2013年8月31日・9月1日 キハ48形急行「ちどり」と呉・竹原観光

〇8月31日


本日はキハ48形をなんと驚きの国鉄急行色にラッピングして急行「ちどり」として運転するとのことで、リン所員、ネオン所員、さらに味野源次さんまで巻き込んで広島県へ。時間に余裕があったので、まずは史跡めぐり・・・ですが、台風15号の影響で見事に悪天候。観光も一苦労でした。 まずは安芸高田市吉田にある、吉田郡山城へ。毛利元就でおなじみ、毛利家が広島城に移るまで本拠地とした城です。本当は本丸なども見てみたかったのですが、遠いし、雨も強く・・・で山ろくからの風景と、資料館だけ見て撤収。

続いて、その近くにある多治比猿掛城の遠景を撮影。こちら、毛利元就が宗家を相続するまで住んでいた城です。

続いて芸備線の上川立〜志和地で、キハ48形による急行「ちどり」を撮影。違和感があるような、無いような・・・といった感じでしょうか。前面はともかく、側面がキハ58系とかなり違うんですよね。それでも、ラッピングとは思えない雰囲気ですし、どんな形にせよ、この塗装が見られるのはうれしい限りです。

「ちどり」が折り返す三次駅は、車両がかなりバラエティ豊かな状態に。停泊中の車両も多く、たくさんの列車が運転されているように見えます。実態は・・・ですが。

続いて、以前から気になっていた府中市上下町の古い町並みを散策。上下という地名が面白いですね。さらに写真右手の教会は、元々は明治時代に建てられた倉庫を改造したものだとか。ユニークな形になっています。

さらに一気に南下して、東広島市西条で、酒蔵の町並みを散策。

そして、同じく東広島市にある三ツ城古墳を散策し、近くで非常においしい、お好み焼きをリン所員に紹介していただき、堪能しました。 実家が広島にありながら、これまで未踏の地だった広島県北部をようやく堪能。皆様、お付き合いいただき有難うございました。

〇9月1日


予想外に雨の日が続いており、どうやら私が広島滞在中はずっと雨のよう。この時期にこれほど長く雨が続くとは思いませんでしたが、旅行の予定は変更せず本日も遂行します。 ということで、まずは友人の味野源次さんと広島駅で合流し、新幹線で三原駅へ。新幹線ホームからは、かつての三原城の天守台の石垣と堀が見えます。

三原城は毛利元就の三男、小早川隆景が1567(永禄10)年頃から築城が開始されたもので、関が原の戦い後は福島正則、さらに広島藩の浅野家の支城として利用されます。明治維新後は城は次々と破却され、現在のJR線路なども城内を貫通し、さらに新幹線も開通し・・・ということで、現在はこんな状態に。 福山城と並んで新幹線ホームからすぐに見えますが、ある程度の面積が残存し、復元天守に往時の建物も一部が残る福山城と異なり、三原城は随分と寂しいことになっているものです。

さて、在来線ホームに移動して8両編成の117系(山陽本線福山行き)を撮影。サンライナー塗装と、黄色単色の併結編成です。

我々は呉線に乗車し、竹原へ向かいます。ついにラスト1本となった、瀬戸内色の103系です。当初予定では新幹線との乗り継ぎ5分の予定でしたが、大雨の影響で安登〜三原間で徐行運転を余儀なくされ、何とこの列車は我々が乗る予定だった列車より遥か前の列車で、70分遅れで三原駅を折り返しだそうです。 この時点で、我々の予定は約20分遅れ。

途中、忠海駅で黄色単色の103系と列車交換。

並びを・・・と思ったのですが、停車位置が合わない!

