2010年7月15日 水島臨海鉄道、下津井電鉄と旧野崎家住宅をめぐる


 だいたい私の場合、友人がどこに住んでいるかというのはほとんど関係がありません。単純に、スケジュールがお互いにあうかの方がはるかに重要です。 ・・・てなわけで木曜日、リン所員と合流して倉敷、岡山へ行ってまいりました。とりあえず、まずは広島から合流ポイントの福山へ向かわねばならないので、JR可部線の大町駅へ向かいます。アストラムライン、バスターミナルを併設しているので、なかなか立派な構造。

 そして可部線に乗ろうとしますが、予定していた列車が前日の大雨の影響で、車両の都合がつかずに運休。余裕のないスケジュールにしていたため、予定していた新幹線に乗車できないという事態になりました。この時代、メールですぐに連絡できるので、その点は安心ですが・・・。

もっとも、広島駅到着が遅れたおかげで、塗り変わったばかりの100系国鉄色を早速撮影することができたのは大きな収穫。山口県にいた頃は、見慣れていた姿であるだけに懐かしい。そして新幹線の中では100系が一番好きなので(シャープな先頭形状が素敵)、本当にうれしいです。

700系「ひかりレールスター」。こちらも比較的好きです。

さて、福山駅でリン所員と合流して、自動車を運転してもらい向かった先は、岡山県倉敷市の水島臨海鉄道の車庫。実は水島臨海鉄道を見るのも初めてで、国鉄色のキハ20形に感動しました。 ・・・が、後ろのキハ20形の色合いが妙に明るい・・・。

そして前面の車両番号は従来より上に移動し、私鉄らしくなった雰囲気です。

そして未だ現存!JR四国色のキハ20形。

この後、水島臨海鉄道色のキハ20形を撮影し、下津井電鉄の下津井駅跡へ。駅舎の土台と思われる部分が残っていました。

奥には車両が美麗な状態で残っています。保存会の方々が修復されているそうで、今にも動き出しそうな雰囲気です。車庫の屋根がボロボロなのが気になりますが・・・。

倉敷・岡山旅行に戻ります。 下津井駅跡を見学した私とリン所員は、下津井回船問屋へ。

ここは、港町である下津井で営業を行っていた、北前船の回船問屋、高松屋(中西家)の母屋やニシン蔵を保存したもので、様々な道具が展示されています。

食事は、この箱膳が基本だったようです。

こちらは昭和初期のハエ捕り器。ゼンマイ仕掛けのローラー部分に砂糖水を塗り、とまったハエを下部の箱に落として捕獲する仕組み。なるほど、よく考えたものです。

紙芝居の箱。リトブコ・・・? ああ、コブトリですね。はい。引き出しの中に他の紙芝居も収納できるようになっているようです。

また、この近辺は比較的古い町並みが残っており、幕末から昭和にかけての建築が数多く残っています。

続いて下津井の背後を守る下津井城跡へ。文禄年間(1592年〜96年)に、宇喜多秀家が築城した平山城で、関が原の戦い後は池田氏が領有。1639年の一国一城令で破却されるまで使用されました。

中腹に駐車場があるので、そこに車を止めて見学。瀬戸大橋と下津井の街並みを見ることが出来ます。が・・・、本丸まで登り、そして先に進みながら下っていくと、元の場所に戻れるのかと思いきや、そのまんま山ろく近くまで下ろされる始末。

その代わりですが、下津井電鉄の廃線跡を確認。架線柱もモニュメントとして保存され、レールを引いたら元の姿に戻りそうです。

というわけで、駐車場に何とか戻って、引き続き下津井電鉄の廃線を跡に沿って走行すると、東下津井駅跡がありました。

そしてさらに先へ進み、瀬戸大橋を間近で撮影! これは迫力があって感動しました。天気が良ければもっと良かったのですが・・・。

もう1枚。

そして、今度は倉敷市児島地区の中心部へ行き、下津井電鉄の児島駅跡を見学。こちらも架線柱が残されており、往時の雰囲気を見事に堪能できます。

駅舎も現存しております。

内部はこんな感じ。瀬戸大橋開業で、鉄道路線の活性化に向けた反転攻勢に出ようとした意気込みが感じられますが、結果は・・・でしたね。せめて、JR児島駅とつながっていればよかったのですが、場所が違うのが難点です。


