2013年5月25日〜27日 一畑電車・岡見貨物ほか鳥取・島根の旅

〇5月26日


この日は松江駅からスタート。久しぶりに松江城を見に行きたいところではありますが、今回は以前にこの地を訪問したときに一畑電車の撮影をあまりしていなかったので、撮り鉄に注力を傾けることにします。

まずは境線のキハ40形鬼太郎ラッピング車を先頭にした3両編成を撮影。事前にリン所員から情報を得ていたもので、基本的に毎朝みられる光景のようです。

これでイカ娘・・・じゃなかった、ネコ娘ラッピング車の撮影に成功。あとは肝心の鬼太郎と、ネズミ男、目玉おやじ列車が未撮影なので、いつか再び訪問せねば。

さらに木次線色のキハ120形がいたので初撮影。運用としては、木次線分岐駅である宍道駅まで行く運用のようで、そのまま木次線内の運用に入るのでしょう。 さて、この車両は九頭竜線のように朱色一色になってしまうのでしょうか?

続いてリン所員お勧めのポイントである山陰本線直江〜出雲市間へ。駅撮りで適当に済ませることの多い私には珍しく駅間撮影。これもまたリン所員情報ですが、本日の特急「やくも10号」(岡山行き)は9両編成での運転とのこと。 GWやお盆などにしか見られないと思っていましたが、まさか見られるとは思いませんでした。いやあ、長い!美しい!

少しアングルを変えて米子行きのキハ126系普通列車。

続いて、日曜日に出雲市始発で延長運転されている「奥出雲おろち号」を撮影。木次線に行ったことのない身としては、これも初めての撮影。

中国山地を走る路線は、智頭急行を除けば殆ど乗っていないに等しいので、折を見て制覇しておきたいものです。

目的は達成しましたが、出雲市行きの列車まで時間が空いているので、この場所でもう少し撮り鉄を行います。ということで、キハ187系特急「スーパーまつかぜ」。

さらにキハ187系特急「スーパーおき」を撮影。もう少し待てば、285系寝台特急「サンライズ出雲」もやってくるのですが、そうすると益々、出雲市行きの列車を逃すことになり、一畑電車の撮影に行けなくなるため、撤収しました。

さて、こちらが直江駅。一見すると木造の駅舎に跨線橋・・・に見えるのですが、実は駅舎は現在閉鎖されており、跨線橋上に設置された簡易改札からホームへ行く構造。

バリアフリーで無いのが辛いところですが、橋上駅舎になったおかげで、従来の駅舎が無い方でも改札口にアクセスしやすくなっています。

さて、快速「アクアライナー」に乗車しようとしたところ、なんと石見神楽ラッピング列車でした。幸い、僅かながら停車時間があったので編成写真を何とか撮影。

そのまま乗車して、出雲市駅でも撮影しましたが、光線状態が良くないのが悔やまれます。

とは言っても、このデザインはなかなかの迫力。凝ってますねえ。

続いて、サンライズ出雲の入線を撮影し、山陰本線での撮影を終了。続いて、一畑電車の撮影に向かいます。

続きまして電鉄出雲市駅へ。一畑電車ホームページで公開されている運用では、本日は様々な塗装の中で京王カラーのみが運用され、他はすべて休みのはずだったのですが、なんと運のよいことに3000系南海カラーも運用に就いていました。 ・・・南海カラーというか、南海での現役時代を見たことが無い身としては、なぜここに大井川鐵道!?と思ってしまいます。

さて、川跡駅で乗り換え。ここは松江方面、出雲大社方面、電鉄出雲市方面が接続する駅で、ご覧のように3本並ぶ爽快な状態となります。

電鉄出雲市方面への2100系は京王カラー。これは公開されている運用どおりでした。この後、2100系は京王カラーは川跡〜電鉄出雲市を往復する運用に入ります。

私は続いて雲州平田駅へ。ここは一畑電車の車庫があり、近くの踏切からは2100系に一畑電鉄時代の旧標準色を施したリバイバルカラー車がいました。

雲州平田駅構内はこんな感じ。おや、構内にデハニ53がいますね。

そして駅舎の反対側にまわり、3000系の編成写真を撮影。南海リバイバルカラーも良いですが、一畑カラーも良く似合っています。

デハニ53は体験運転に使用されていたようで、駅構内を行ったり来たり。現役時代に撮影したことが無かったので、ようやく動いている姿を撮影できました。

そして雲州平田駅に戻って、車庫でお休み中の5000系を撮影。2100系と同じく、京王5000系を導入したものですが、車内をクロスシートにし、3扉から2扉に改造した特別仕様車です。

こちらの3000系は、水木しげる氏の「のんのんばあとオレ」を描いた「のんのんばあ電車」でした。

駅ホームからデハニ53も撮影〜。

そして再び川跡駅へ。今度は先ほどとは反対側から撮影。

2100系は京王カラー、一畑電車カラーの並びました。これで一畑電車の全塗装をコンプリート!

