2010年3月7日 白川郷・五箇山へ雪中行軍
○3月7日(日)
職場の友人と自動車で、世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」を見に行きました。このうち白川郷は3回目、五箇山のうち菅沼地区は2回目の訪問ですが・・・ご覧の通り今回は雪!
まずは前回と同様に、富山県南砺市菅沼地区から見ていきます。
昨年5月に、味野源次さんと訪問したときはこんな感じでした。どちらの季節に訪問しても、この小さな集落の風景が本当に心和みますね。
続いて同じく富山県南砺市にある相倉(あいのくら)の合掌造りを見学。こちらは初の訪問です。
この頃から少しずつ雪が強くなってきまして・・・。
そんな中でも、ノリとは恐ろしいもので、徒歩5分の文字を真に受けて雪道を上り、見晴台のような場所へ。10分近くかかりましたし、見晴台は雪に埋もれていましたが、その近くでこんな感じで写真撮影を完了。これはなかなか素敵な雪景色で、かなり感動しました。そして、これは秋に訪問すると綺麗な風景を撮影できそうですね。
そして雪道を下っていきますが・・・こんな感じ。たはははは。
続いて菅沼地区と相倉地区の途中にある、国指定重要文化財の合掌造りの家を外観のみ撮影。こちらは前回の訪問ではバスから無理やり撮影した村上家。今回はじっくり撮影させていただきました。ちなみに、なんと約400年前に造られたと言われています。
こちらも国重要文化財の羽馬家で、これも約400年前のもの。村上家とは庄川を挟んだ対岸にあります。
(*内部は非公開)
さて、今度は白川郷に向けて車を運転(・・・私は座っているだけですけど)。途中、成出ダムの雰囲気に圧倒され、ちょいと途中下車。
ドーッ!とすごい勢いで流れていきますし、見事に真っ白な滝の色です。
そして白川郷に到着し、まずは白川八幡神社から見学。まあ、私は前に味野氏と行ったので適当に・・・と思っておりましたら、やけに同行の友人が興奮。いったい、この神社の何が・・・?と思っておりましたら
「アニメ”ひぐらしのなく頃に”で、古手神社のモデルになったのがここですよ!」
とのこと。・・・まさか、そのために白川郷へ・・・??
「そもそも、白川郷とその周辺が、アニメの舞台である雛見沢村のモデルなんですよ」
という答えが。ファンの方には当然の話なのでしょうが、私は知らなかった・・・ような、なんか前回も味野さんに、そんなことを少し言われたような言われなかったような・・・。
てなわけで神社の絵馬は「ひぐらし」関連が大半。
そして、白川郷のメインである荻町の合掌集落を本格的に見る前に、庄川を挟んで対岸へ。大型駐車場がある場所ですね。ところで、これもまた凄く落ちたら寒そうな風景・・・。
友人が「合掌造り民家園」へ行きたい(・・・もちろん、アニメの舞台になっているから)だそうで、こちらは初めて訪問することにしました。てっきり、新しく合掌造りを宿泊用などに造ったテーマパークかと思いきや、この周辺で集団離村により廃屋になった、歴史ある合掌造りの家々を移築したものだとか。
こちらは岐阜県指定重要文化財の中野義盛家主屋。明治末期の建築だそうで、約15kmほど離れた白川村加須良から移築したものだそうです。
1回内部はこんな感じ。見学しましたが・・・、足が冷たい(笑)。
こちらは、「ひぐらし」の舞台で園崎家の庭として使われた部分。他にも色々撮影しましたが、合掌造り民家園については別途、そのうち紹介します。
さて、これで荻町の合掌集落を堪能するのかと思いきや、白川診療所を見学。「ひぐらし」では入江診療所として使われていたものですが、世界遺産に来てなぜこれを見に行かねばならない・・・??(笑)
でも、これが「ひぐらし」の舞台の1つかと思うと意外と感動しました。
そして雪がどんどん激しくなってくる・・・。こちらは国指定重要文化財の和田家。・・・なのですが、「ひぐらし」では園崎家として使われているそうです。ううむ、頭が混乱してくる。他にも色々と撮影しましたが、そのうち「ひぐらし」ネタとしてまとめます。しかし、白川郷にそういう楽しみ方があるんだったら、事前にアニメを良く見ておけばよかった・・・。途中までしか見てないんですよね、あの作品。
城山からの風景。これで明かりがついていれば幻想的な写真になったのでしょうが・・・。
近くでこんな感じの写真も撮影してみました。
そして、合掌造りの集落から少し北にある「道の駅白川郷」・・・・の近くにある「特定環境保全公共下水道事業 白川クリーンセンター」は、「ひぐらし」で主人公が住む前原屋敷のモデルとなったもの。たしかに、これですね〜。
「道の駅白川郷」の向かい側にある飯島八幡神社。こちらは、古手神社の祭具殿のモデルになった神社だそうです。
最後に、車をぐっと南下させて高山市荘川町へ。インターチェンジから少し北に行ったところにある、荘川浄化センターのあたりには、「ひぐらし」で雛見沢分校のモデルとなった建物があったはずでしたが、どうも見つからない。携帯のネットで検索したところ、残念ながら解体されてしまったそうです。無理やり寄り道しただけに、これは残念でした。
さて、このとき午後5時を過ぎておりまして。ここから藤沢へ帰るのが本当に辛い! 結局、翌日0時を過ぎたあたりでようやく帰宅しましたとさ。