2010年9月20日〜21日 安芸の宮島から北九州へ
福岡県は初めてという馬藤所員と行く福岡旅行、まずは小倉駅からスタート。
小倉駅は何と言ってもモノレールが駅舎の中に取り込まれているのが特徴。何度見てもこの光景は素敵です。
JR九州の改札口周辺は大きなドーム状になっており、コチラも迫力あります。
それでは、まずは門司港に向けて出発。
途中、EF81形とすれ違います。そう言えば九州で貨物列車を撮ったことが殆どありません。そろそろEF81形などの先行きも不安なものがありますので、次回来る際には撮影しておきたいものです。
では門司港駅に到着。このあと、kajiboohさんとの合流も控えているため、1時間30分程度の強行軍で観光します。そう言えば私は何度も来ている門司港ですが、5年ぶりですね。
こちらは旧・大阪商船。1917(大正6)年築。
洋風2階建。オレンジ色のタイルと石状の帯が外観を覆い、中央部に八角形をした塔屋を配置。かつては大陸航路の待合室として多くの旅人で賑わっていました。
関門大橋。
そして駐車場にて西鉄北九州線100形148号を発見。元は北九州市立交通科学館で保存されていたものですね。既にAC20kV-DC1500Vさんが弊サイトで紹介してくれていますが、すっかり忘れていました。
それにしても、屋根を付けておかないと、だんだん塗装の色あせに車体の腐食が進行してしまうような・・・。
国際友好記念図書館。1994(平成6)年築。
1902(明治35)年、ロシア帝国が中国の大連市に建てたドイツ風建築物を、北九州市・大連市友好都市締結15周年を記念して複製建築したものです。実際に大連で実物を見たときには少々不思議な気分になりました。
旧・門司税関。1912(明治45)年築。
赤いレンガ造りの2階建て。近年、失われた部分の復元も行われました。当然、税関に関する展示を中心に構成されています。喫茶店もあるので休憩にも最適ですが、この日は朝早かったのでそれ以前の話でした(笑)。
旧・JR九州第一庁舎。さらに元々は旧・三井物産門司支店で。1937(昭和12)年築。
門司港駅にほぼ隣接し、当時の門司港周辺で最も高い高層建築で、設計者の松田軍平は、向かい側に建設された旧三井倶楽部の設計者松田昌平の弟です。この日は耐震補強工事が行われており、レトロなオフィスビルとして、これから活用してくれる予感がします。
てなわけで向かい側の旧門司三井倶楽部。1921(大正10)年築、設計は松田昌平。門司港駅の目の前にある洋館で、アインシュタイン博士も宿泊。なお、移築されたもので元々あった場所とは違います。
こちらは旧・九州鉄道本社こと、九州鉄道記念館の本館。
1891(明治24)年築。門司駅(現・門司港駅)の開業と共に、同年にこのエリアで鉄道を運転開始した九州鉄道の本社として建築されたもので、のちに鉄道院、鉄道省、日本国有鉄道が使用。現在はJR九州(九州旅客鉄道)の所有で、今に至るまで一貫して鉄道関連施設として使われ続けているのが特徴です。
山口銀行門司支店(旧・横浜正金銀行門司支店)
1934(昭和9)年築、設計は桜井小太郎。
九州鉄道記念館近くの建物で、典型的な銀行洋風建築。見所は、建物の角の部分を切り落とし、そこに入り口を設けるというスタイル。今では、こういう建築で営業を続ける銀行も少なくなってきただけに、とても貴重です。
本日は営業していませんでしたが、門司港レトロ観光線(やまぎんレトロライン)の線路。う〜ん、見たかった!