下津井電鉄の廃線跡を堪能した私とリン所員は、昼飯を多少欲しつつも、倉敷市児島味野にある旧野崎家住宅へ向かいます。

ここは、塩作りと新田開発によって、一代で財を成した野封錐カ衛門(1789〜1864年)が、1833(天保4)年から建設した屋敷群で国の重要文化財に指定。

約3000坪という広大な敷地には、枯山水の庭園、長屋門、主屋、表書院、土蔵、茶室などが一体的に残っているのが最大の特徴で、とにかく見ごたえがあります。

こちらは従業員の台所。 現在でも野崎家は市内にてナイカイ塩業という製塩会社を経営し、国内トップシェアを誇っているというのですから驚きです。脈々と伝統が受け継がれ、しかも発展しているというのには感動しました。

ちなみに倉庫内では、戦前の雑誌などが展示。 ウラタモモ・・・浦田桃?ちゃいますね、桃太郎ですね。 で、その中で・・・。

な、なんですって!幼女の友!? いや、いたって普通の雑誌なのでしょうが、ちょっとドキっとしてしまいます。ちなみに、発行は幼女の友社だそうです。そのまんまやん。

そしてコンビニで食料を調達し、適当に胃の中に流し込みながら宇野線(瀬戸大橋線)の大元駅へ。早速、JR四国の113系を撮影してみます。

JR西日本のリニューアル車よりも外観を徹底的に変更しており、とにかくインパクト抜群。格好いいなあ。

そして、入れ替わりで入線してきたのがEF65形による貨物列車。同型機は続々と運用を離脱しているため、非常に良い記録となりました。

せっかくなので岡山機関区へ。一昨年ぐらいまでは事務所で見学を申請すれば、構内で撮影することも出来ましたが、やはり心無い一部のファンの行為があったようで、今は申請しても構内への立入禁止とのこと。公道上から少しだけ撮影して、後にしました。

途中で「たま電車」を撮影しつつ・・・。

瀬戸内市長船町長船1133にある、ドライブインプラザ備前長船で保存されている下津井電鉄の車両を見学。新幹線の高架下にあるため、状態は悲惨なことにはなっていませんが、窓ガラスが無かったり、一部の部品が取れかかっていたりと、少々先行きの不安な状態でした。それでも、塗装は定期的に行っているようです。 写真はクハ6。元々は1931(昭和6)年ガソリンカーとして誕生したものですが、電化に伴い1953(昭和28)年に制御車に改造したものだそうです。

こちらはホワ10。

そしてホハフ2。

さて、今度は車をかっ飛ばしてもらい、山陽本線中庄〜庭瀬間へ移動。おっと!早速、黄色の117系による快速「サンライナー」が登場です。まあ、サンライナーという

には悪くない塗装かもしれません。

マリンライナー時代を思わせる6両編成の213系とのすれ違い。

EF64形0番台による貨物列車。

115系リニューアル車。やはり、これが黄色くなってしまうのは勿体無い・・・。いいカラーリングです。

こちらは117系サンライナー色。やはり、こちらの塗装のほうが手が込んでいますね。

だんだん少数派になりつつある115系瀬戸内色。それにしても、短時間の間に次々と色々な車種と塗装がやってくるのは飽きません。

EF64形1000番台(岡山更新色)による貨物列車。コンテナも満載で迫力満点。今回の散歩、実はこの塗装が撮影したかったのが発端だったり・・・。

381系「ゆったりやくも」色。

115系3000番台広島更新色。

最後にEF210形の単機回送を見送り、この場所を後にしました。

そして福山に戻りリン所員とお別れ。さすがに城内には入りませんでしたが(・・・ここもかつては城内ですけど)、壮大な福山城を撮影します。このように城壁があると、引き締まった感じがしますね。

そして駅に入ると井原鉄道の車両がいたため、初撮影。

そして新幹線で広島へ帰還。れやれ、1日にしてはあまりにも密度が濃かったため、書くのが大変でした。 リン所員、お忙しいところお付き合いいただき、誠に有難うございました。 また近いうちに某所でぜひよろしくお願いします。

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