほどの写真を撮った場所こそ、日立電鉄の常北大田駅の跡地。駅舎は今でも休憩室として残存しており、日立電鉄交通サービスの列車代替バスが発着していきます。
かつては列車に乗る乗客で賑わった改札口。今はひっそりとしております。
駅舎は残っているものの、ホームは線路は全て撤去。
廃線跡は線路が撤去されたものの、バラスト等はそのまま。周辺道路も整備されていることですし、当面はこのままでしょうか。
そして上菅谷駅に戻り、対向列車待ち合わせの間に駅舎を撮影。
水戸駅に到着。南口に行ってみると、巨大なヤマダ電機がオープン。JRもこれから駅ビルを造るようで、南口が一気に栄えそうです。
近くのホテルではこんな展示が・・・。クリスマス? べ、別に興味なんて無いんだからね!
常磐線の特急ホームへ。鹿島臨海鉄道の新塗装と・・・。
旧塗装を撮影。う〜ん、新塗装も悪くは無いんですけど、やはり黒で縁取った方が引き締まりますね。
こちらは勢ぞろいした国鉄の電気機関車群。鉄道博物館以外でED75形を撮影したのは久しぶり。
旅もいよいよ終盤。特急「スーパーひたち」に乗って上野へ。
で、このバカと言えば、わざわざ上野〜東京間を東北新幹線の「Maxやまびこ」で移動するという贅沢。「土日きっぷ」ですからね、どう乗ろうがOKなのです。むふふふふ。