2010年4月17日・18日 キハ58系急行「ひかり」と吉野ケ里遺跡の散策
○4月17日(土)
久しぶりに空の旅。向かうは実家のある広島を見事に通り越し、福岡へ。が、そんな親不孝者の所長には天罰が下ったようで、飛行機は大雨の影響で、羽田空港を定刻で6時30分に出発をするはずが、なんと7時30分に出発。延々と機内での待機を余儀なくされました。
しかし本日は9時に博多駅でkajiboohさん、ネオンさん、ゼニガタさんと待ち合わせるスケジュールのため、これはヤヴァイ・・・。まして、飛行機の中からはメール送るわけに行きませんからね。挙句に皆様、私とは直接面識がありますが、お互い同士だと初対面というオマケつき。顔面蒼白になりながらも、私にどうすることも出来ませんので、とりあえず空からの景色を撮影。まずは長野県 、 山梨県 、 静岡県 に跨って連なる赤石山脈(だと思う)。
赤石山脈らしきものをアップ。
こちらは京都上空。京都御所の大きさが良くわかりますね。
飛行機はあっという間に姫路市上空へ。姫路城も広大ですね〜。
こちらは岡山市。写真左端にかろうじて岡山城が写っていますが、わかりますでしょうか・・・・?
こちらは私の実家のある広島市。埋め立てで拡大していったのが良くわかる景観ですね。さて、他にも色々撮影はしていますが、今回も旅行全体の撮影量が多いので、とりあえず空の旅はこの辺で。そして飛行機は定刻8時15分着のはずが、まさに9時に福岡空港へ着陸。メールで3人に超特急で連絡をしながら、全力疾走で地下鉄に乗車。
スイカが使えるようになっていたのは大きなメリットですね。列車にすぐ乗ることが出来て、9時20分には待ち合わせ場所に到着することが出来ました。やれやれ・・・、心臓に悪い・・・。では、ここからkajiboohさんの自動車で福岡市観光です。
裏辺研究所4人衆が向かったのは、福岡県福岡市東区名島にある名島帆柱石。神宮皇后の三韓出兵の時の船の帆柱が化石になったという、いかにもな伝説つきのシロモノですが、実際には約3500万年前のカシ属の樹木の幹材が珪酸分に置き換えられてできた化石だそうです。なるほど、神宮皇后は人類発生よりもさらに昔に存在していたんですね(嘘。
・・・と、そこへ福岡空港へ着陸するANAの機体が目に入ってきたので、一同でカメラを上空に向けます。
続いて隣接する名島城跡を見学。名島城は戦国時代の天文年間(1532〜55年)に、立花城主の立花鑑載が支城として築造したのが始まりで、豊臣秀吉が九州へ進出すると、筑前国を与えられた毛利一族の小早川隆景が1586(天正16)年より本拠地として使用。三方を海に囲まれた要害として重宝されますが、関が原の戦い後の論功行賞で黒田長政が筑前国に入国すると、城下町の発展性を考えて間もなく福岡城を築城し、名島城の城門や石垣などは移築されました。
で、上写真は跡地に建つ名島神社。
朱が織り成す美しい風景、名島豊川稲荷大明神。
そして石垣の出土が確認された名島城大手門跡。もっと何も残っていないかと思いましたが、ある程度は往時の風景を推察するに十分な状態でした。
さて、名島城の見学を終わり車で出発しようとしたら、なにやら解説板が見えたので近寄ってみます。これは「緑の石」といって、神宮皇后が三韓出兵から帰ってきた際に御懐妊されていて、座っていた石だとか。婦人がこの石に寄り添いて祈れば安産となり、縁遠き子女が祈れば良縁にめぐり合う効能があるそうです。これで結婚相談所も不要、驚きのパワーですね。
続いて貝塚公園へ。ここに保存されているのは、元祖ブルートレインのナハネフ22 1007。我々の世代だと「元祖」なのですが、kajiboohさんの世代だとむしろ「本家」だそうです。
そして連結されていたのは蒸気機関車の49627。九州各地で活躍した車両です。
そしてこちら、デ・ハビランド・ヘロン DH-114B。1953年製で、晩年は、今は無き日本エアシステムの前身の東亜航空が実習用に使用していた機体だそうです。
こちらは貝塚公園の真横、貝塚駅から発着する西日本鉄道の貝塚線。今や1編成しか残存しない、313形を運良く撮影することに成功しました。
では貝塚公園から出発・・・しようと思ったら、怪しげな車が。もはやボロボロになっていますが、中央が車がフィリピンを代表する乗合自動車「ジープニー」。両脇が、タイの乗合オート三輪車「サムロー」。いずれもアジア太平洋博覧会−福岡’89で展示されたものだそうです。
