2010年2月13日・14日 大阪の近代建築と京都で幕末の史跡巡り
○2月13日(土)
弊サイトのスタッフである桜乃さん(桜ノ咲さん)が作成する同人音楽CDのレコーディングのため、大阪へ・・・真っ直ぐ向かうはずも無く、米原駅で500系「のぞみ」を撮影。雪景色を行く・・・なんて風景を期待していましたが、さすがにそれは叶いませんでした。とは言え、バッチリ16両編成で疾走するシーンが撮影できたので満足。これで、500系「のぞみ」を撮影するのも最後になる・・・かなあ。
続いて300系「ひかり」が米原駅を通過。500系ばかりが脚光を浴びていますが、こちらもJR東海所属車両については引退に向けてカウントダウンが始まっていますので、しっかり記録・・・。
さて、先月に引き続いて新大阪駅に到着。まずは6両編成で運転される北近畿タンゴ鉄道KTR001形による特急「タンゴエクスプローラー」を撮影。
続いて485系特急「雷鳥」を撮影することにしますが、違う駅で・・・と思い東淀川駅で撮影。
・・・う〜ん、微妙な感じ・・・。
そして新大阪駅に戻り、先月と同じく氷川副所長を出迎えホームへ。特急「北近畿」を迎え撃ちますが、すでに愛称幕は回送に表示される間近でした。
さて、今回も主目的であるレコーディング。桜乃さんと合流して、某スタジオにて氷川副所長の熱唱を録音。私の超歌いにくいメロディーを見事にマスターされ、ものすごい迫力でした。ほかの人の曲と共にCDに収録され、近いうちに販売することになりますので、その際にはまた告知させていただきます。どうぞご期待ください。
一方、私のピアノソロ部分のパートは・・・。指の運びを無視した楽譜を書いた私がバカでした。パソコンに演奏させたものに差し替えようかしら。
他の人のレコーディングが行われる間、氷川副所長と近所を散策。天満橋駅から京阪電鉄に乗車します。
そして終点の淀屋橋駅で下車し、少し北に歩くと京阪中之島線なにわ橋駅が。建築家の安藤忠雄さんが設計されたそうで、地下駅への入り口ながら、なにやらキラリと光るものが感じられます。改札周りも立派だったそうですが、見忘れてしまいました。
淀屋橋駅や、この「なにわ橋」駅周辺は近代建築の宝庫で、重要文化財の大阪市中央公会堂(1918(大正7)年築)や・・・。
同じく重要文化財の大阪府立中之島図書館(1904(明治37)年築)に・・・。
日本銀行大阪支店(1903(明治36)年築)や・・・。
日本生命本社(1935=昭和10年建築)を見て・・・。
そして今回、ぜひ見ておきたかった市立愛珠幼稚園に感動。
1880(明治13)年に開園した、大阪で一番歴史の長く、日本でも3番目に古い幼稚園なのだとか。建物は1901(明治34)年の建築で、2007(平成19)年に国の重要文化財に指定され、明治の幼稚園の様子を今に伝えています。それにしても、あまりにも重厚で立派な和風建築ですこと! 洋風の教育施設が次々と誕生する中、あくまで純和風にこだわった点も特筆されます。
さらに驚きなのが、市立愛珠幼稚園の北隣は適塾であること。こちらも国の重要文化財に指定されています。
適塾は医師、蘭学者である緒方洪庵の塾で、福沢諭吉、大村益次郎、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民など、幕末から明治にかけて様々な人物を排出しました。緒方洪庵自身も日本最初の病理学書「病学通論」を著したほか、種痘を広め、天然痘の予防に尽力するなど、幕末でも随一の医者として優れた業績を残しています。
さて、愛珠幼稚園の向かい側にある八木通商ビルは1929(昭和4)年の建築。
続いて淀屋橋駅から西へ行くと、三井住友銀行大阪本店の壮大な建築が。元々は住友銀行本店( 旧住友ビルヂング)として1930(昭和5)年建てられたもので、東京にある三井本館に劣らぬ超重厚な建築。銀行建築の王道にして、最終形態といった感じです(大げさな・・・)。 このほか色々見ましたが、また今度ということで。
さて、レコーディングがすべて終了したとの連絡を受けて、桜乃さんらと再び合流すべく、再び京阪電鉄に乗車。偶然にも、1編成しかいない8000系30番台(旧3000系)でした。今までお目にかかったことすらなかったので、ようやく撮影完了。
そして大阪駅前の串カツ屋で打ち上げ。久しぶりに食べましたが、やはり美味しいですのう。
○2月14日(日)
ここからは日曜日編。氷川副所長と京都に向かうべく新大阪駅へ。東海道線で京都へ・・・ではなく。
怪しげな時刻表の宣伝を行っている、大阪市交通局のポスターが印象的な地下鉄と・・・。
(出演者名は完全にギャグ。左上は日活ならぬ、皆活で、しかもキャッチフレーズは「みんなでやろうぜ」と、谷垣総裁のパロディー?)