さあ、ここで問題。色々な施設がオープンするのが午前9時。そして、我々が次なる目的地へ行くために門司港を出発する予定時刻が9時24分。どこか内部を見学するのは1箇所しか無理です。
九州鉄道記念館に久しぶりに行きたいけど・・・門司三井倶楽部も改めて撮影しておきたい・・・鉄道・・・建築・・・鉄道・・・。
というわけで、とても後ろ髪を引かれつつ旧門司三井倶楽部を見学。かつてアインシュタイン博士が宿泊した2階へ向かいます。
当時の宿泊部屋の様子。さすが、三井のお屋敷だけあって豪華な造りです。
こちらは寝室の様子。
現在も活用されている1階の食堂。これは本当に豪華ですこと。さすが、財閥のお屋敷・・・。
では、kajibooh所員が待つ次なる目的地へ向かうべく、門司港駅を出発します。
さて、門司港レトロを見学した所長&馬藤所員は、JR鹿児島本線でスペースワールド駅で下車。
スペースワールドは九州や山口の人にはメジャーな施設ですが、それ以外の地域の方には知名度があまり高くないようなので簡単に紹介しますと、1990年に開園した遊園地で、新日本製鐵八幡製鐵所の遊休地を活用したもの。開業時からスペースシャトル「ディスカバリー号」の実物大モデルが設置されているのが特徴です。
しかし我々が本日向かったのはスペースワールドではなく、直ぐ近くにある北九州市立いのちのたび博物館でした。ここでkajibooh所員と合流。馬藤所員とは初対面でございますが、そこはkajibooh所員の人柄。あっという間に打ち解けるのでございました。
(そう言えば私が初対面だったときも、あっという間に盛り上がりましたね〜)
さて、この博物館は古生物の化石を中心に、原生生物の標本、北九州の歴史資料など満載。いわゆる郷土博物館のスペシャルバージョンという感じですが・・・、いやいや東京にある国立科学博物館のミニバージョンとでも評しても良いかも知れません。
とにかく展示量が凄い量で、特に化石はメジャーなところからマニアックなものまでバランスよく展示。これだけものが見られるとは思いませんでした。特に体長35mセイスモサウルスの骨格展示が常設されているのには度肝を抜かれました。
ティラノサウルス、プロトケラトプス、トリケラトプスなど、この辺は定番。とは言え、このように仲良く並んで見られるというのは凄い展示です。
ある意味、ここの博物館最大の見所であるマウソニアの全身化石。シーラカンスの1種で、全長3mを超えるものもいた白亜紀前期の生物です。部分的に発見されることはありますが、このような全身化石は世界で唯一だとか。
また化石からはネタが変わりますが、宇宙から見た夜の地球というパネル展示は非常に参考になりました。
やっぱり日本明るい!
そして、それに匹敵する(もしくはそれ以上?)韓国も明るい。北朝鮮との国境線がハッキリとわかるようです。そして中国は北京と上海、香港などを除けば真っ暗。もちろん、全土が光り輝くようになると、エネルギー消費も凄いことになりますので、このままのほうが地球環境には良いことで・・・。
ヨーロッパはこんな感じ。意外とフランスは暗く、またスペインやポルトガルは一部の地域だけが明るい感じですね。
アメリカは東海岸と西海岸で全く異なっています。
ニワトリコレクション。様々な種が、オス、メス両方展示されており、同じ品種でも体の特徴が随分違うことがわかります。
床下にカニ&エビコレクション。
全部丁寧に見ていたら、いったいどれだけ時間がかかるのやら・・・。この先の予定もあるので、少し早送りで進みます。
マンボウ!1999年に茨城県沖で捕獲されたものの標本だそうです。
全長は何と3.3m・・・!
マンモスなどの化石を2階から。
それからセイスモサウルスなどを2階から眺めます。
これ、並べた人が絶妙な巧さですよね〜。
あまりにも自然史の展示が凄く、歴史系の展示が小さく見えてしまいますが、いわゆる装飾古墳の石棺復元は必見。
レプリカですが、室町時代に大内氏が使用した、日明貿易の勘合。
こんな感じになっているとは。
戦国時代、長野城の戦いを再現したもの。長野城は小倉南区にあった山城で、大友氏や毛利氏が攻め込んでいます。
歴史ファンには必見、小倉城と城下町の復元模型。小倉城は本来、現在の姿とは異なり唐破風などのない、すっきりとした天守閣を持つ城でした。
そして縄文時代の竪穴式住居と、昭和30年代の住宅が向かい合う不思議な光景。さあ、貴方は住むならどっち!?