ジープニーは日本製のディーゼルエンジンを搭載し、ご覧のように馬や鳥など色々な装飾が設置されているのが特徴。屋根つきの展示にしては、随分ボロボロなのが残念ですが・・・。
続いて福岡を代表する神社、筥崎宮へ。こちらの楼門は名島城主小早川隆景が1594(文禄3)年に建立したもので、国の重要文化財に指定されています。三間一戸、入母屋造り、檜皮葺という、楼門の中では王道的な建築様式。
しかし、そこに掲げられている扁額には「敵国降伏」の文字が。現在のものは2003(平成15)年に復元されたものですが、元々は1274年の文永の役後、社殿再建に尽くした亀山上皇の下賜によるもの。そうです、敵国とはフビライ=ハン率いる「元」のこと。この存在のため、別名「伏敵門」と呼ばれているそうです。
そしてヤフードームを通過し・・・。
西南学院大学前の元寇防塁を見学。今はこのぐらいの高さで復元保存されていますが、実際には2.5m〜3mほどあったと考えられています。
その西南学院大額を通ると、古い建築が見えたので撮影。旧西南学院本館、今は西南学院大学博物館で、ヴォーリズの設計によって1921(大正10)年に建築されました。
続いて中心部を通ると、日本銀行福岡支店が。戦前のものと思いきや、1951(昭和26)年の建築だそうです。
ここより我ら一行は鉄モードにスイッチを切り替え、香椎駅へ行き・・・。
883系特急「ソニック」を撮影・・・は、主題ではなく。
キハ58形+キハ65形による急行「第2ひかり」を撮影。このとき、特急「ソニック」がちょうど発車するところで、もうあと数秒、発車が遅ければ大失敗になるところでした。この区間は列車の本数が多いだけに、撮影は困難を極めるようです。
ちなみに香椎駅は通過していきます。2両なのは残念ですが、やはり良いものですなあ。
さて、何とか追いかけて撮影しようと試みた所長一行は、久留米で撮影しようと試みます。しかし、高速道路から久留米市中心部への道が混雑。ようやく久留米駅に到着した瞬間、無常にも急行「第2ひかり」は通過していきました。折角なので、久留米駅の新駅舎を撮影します。
こちらは久留米駅の旧駅舎。今後はどのようになるのでしょうか。
とは言え、久留米市で訪問したかった場所があります。それが、こちらの久留米城。室町時代後期から砦のように使われていましたが、江戸時代に久留米藩有馬氏の居城として本格的に整備されたのが現在の姿。
本丸部分の石垣は見事に残っており、なかなか壮観です。なお二の丸・三ノ丸はブリヂストン久留米工場の敷地。
続いて久留米駅の新幹線側の駅舎を見学。う〜ん・・・上手く言葉では表現できませんが、妙な違和感が・・・。何というか、新幹線ホーム側のデザインと、エントランス部分のデザインに連続性が無いと言いますか・・・。
あくまで新幹線の久留米駅と久留米城を見学するため、ここに来ただけですと納得させつつ、久留米を後に。途中、久留米城を先ほどとは逆方向から撮影してみました。
そして福岡に戻る途中に、巨大建造物(?)が見えてきたので近づいてみると、九州新幹線の新鳥栖駅でした。いやはや見事に何もありませんね!お陰様で、全景を美しく撮影することが出来ました。そうそう、こちらのデザインは素晴らしいと思います。
福岡に戻りますと、ゼニガタさんの希望で屋台にてラーメンや「おでん」などを堪能。う〜ん、写真を改めて見ているだけでもヨダレが・・・。濃厚な味が本当に美味でした。
そして最後に、近くにある旧日本生命九州支社(福岡市赤煉瓦文化館)を見学。このスタイルから解るとおり、辰野金吾による設計で、1910(明治43)年の建築です。なんと午後9時までやっていたので、中に入ってみました。
現在は国の重要文化財に指定され、内部は会議室や文学館として活用されています。また、別棟のトイレもレンガ造りで国の重要文化財。しかも現役で使用できます。
では、翌日に用事があるネオンさんは飛行機で名古屋へ帰還。私とゼニガタさんはkajiboohさんにホテルまで送ってもらい、翌日に備えるのでした・・・。
○4月18日(日)
福岡2日目は、ゼニガタさんと二人旅。まずは改築工事が大詰めを迎えつつある博多駅を撮影します。
博多駅は現段階では暗くなってしまったのが残念なところ。とりあえず783系特急「にちりんシーガイア」と、783系特急「かもめ」の並びを撮影。
そして我々は荒木駅に到着。後続の列車が来るまで少々撮影します。
813系二形態。見慣れてくると、左のタイプも意外と悪くない・・・?行き先は見やすいですしね。