そして私は出雲大社前駅に到着。

2008年11月に来たときには、寂れた雰囲気だったのですが、見事にリニューアル。1930(昭和5)年に出来た開業当時からの駅で、やはり戦前の建築はきちんと手入れをすれば見違えるようになることが、よくわかります。

駅舎のみならず参道も見事にリニューアル。

また出雲大社前駅の脇はレストランやポケットパークなどが整備。

さらにデハニ52が保存されていました。

車内も公開されています。

出雲大社は2008年に訪問済なのではありますが、ここまで来て無視して帰るというのは勿体無く、訪問してくることに。当時と比べて沿道の店舗は和風に改修され、さらに活気があります。

そして出雲大社は参拝客で大賑わい。ここまで多いとは思いませんでした。一畑電車も車内は満員でしたし、地方に活気があるのは非常に嬉しくなります。

ちなみに出雲大社の周辺も趣があって個人的にお勧めです。この辺りに来る人は殆どいないようですが・・・。

出雲大社前駅に戻ると、5000系「出雲大社号」が到着していました。先ほど雲州平田駅で撮影した5000系と異なり、特製のヘッドマークが取り付けられています。

そしてまたまた川跡駅で乗り換え。

2100系に乗って電鉄出雲市駅に戻りました。 さて・・・、このまま一畑電車の撮影を続行するか、石見銀山に行くか非常に迷うところだったのですが、石見銀山に行くことに。石見銀山は逃げるわけではないので、本来は一畑電車を徹底的に撮影するのが正解かもしれないのですが、如何せん本日の気温は30度近くで、沿線で電車を待つ体力がありませんでした。

 一畑電車と出雲大社を堪能し、出雲市駅から特急で大田市駅へ。さらにバスに揺られて、大田市大森町に到着します。このエリアは世界遺産「石見銀山とその文化的景観」の中心エリアで、古い町並み(大森銀山重要伝統的建造物群保存地区)と銀の採掘場跡(銀山柵内)が数多く残っています。
 すでにネオン所員が弊サイトで詳細に紹介しているので、サイトのネタ的には私が優先していくべき場所かな?と思っていたのですが、やはり自分の目で見るのと見ないのでは大きな違いでした。 まずは代官所跡へ。ここは17世紀に銀山柵内から大森地区に移転した石見銀山支配の中枢施設跡で、現在は1800年頃に再建された長屋門が残っています。

代官所の先が古い町並みのエリア。

その中でも熊谷家住宅は国の重要文化財に指定されており、非常に大きな商家建築であるのが特徴。1800(寛政12)年の大火で街並みの多くが焼失した後、1801(享和元)年に建築でされました。

熊谷家は郷宿、代官所の御用達を務め、石見銀山御料で最も有力な商家でした。

敷地は約1500uで、主屋と5つの蔵と納屋からなる大規模な商家です。

なんと地下蔵も・・・。 さて、ここからはバス停近くで借りた電動レンタサイクルで先に進みます。大森地区から銀山地区までは距離があり、坂道もあるので必須のアイテムですね。

こちらは青山家(県指定史跡)。江戸時代は有力商人の1つ「田儀屋」でした。

こちらは旧大森区裁判所。現在は町並み交流センターとなっています。 区裁判所とは大日本帝国憲法下の司法制度で、現在の地方裁判所よりさらに細かい単位で設置され(島根では7か所)、軽微な事件を扱っていたものですが、このような形で区裁判所が残っているのは珍しいそうです。 ・・・と、弊サイトのネオン所員による石見銀山解説ページからコピペ。

その向かい側の観世音寺は小高い丘になっており、古い町並みを一望できます。また、奥が銀山地区でかつては銀の採掘が盛んに行われていました。

古い町並み。

金森家(県指定史跡)。1800年の大火でも燃え残ったエリアにあり、大森地区の中でも特に古い建築と考えられています。

そのまま先に進むと銀山地区(銀山柵)へ。こちらは地役人の居宅だった渡辺家(国指定史跡)。武家屋敷としての風格があります。

ここで周辺の地図を撮影。ここだけでも実に広いエリアです。

福神山間歩(まぶ)。石見銀山では坑道のことを、江戸時代までは間歩と呼んでいました。明治になってからは坑道と呼ばれるようになりましたが、現在の案内は間歩と統一されています。 このエリアには、観光客が立ち入ることの出来ない間歩が数多くあります。

こちらは高橋家。町年寄山組頭を務めた家です。

さらに奥深いところに入ってきました。この辺りは自転車の乗り入れも禁止で、徒歩で向かわないといけません。

そして龍源寺間歩に到着。こちらは内部を散策することが可能です。

600mのうち、約273mが公開。

GWに再訪した足尾銅山も凄かったですが、こちらはトロッコも無し。まあ、坑道の距離が全然違いますが、こういう場所での作業は大変・・・。

そして古い町並みに引き返しますが、途中の清水谷製錬所跡に寄ります。明治28年から巨額を投じて建造されましたが、不採算でわずか1年半で操業中止に。

当時はこのような姿だったそうです。今では古代遺跡のような雰囲気?

さらに五百羅漢も見どころの1つですが、外からの見学にとどめました。

さて、これにて石見銀山の散策を終了し、大田市駅へ。

少々撮り鉄した後、京都からやってきたゼニガタ所員と合流。

今宵の宿は益田駅前のこちら。通常のビジネスホテルの料金ながら、高級感のあふれる内装で、さらに部屋は広く、大浴場もあり大満足でした!


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