結局、我々の当初予定より1時間遅れで竹原駅に到着しました。ということは、この列車の所定ダイヤだと・・・いやいや、もう考えるのもよしましょう。 ただし、この遅れのおかげで雨は幸いにも止んでくれました。

さて、駅前でレンタサイクルを借りて、商店街を抜けていきます。竹原は古い町並みで有名なほか、現在2期が放送されているアニメ「たまゆら」の舞台となっていることから、商店街でもタイアップしてはいるのですが、シャッター通り状態で、売物件の貼り紙だらけでした。 商店街の外周では全国チェーン店が幾つか新規オープンしている状態なので、何とか活性化して欲しいものです。

さて、商店街を抜けてしばらく先に行ったところにあるのが、古い町並み。2003年以来の訪問で、昨年8月に久しぶりに竹原に来たときに寄ろうとしたところ、別の鉄道ネタの撮影に浮気したため、訪問を断念していたのでした。 いかがでしょうか?実に落ち着いた良い雰囲気の町です。 正面に見えるのは笠井邸。無料で見学できるようになっています。

2階からの眺めが格別です。

さらに特徴的な窓ガラスが何とも味わい深いものがあります。

部屋はこんな感じ。アニメ「たまゆら」でも第1期で登場しましたね。

ということで、2階の別の部屋は「たまゆら」コーナーに。その他、これから登場する写真の多くはアニメでも登場していますが、町並みのほとんどがアニメで登場しているので、一々書きません。知っている人だけ、ニヤっとしてください。

笠井邸の全景。非常に素晴らしい家でした。

こちらは松阪邸。

こちらは西方寺の普明閣。京都の清水寺を模して建てられたものです。高台にあるため、ここから竹原の町並みを見るのも絶景です。

また、寺の参道から見る風景も格別ですね。





こちらは日本外史の著者として知られる 頼山陽の祖父、 惟清が紺屋を営んでいた家。

照蓮寺。

昼飯はこちら、200年前に建てられた蔵を使用した「お好み焼き ほり川」でいただきます。

アニメでもお好み焼き屋として何度も登場しており、アニメにちなんだメニュー「真・ほぼろ焼」をいただきました。鶏の照り焼き、えびおぼろ、しょうゆ味じゃがいもなどが入っており、レモンを絞って食べるというもの。絶品でございました。 レモンと、お好み焼きソースもマッチしますね。食べ慣れた、お好み焼きソースにアクセントが入り、新鮮でした。

こちらは木造3階建て、角地の建築が非常にレトロな雰囲気を出している、日の丸写真館。

最後に、商店街でアニメ「たまゆら」のマスコット的存在「ももねこ様」を撮影し、竹原の観光を終えました。では、相変わらず呉線のダイヤはズタボロですが、引き続いて呉へ向かいます。

竹原の古い町並みを散策した後は、呉線で呉駅に向かいます。駅の南側には呉市海事歴史科学館〜大和ミュージアム〜と、実物の巨大潜水艦を陸上展示する「海上自衛隊呉史料館〜てつのくじら館〜」が向かい合って建っており、軍事好きや船が好きな人には、絶好のスポットになっています。 私にとっては2007年以来の訪問。それでは、まずは上写真の大和ミュージアムから見ていきましょう。

まずは企画展から見学。写真撮影は禁止でしたが、これだけは写真撮影OKでした。これが何かと申しますと・・・。

・・・というものだそうです。

 それでは常設展へ。圧巻なのは10分の1で再現された戦艦「大和」。
 日本の持てる技術を最大限投入されて建造された戦艦「大和」は、1940(昭和15)年に進水。連合艦隊旗艦としての任務に就きました(昭和18年2月10日まで)。1942(昭和17)年6月4〜6日のミッドウェー海戦支援、1944(昭和19)年6月19〜20日にはマリアナ沖海戦、同年10月24〜26日にはレイテ沖海戦に出撃し、1945(昭和20)年3月19日には、山口県岩国市沖の柱島水域にてアメリカ海軍空母機と交戦。
 そして、1945(昭和20)年4月6日、山口県の徳山(現・周南市)を出航した「大和」は翌7日、九州南西沖でアメリカ海軍空母機の多数の攻撃に遭い撃沈しました。最終時の乗組員は3332人で、生存者は僅か276人。

こうして悲劇的な最後を迎えた戦艦「大和」でしたが、これを造りにあたって開発・投入されたブロック工法・先行艤装や生産管理システム、製鋼技術などの多数の技術は造船のみならず新幹線や高層ビル建築など、日本全体に計り知れない影響を与えました。なお、この模型は全長約26m!! ということで、本物だと263mもあります。実に大きい!

