2013年2月2日〜4日 出水のツル、鹿児島交通跡と熊本城へ
さて鹿児島旅行2日目。名残惜しいですが霧島温泉を出発します。辺りはこのような状況で、何といっても硫黄のにおいが凄いものでした。
続いて霧島神宮へ向かいますが、途中で立派な滝を見つけたので撮影。 丸尾滝というもので、高さは23m、幅16m。硫黄谷温泉から湧いている温泉が混じっているため、滝つぼが青白くなっているのが特徴だそうです。それも凄いですが、岩肌が割れ目が並んだような形の、柱状節理(ちゅうじょうせつり)になっているのが圧巻です。
そして一同は霧島神宮に到着。2006年5月にデュークさんと一緒に訪問して以来です。相変わらず朱塗りの社殿が美しいですな。
続いて鹿児島市内に向かいますが、電車で行っても、車で行っても遠い・・・。ただ、今回はゼニガタ所員の運転で車移動だったので、たまたま竜ヶ水駅付近に来たところで、特急「きりしま」の通過時刻であることが判明。撮影してみました。
今や特急「きりしま」も787系化。未だに「つばめ」の印象が強い787系ですが、九州各地で汎用的に活躍する車両になりましたね。
ホームにはこんな記念碑がありました。詳しくは・・・ウィキ先生にでも聞いてください。
さらに線路沿いに鹿児島方面に進むと、西郷隆盛蘇生の家というものを発見。
詳しくは写真にて。ええ、手抜きでスミマセン・・・。
そして日豊本線の車窓からも見える、仙巌園へ!ここは、薩摩藩主島津氏の別邸跡とその庭園です。一度は行きたいと思いながら、4回目の鹿児島市来訪でついに実現しました。天気も非常に良いですし、今まで訪問を先送りしていて、良かったかも・・・??
この場所は、幕末に藩主の島津斉彬が敷地の一部を使ってヨーロッパ式製鉄所やガラス工場を建設。当時、日本でも極めて先進的な技術を持った場所でもありました。
もちろん景色も立派なもので、桜島もよく見えます。
さすがは鹿児島、梅も咲き始めていました。
また、隣接する尚古集成館は1865(慶応元)年に島津斉彬の命で建てられた機械工場。国の重要文化財に指定されています。明治維新前後なら分かりますが、慶応元年の段階で、こんな工場を建てさせてしまうとは、島津斉彬の先見性に改めて恐れ入りました。
さらに鹿児島駅方面へ向かうと、何やら橋が見えてきました。石橋記念公園に保存されているもので、江戸時代後期、島津重豪の命で甲突川(こうつきがわ)に架けられた5つの石橋のうち、3つを移設保存しています。 惜しいことに、1993年の洪水で残る2つは流され、残った3つの保存をどうするか・・・ということで、このような保存になったのだとか。上写真は高麗橋。
こちらは玉江橋。ちなみに、この場所は幕末に薩摩藩とイギリスが戦った、撮影戦争の舞台の1つだそうです。もちろん、橋は関係ありません。
残る1つが西田橋。
西田橋の前には西田橋御門が復元されています。江戸時代は、ここでチェックを受けないと橋の通行が出来なかったのだとか。
さて、ようやく鹿児島市中心部に入ってきました。旧鹿児島県庁も久しぶりに撮影。
そして鹿児島総合車両所の周辺をウロウロ。415系、キハ40系、717系という国鉄型の並びを撮影することが出来ました。
こちらは廃車待ちのようで痛々しい姿に。717系も運用は殆ど無く、今では撮影も困難のようで・・・。
そしてここで、キハ40系特急「指宿のたまて箱」を初撮影!
指宿枕崎線のキハ200系も撮影します。
そして鹿児島中央駅で氷川副所長とお別れし、さらに鹿児島市電の車庫をウロウロ。こんな塗装の車両がいました。
様々な車両が集う鹿児島市電ですが・・・。
レトロな旧型車両も今でも多数在籍。
2120形のうち、鹿児島市電の標準色に塗られている車両にも遭遇しました。
ここで、旧鹿児島紡績所技師館という近代建築を撮影し忘れたことに気がつき、しかもそれが仙巌園のすぐ近くというので、何とも「勿体無い!」と思いながらも、引き換えします。1867(慶応3)年の建築で、外国人技師のための宿舎でした。 和洋折衷ですが、一部が張り出しているなど、設計者の心意気が感じられますね。
最後に、鹿児島駅近くで787系特急「きりしま」を撮影し、本日の撮影を終了。宿泊先へと向かうのでした・・・。