2014年5月10日 石田堤&さきたま古墳群」を見る
GWの遊び疲れも消えない中、今度は職場の上司と同僚と一緒に、埼玉県行田市へ。まずはJR行田駅前で電動レンタサイクルを借りて、自転車を東へ走らせ20分程度の場所にある、石田堤を見ます。
これは、豊臣秀吉が関東平定が小田原の北条氏を攻めた際、秀吉家臣の石田三成が、北条氏方の成田氏が守る忍城を攻略するために、忍城の周囲約28kmに渡って、水攻めのために僅か1週間で構築した堤の跡です。 利根川や荒川の水で忍城を水浸しにする予定でしたが、増水した水が堤防を決壊させ、石田方に多くの被害を与えてしまい、失敗に終わっています。 現在は行田市と鴻巣市にかけての一部、約250mに遺構が残っており、上写真のような状態になっています。
さらに北へまっすぐ向かうと、古墳密集地帯である「さきたま古墳群」にたどり着きます。上写真も石田堤の跡で、さらにその先には・・・。
石田三成が陣を置いた丸墓山古墳があります。古墳の上は登ることが可能で・・・。
忍城を遠くに臨むことが出来ます。今や住宅が周囲に密集し、クレーンも邪魔ではありますが、石田三成が見た風景を若干ですが想像できますね。
また、丸墓山古墳からは稲荷山古墳がよく見えます。見事な前方後円墳で、なかなか古墳を上から見る機会もないので、非常におすすめです。
この稲荷山古墳からは、金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)が発見されており、国宝に指定。X線検査の結果、鉄剣の両面に115文字の漢字が金象嵌で表されていることが判明され、日本の古代史を読み解く上での重要な手がかりとなっています。
こちらは鉄砲山古墳。江戸時代に忍藩が砲術訓練場として使用したのが名前の由来という、ユニークな古墳名です。
ちなみに個人的に、さきたま古墳群は2005年12月に大黒屋所員と訪問して以来、実に8年以上ぶりです。当時気が付かなかった点も多数発見できて大満足。詳しくはHPで紹介しますが、このように古墳だらけです・・・。 しかも、行田市はここ以外にも古墳が点在しております。