阪急電鉄を乗り継ぎまして、大宮駅より京都へ侵入します。では、幕末の京都を巡る旅のスタートであります。
そして壬生寺へ。新選組(壬生浪士)の初代筆頭局長である芹沢鴨の墓があるので、見学・・・って、ありゃこんなの小さいの?
おまけに、土方歳三らに暗殺されたとき、一緒に粛清された平山五郎と一緒に埋葬されていました。
続いて新選組が屯所を置いた八木邸へ。外観は見たことがありますが、中に入るのは初めてです。
残念ながら内部写真撮影は禁止であったためご紹介できませんが、当時の刀傷(らしい)が残っていますし、何より江戸時代より京都に残る町屋建築としても大変に貴重なものです。
向かい側が旧前川邸。内部を一般公開する日は少ないようですが、現在も所有者の方が大切に保存されているらしく、当時の土蔵や山南敬助切腹の間なども残っており、最近では記念行事も開催しているとか。
さて、再び阪急に乗って河原町駅へ。河原町通りを北に少し歩くと見えてくるサークルKが、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された近江屋の跡地。調べてみると、昨年の夏からコンビニになったそうです。う〜ん、大河ドラマ放送も控えていたことですし、もう少し和風テイストには出来なかったのでしょうか。
その反対側、高瀬川が流れる木屋町通りに面していたのが旧土佐藩邸。この高瀬川は江戸時代初期、角倉了以らが造った運河であり、もちろん水運を利用した物流が盛んになります。藩邸としては、他にも彦根藩や加賀藩、長州藩などがを構えていました。なお、土佐藩邸跡に建つ、このレトロな建物は元・立誠小学校で、1927(昭和2)年の建築。現在も教育施設などとして活用されています。
そして少し北に歩くと見えてくるのが酢屋。裏辺研究所のトップページで先に紹介しましたが、坂本龍馬が海援隊の京都本部の建物として使わせてもらっていた場所。建物は昭和初期に改修されていますが、概ね龍馬がいた当時の間取りを踏襲し、外観も大きな変化はありません。
そしてもっと凄いのが、龍馬がいた頃も含めて、今に至るまで約280年間、未だに材木屋を続けており、経営者も昔から同じ一族。現在は十代目の酢屋嘉兵衛さんだそうです。2階のギャラリーにて、とても上品で美しい女性の店員さんに、建物についても丁寧にご解説いただきました。見ていてくださるかどうかは分りませんが、この場を借りて深く御礼申し上げます。
今度は木屋町通りを挟んで東側へ。幕末とは離れますが、瑞泉寺というのがあり、ここに豊臣秀吉によって一族が粛清された豊臣秀次と一族の墓があります。今でこそ立派なものですが、これは1611(慶弔16)年、角倉了以が高瀬川を造っているときに墓石を発見して、寺を造営したからであって、豊臣秀吉が埋葬したときは、荒地に放置状態に近かったらしく・・・。
そして、京都市役所を見て・・・。
河原町通りを挟んで反対側、京都ホテルオークラがあるところが長州藩邸跡で、桂小五郎像があります。
で、一旦もと来た道を戻って三条通へ。旧日本銀行京都支店(現・京都府京都文化博物館別館)は東京駅を思わせる立派な建物。それもそのはず、設計者は東京駅と同じく辰野金吾で、1906(明治39)年に建てられました。
内部は大きく吹き抜け構造になっており、この広々とした空間は見事としか言いようがありません。
その西にあるのが中京郵便局。1902(明治35)年の建築ですが、外観のみ保存。内部は改築によって新しくなっています。
さて、再び酢屋などがあった方向へ戻り、新選組が尊攘派志士を襲撃した舞台となった池田屋跡へ。1960年ごろまで当時の建物が残っていたそうですが、その後はパチンコ屋などに変わり、2009年に居酒屋「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」となりました。