海軍の軍艦模型は、さすがに10分の1は無理としても他にも数多く展示されています。そのうちの一部から、こちらは戦艦「長門」。

こちらは一等巡洋艦「高雄」。

こちらは航空母艦「大鳳」。

 このほか、本物の零式艦上戦闘機六二型なども展示されています。この機体は、明治基地(現 愛知県安城市)第210海軍攻撃隊の所属機で、吾妻常雄 海軍中尉(中尉)が操縦中、エンジントラブルで琵琶湖に不時着水させ、沈んでいたもの。1978(昭和53)年に引き上げられ、吾妻氏ご本人の協力で復元されています。
 そう言えば、8月31日までアメリカのプレーンズ オブ フェイム博物館所蔵の五二型 が所沢航空発祥記念館で特別公開されていたのですが、すっかり見に行くのを忘れてしまいました。勿体無いことをした・・・。

屋外には、2つの船が展示されています。こちらは潜水調査船「しんかい」。1968(昭和43)年に竣工したもので、戦後初の本格的潜水調査船として川崎重工業神戸工場で製造。1975(昭和51)年まで伊豆半島沖などで水深600mまでを調査していました。

こちらは水中翼船「金星」。1966(昭和41)年、日立造船神奈川工場で竣工したもので、広島〜呉〜広島を結ぶ海上航路に投入され、従来のフェリー所要時間であった2時間40分から1時間10分に短縮。1999(平成11)年に退役し、ここに保存されています。 さすが、以前に来たときより塗装の劣化等が・・・。屋外保存ですから、致し方ないですね。

続いてこちら。海上自衛隊による「てつのくじら館」という、広報施設を見学します。こちらは潜水艦「あきしお」実物を展示し、内部に入ることが出来ます。 「あきしお」は、1985(昭和60)年に進水した、「ゆうしお」型潜水艦。三菱重工業神戸造船所で製造され、第1潜水隊群第1潜水隊に所属。1990(平成2)年6月に第5潜水隊に所属替えし、2004(平成16)年に除籍。長さは76.2m、幅は9.9m、そして深さは10.2m。ここへの壮大な陸揚げ作業は、多くの注目を集めました。

「あきしお」内部の様子。とにかく狭いスペースを有効活用して内部が構成されています。ここで長時間生活し、任務に就かれている方には脱帽です。

このほか、海中の機雷除去に関する展示が多数。海上自衛隊の掃海任務について、学ぶことが出来ます。こちら、イタリア製のMN103機雷、通称「マンタ」(MANTA)。

また、海上自衛隊が掃海で使用する様々な機械等も展示されています。す、凄い顔・・・。

これにて呉の観光を終了し、駅舎図鑑用に呉駅を撮影。

駅北口にあった百貨店「そごう」は、このとおりの状態。郊外店の進出に加えて、駅の南側に大型商業施設などが開業してしまうと、どうしても・・・ですね。

さて、呉駅ホームに入ると宇宙戦艦ヤマトのテーマを入線メロディーに黄色い115系が入線。うわさには聞いていましたが、これは楽しいですね。

そして広島駅で東京に戻る味野さんとお別れし、駅前で少しだけ広島電鉄を撮影。ちょうど、5100形サンフレッチェ広島ラッピング車がやってきました。う〜ん、似合いますねえ。

広島駅前電停。様々な車両が次々と発着していて、見ていて飽きません。色々な鉄道ファンの方のブログを見ていると、西武鉄道を重点的に追いかけられている人や、東急を・・・などの方を見かけますが、私も出来れば広島電鉄を今後とも力を入れて撮影し続けたいものです。とは言え、ここに来るまでが大変なので、期間限定のネタはどうしても、リン所員にお任せするしかないですが。

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