そして415系に乗車し、南下します。
こちらは少し離れた場所に新幹線駅を建設中の船小屋駅。小田急の車両みたいな塗装の、カプセル型の無人駅の外に広がる風景は・・・まばらな民家ですなあ。
そして南方で立派な駅(筑後船小屋駅)を建設中です。羽犬塚駅、瀬高駅に停車していた特急列車の代替なのは解りますが、どれほどの需要が見込めるのか・・・。
我々は瀬高駅にて待機。ウィキペディアによると写真右手は、かつての佐賀線0番ホームだとか。
そして急行「第1ひかり」を迎え撃ちます。昨日とは異なるヘッドマークでした。
こちらはキハ58形側。
813系との並び。
続いて吉野ヶ里遺跡へ向かうべく鳥栖駅へ。贅沢にも特急「有明」に乗車しましたら、先頭車に妙な懐かしさが・・・。そうだ、旧「つばめ」塗装に似ていると思ったら、ロゴ等は「ARIAKE」なのですが、四角く赤い部分が無いんですね。
長崎本線の普通列車の本数が少ないため、しばし撮影タイム。まずは885系特急「かもめ」を撮影。やってきたのは青い「ソニック」編成ですが、側面ロゴの「ソニック」マークは全て消されており、もはや「かもめ」「ソニック」編成の区別無く運用に就いているようです。
こちらはキハ125形。
鳥栖駅の駅舎を撮影。1911(明治44)年の撮影で、だいぶ改修はされていますが非常に趣のある駅舎です。上熊本駅や、解体が予想される折尾駅の例などもありますから、いつまで残ってくれるでしょうか・・・。
そしてホームに戻ると、783系特急「かもめ」「ハウステンボス」「みどり」の長大編成が。何度見ても、これは壮観ですね。
ちなみにハウステンボス編成は、「龍馬伝」ラッピング編成でした。発車した後に気がついたため、このぐらいの写真が限界・・・。
続いてキハ185系特急「ゆふ」。これを撮影した後、ようやく長崎本線に乗って吉野ヶ里歴史公園へ向かいました。
吉野ヶ里歴史公園は、2003年3月に氷川副所長と訪問して以来。7年ぶりの訪問で、単純に久々に見学したかったという軽い気持ちでしたが、7年の歳月とは凄いもので、復元住居が随分と増殖。広大なエリア、どこに行っても復元住居だらけです。まず、こちらは南のムラ。吉野ヶ里集落の一般の人々が住んでいた地域で、環濠などの防御施設は見つかっていません。
こちらは南内郭。環濠と物見櫓に囲まれた、王たちの住まいです。
こちらは倉と市。交易を扱っていたエリアです。
奥に見えるのは南内郭。
北墳丘墓。
北内郭。重要な事案を決定したり、祭祀を司っていた空間です。
こちらはその内部。7年前にきたときには、北内郭と南内郭だけでも感動したものですが、今回は南のムラなど、新たな再現されたエリアに益々感動しました。ちなみに同じアングルの写真で比べてみると、7年前とカメラの性能も全然違うなあ・・・と(笑)。
彼女たち(?)も7年前と変わらぬ姿で出迎えてくれました。
駅への帰路に817系を撮影。春らしい風景の写真になったような、大したことのないような・・・。
吉野ヶ里公園駅で撮影した415系1500番台。良く見るとJR東日本から譲渡された車両でした。
比較参考用に。JR九州生え抜きの車両とは、正面貫通面の歩み板の有無が見分けるポイント。ちなみに側面の転落防止板の有無も比較のポイントです(双方とも、存在しているほうが元JR東日本所属車両)。
さて、鳥栖駅に戻り鹿児島本線へ乗り換えます。
そして竹下駅で少々撮影。こちらは(正統な?)885系特急「かもめ」。
787系特急「リレーつばめ」。う〜ん、何回撮影したことやら。
783系特急「かもめ」「みどり」「ハウステンボス」。この日、2回ほどすれ違っていた「かもめ」編成用の龍馬伝ラッピング車両を撮影したかったのですが、残念ながら失敗に終わりました。
最後尾の「みどり」編成が通過していきます。これにて九州での撮影を終了し、ゼニガタさんとお別れして福岡空港へ。
で・・・京急に乗車して京急蒲田駅に行くと、引退間近の旧1000形が来たので撮影。あと何回見られるでしょうか。
それでは、これにて1泊2日の福岡旅行は終了。相変わらず、お前はどれだけ旅行に行けば気が済むのかと自分でも思いますが、若いうちは少々無理をしたいと思っています。
それでは久しぶりに大規模な裏辺研究所オフ会に参加してくださいました、kajiboohさん、ネオンさん、ゼニガタさん、どうも有り難うございました。また近いうちにお会いしましょう(「いつか」じゃないのがミソ)。