2010年8月29日 松本を観光する


この日は家族で松本へ。まずは八王子駅にて、相模線から横浜線へ直通する205系を撮影。

入換用に活躍するDE10形。

そして松本駅へ到着。185系による特急「はまかいじ」がいました。

松本駅は2007(平成19)年に一部の改築が行われ、旧駅舎の中央をぶち抜く形で東西自由連絡通路が造られ、利便性が大きく向上しました。

 駅前には小澤征爾さんが総監督を務めるサイトウ・キネン・フェスティバルの宣伝が。小澤征爾さんは幸いにも食道癌から復帰し、指揮活動も少しずつ再開するとのこと。サイトウ・キネン・フェスティバルでは1曲指揮をされるそうですが、少しでも長く現役でいてくださることを切に願うばかりです。う〜ん、一度小澤さんの指揮を生で見てみたい・・・。
 ちなみにサイトウとは、小澤征爾さんなどの師匠で、桐朋学園大学で教鞭をとっていた齋藤秀雄先生のこと。このサイトウ・キネン・フェスティバルとは齋藤秀雄先生没後、門下生の方々が中心となり、クラシックのコンサートを毎年開催しているものです。

さて、最初に向かったのは「あがたの森公園」。旧制松本高等学校の本館の一部と講堂が保存され、国の重要文化財に指定されています。


本館は1920(大正9)年に建てられ、コの字型しているのが特徴。

校長室や・・・。


教室の一部が復元されて保存されています。しかし、実はこの建物は単純に観光資源に活用しているだけではなく、今も公民館的な役割で現役を続けており、この日は学生さんの吹奏楽の部活動に活用されていました。

学校施設ですから、学生さんの利用が続くのが一番!これからも末永く活用しながら保存して行ってもらいたいものです。


続いて定番ですが松本城を見学。5年ぶりの訪問ですが、とにかく「ずっしり」とした重厚な姿には感嘆の意を示すほかありません。何より、国宝に指定された江戸時代以来の天守閣が残っているのが凄い。大天守北面に乾小天守を渡櫓で連結し、東面に辰巳附櫓と月見櫓が複合した、複合連結式天守です。

別角度から1枚。


さて、もちろん天守閣内部にも久しぶりに登ってみます。
・・・が、最近の歴史ブームが影響しているのか人の数が凄い!しかも、階段が急ですし、お年寄りから小さい子供までいますので、当然乗降に時間がかかります。結局、最上層に行って戻るまでに1時間程度かかってしまいました。

挙句に蕎麦屋に行くと、蕎麦の麺が無くなったそうで、最初から作りはじめられ・・・やれやれ、時間をかなり消耗してしまいました。


それから松本城の北にある旧開智学校を見学。2005年に訪問したときには保存修理中で見られなかったため、今回楽しみにしてきました。校舎は1876(明治9)年に松本の大工の棟梁であった立石清重の設計によって造られた、いわゆる疑洋風建築。


地元の大工さんが考えた西洋化のイメージを具現化したような感じで、当時の大工さんたちが「新しい時代の学校というのは、こんな感じだ」と意気込んだ雰囲気が感じられる建物です。



2階に講堂があり、ステンドグラスなどが見所。建物については、また後日ご紹介することにしましょう(そんな話ばっかり・・・)。

それから旧開智学校の脇にあるのが、旧司祭館。1888(明治21)年に、フランス人のクレマン神父が設計した住居で、こちらは純西洋建築。


さて、夏の日差しの下、そんなにあちこち動き回るわけにも行かず、この程度で松本の散策は終了。そういえば、鉄道の写真がなかったので115系快速「みすず」を撮影。

115系の並びも当時は珍しくありませんでした。

大糸線のE127系の写真を掲載しておきます。ご覧のように、松本駅に到着すると大量の人が降りてきました。ローカル線のような感じもする大糸線ですが、松本周辺ではかなり利用客が多く、以前に私もすし詰め状態に閉口したことがありました。

車両運用の都合や、需要が読みづらい面もあるのかもしれませんが、鉄道は利用しづらいという印象を与えないよう、もう少し増発や増結など柔軟な対応をとってもいいのではないでしょうか?

ちなみに先日訪問した青森旅行では、三沢駅周辺で、お客様の要望を受けた増結運転を開始したことがPRされていました。

最後になりますが、甲府駅を通りますと駅北口に何やら西洋建築が建っていました。こんなのあったかな・・・と調べてみると、武田神社の中にあった旧睦沢学校(藤村記念館)を再移築したものだそうです。これまでの、樹木が生い茂ったうっそうとした雰囲気の中にあった姿から、一気に駅北口の顔へとパワーアップ。

塗装なども文献より建築当初の姿に戻したそうで、これからの益々の活躍が楽しみですね。

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