博物館の前には、この場所の歴史を刻む東田第一高炉跡広場が整備されています。これは官営八幡製鉄所として誕生した高炉を、この周辺の再開発後も保存した貴重な産業遺産。近くから見ると迫力があるようなので、また訪問してみたいと思います。
さて、何度も北九州市に来ていながら、なかなか小倉や門司港以外の場所を散策したことがなかったのですが、今回はkajiboohさんの自動車という強力な機動力を持っているため、以前から気になっていた若松区の近代建築を見てみることに。ほぼ1箇所に密集しているので効率よく見られます。
まずこの美しい建物は、旧古河工業若松ビル。1919(大正8)年の建築で、市民の熱意によって保存が実現し、様々な人に貸し出されています。コーナー部が突き出した丸い塔になっているのが特徴的で、より大きい印象を与えます。
旧若松築港株式会社。1909(明治42)年の建築。
旧三菱合資若松支店(現・上野海運)。1913(大正2)年の建築。
栃木ビル。1920(大正9)年の建築。
そして、この場所は洞海湾の上、若松区と戸畑区を結ぶ若戸大橋の下に位置する場所。これもとても美しいデザイン!
そして戸畑区側に渡り、1933(昭和8)年に建てられた旧戸畑区役所(建築時は戸畑市役所)を撮影。この時代に流行ったデザインですね。
そして車は直方市へ南下します。まずは明治時代に建てられた初代博多駅を移築したと言われるJR直方駅を撮影します。直方駅は現在、改築中であり、この歴史的な駅舎も解体されると言われています。何ということでしょう・・・。
(玄関部分は保存されると言う報道もあったみたいですが)
その一方で直方市は、直方駅から少し南にある殿町地区に残る古い街並みを「直方レトロ」として売り出し始めています。玄関口が最もレトロなのに、そっちを解体するというのは不可解ですが、ともあれ町並みには見所がかなり多いです。
町屋はもちろんですが、古い病院建築が3件密集して残っているのが特徴。まずは江浦医院。1901(明治34)年の建築です。
旧・讃井医院(さぬいいいん)(現・向野堅一記念館)。1922(大正11)年の建築で、当初は内科・胃腸科・歯科を備えた総合医院として誕生したものです。ちなみに向野堅一(1868〜1931)は、直方出身で、旧満州(中国東北部)に渡って銀行を設立するなどした実業家で、孫文とも親交がありました。
旧・奥野医院(現・直方谷尾美術館)。1917(大正6)年の建築で、1994(平成2)年に個人の谷尾美術館となり、現在は直方市に寄付されて市立美術館になっています。
もちろん、こういう住居も多数残っています。
それからJR直方駅とは1kmほど離れた別の場所にある筑豊電鉄の筑豊直方駅も見てみました。
ホームに上がると、偶然にも2000形が・・・。ほぼ空気輸送状態で・・・、先行きは非常に不安です。ていうか、JRとも繋がっていないし、市内中心部とも離れていますし、さすがに駅の場所が悪いです。
さて、続いて炭鉱の町である直方の歴史を今に伝える直方市石炭記念館へ。こちらの建物は筑豊石炭鉱業組合の事務所として1910(明治43)年に建てられたもの。
往時は石炭で財を成した実業家たちがここに集結していました。
また炭鉱専用の蒸気機関車コッペル32号と石炭車ロト22号や・・・。
C11蒸気機関車+石炭車セム1号に・・・。
炭鉱で使われた電気機関車なども保存されています。
最後に飯塚市へ南下し、やはり石炭で財を成した旧・伊藤伝右衛門邸へ、明治30年後半に建築され、大正初期、昭和初期に数度の増改築が行われました。また上写真の長屋門は1927(昭和2)年に焼失した福岡市天神町にあった別邸(通称銅御殿)から移築されたもので、大名屋敷を思わせる堂々たるスタイルです。
到着した時間の都合で内部は見られませんでしたが・・・。
豪華な庭園には本当に驚きました。
炭鉱王と呼ばれただけある、壮大な屋敷。
そして・・・実は未だに昼食を取っていなかった所長一行。kajiboohさんの「ラマダンだ」と冗談を言われつつ、福岡空港に向かう途中でラーメンを美味しくいただき、羽田空港へと戻るのでした。
馬藤さん、初めての福岡お疲れ様でした。そしてkajiboohさん、本当に有難うございました〜。