内部は、当時の店の様子も再現されていて、意外と芸が細かいものでした。ぜひ、今度は長く営業してもらいたいですね。
さらに京都市役所方向へ戻り(今日は、行ったり来たり・・・)、地下鉄京都市役所前出口すぐ、御池通沿いの幼稚園に保存されている京都市電N21号を撮影。塗装は独自のものでしょうが、屋根がついており、綺麗に保存されていました。
で、また北に行きまして島津製作所が運営する、島津創業記念資料館の建物のみを見学。創業からまもなくして建てられた、100年以上前の古い建築で、国の登録有形文化財に指定されています。
続いて京阪電鉄に乗って中書島駅で下車。北に徒歩で5分ほどの場所にある、寺田屋に行きます。最近、1868年の鳥羽伏見の戦いで焼失し、西隣に再建されたものだと報道され、市役所のホームページでもその旨が明記されておりましたが・・・。
こちらは龍馬の部屋、ということで。現在、寺田屋を運営する会社側としては、あくまでも坂本龍馬がいた頃の建物である、と強気の姿勢を崩していませんでした。
こちらの階段も、危機を察したお龍さんが、坂本龍馬に危険を知らせるべく、風呂から裸で駆け上がっていった、という階段として紹介されたまま。再建後も、大きく旧形状は変わっていない・・・と信じ、再建前もこんな感じだったのかな?ぐらいの認識で見学しておきました。どちらにせよ、古い旅籠であることに変わりは無く、古建築として大事に保存してもらいたいものです。
さて、寺田屋のある伏見は水運を利用した酒造りが盛んで、黄桜や月桂冠など、日本酒を代表するメーカーがずらり。そして現在も古い酒蔵群が残っていて壮観です。もっと日本酒が好きだったら、夢のような空間だったのでしょうが・・・。
その近くにある長寺門は、中国風の変わった山門が特徴(古そうですが、いつの建築でしょうか)。また、京都で唯一御本尊を弁財天としているのが特徴です。
さて、再び京阪電鉄に乗り、今度は宇治に行きます。あ〜忙しい。 と、その前に京阪8000系旧塗装が来たので撮影。
さらに8000系と2200系の新塗装同士の組み合わせを撮影。
カメラの休む暇がありませんが、それでは宇治へ向かいましょう。
氷川副所長のリクエストによって到着した、宇治市の源氏物語ミュージアム。
さほど大きな規模ではなく、基本的に実物大、もしくは縮小した模型展示がメインと、ちょっと残念ではありましたが、光源氏が造ったという設定の六条殿という巨大な邸宅はすごい。右下が春、右上が夏、左下が秋、左上が冬をイメージした邸宅で、それぞれに女性(側室)を置いているという話で・・・。
そして京阪で祇園四条駅に戻り、祇園で芸者遊び・・・はする時間が無くて通過。
途中で見つけた崇徳天皇御廟は、保元の乱に敗れて讃岐に流され、その地で歿した崇徳上皇を祀った場所でした。
そして、京都霊山護国神社へ。極東国際軍事裁判で、被告全員の無罪を唱えたインド代表判事パール博士の顕彰碑や・・・。
坂本龍馬、中岡慎太郎の墓に・・・。
木戸孝允(桂小五郎)夫妻の墓があります。それにしても、山の斜面に幕末の志士たちの墓や慰霊碑が建立されており、見て回るとかなり体力を消耗します。
続いて幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」を見学。幕末ゆかりの品々はもちろん、池田屋、近江屋の復元模型は一見の価値あり。こうして内容盛りだくさんの旅行も、終了。所長一行は幕末の京都を満喫しきったのでした。それにしても、いやはや書くのも疲れた・・・。