2015年2月28日 熱海で583系、京成3300形ラスト、東武&都電を撮る
この日は青森から伊東に向けて583系が運転されるというので出撃。とは言え、午前7時頃に熱海駅に着くダイヤなので撮影場所は限られ、また以前に伊東駅では撮影しているため、熱海駅で迎撃することにしました。 待ち構えていたファンは数名程度で、何の苦も無くバッチリとゲット。
伊豆急行8000系との並びが、ここが伊豆半島であることを示しております。
ついでにE231系も撮影。
上野東京ライン開業に向けて、路線名表示が英語表記に変更されております。記事を書いている段階では、いよいよ明日開業。普段乗車しているだけに、その変化が楽しみです。
続いて、鶯谷駅でE231系500番台「東京駅開業100周年ラッピング車」を撮影。う〜む、側面に日が当たらず、これは微妙。
停車中の姿も撮影しましたが、完全に逆光ですな。
さて、この日は与太郎さんから招集命令がかかり、京成3300形のラストランを撮影することに。京成の撮影地は詳しくないので、与太郎さんに言われるがままに京成関屋〜堀切菖蒲園で撮影することにしました。
まずは送り込み回送。最後尾はスカイツリーとも絡めてみました。
送り込み撮影後、ここにいた大量の鉄道ファンは民族大移動のごとく対岸に移動しましたが、歩くのが面倒だったこともあり、引き続き同じ場所で待機。
送り込みでは隠されていたヘッドマークも掲出し、いよいよラストランです。こちらは特急成田山のマークですね。
最後尾は「さよなら3300形」のステッカーを掲出。この後、終点の成田駅ではファン集結で阿鼻叫喚の図だったようですが、ますます鉄道ファンの印象が悪くなるなあ・・・と懸念しております。 さて、目的はこれで果たしてしまいますが、この後は特に予定がなかったので、「私を満足させるように」与太郎さんに無理やり予定を生み出してもらうことにします。
続いて自転車という文明の利器を保持する与太郎さんに徒歩でお付き合いして、まずは東武スカイツリーラインの堀切駅へやってきました。一昔前の私鉄らしい、良い味を出している駅舎ですね。
ここから隣駅の鐘ヶ淵駅まで歩きますが、その間に列車を撮りながら南下していきます。
東急8500系もいつまで活躍するのでしょうか。
こちらは6050系。
東京メトロ08系。半蔵門線を使うことがないので、随分と久しぶりに撮影した気がします。
東武30000系、シンプルなデザインながらも端正な顔つきでいいですね。そして、様々な車両が走っていくので撮影に飽きませんな。
そして鐘ヶ淵駅に到着しますが、駅前に昭和の薫りが漂う商店を発見。大島百貨店と金文字で誇らしげに掲げられており、日曜大工や家庭用の金物類ならお任せあれ、という感じのようです。
続いて鐘ヶ淵駅を通過する100系を後追い撮影。
こちらは10000系。
さらに反対からも100系。帯の色が光っております。
続いて東向島駅へ電車で移動し(与太郎さんは自転車)、634形の回送を迎撃。
久しぶりに東武博物館の脇を通りますが、今回は通過するだけです。では、この季節ならではの場所へ行くとしましょう。
東向島駅から徒歩で、今度は向島百花園へ行きます。梅祭りを開催していますよと与太郎さんオススメの場所。名前は聞いたことがありましたが、これまで訪問したことがなかったので、突撃します。
この場所は1805(文化2)年頃、骨董商を営んでいた佐原鞠塢(さはら きくう)が、交流のあった江戸の文人墨客の協力を得て、旗本である多賀氏の元屋敷跡の約3000坪を購入し、ウメ360本を中心とした民営の花園として開設したのが始まりです。
それが今でも梅の名所として親しまれているわけですから、江戸の香りを十分堪能することが出来ます。いやあ、綺麗ですなあ。
雪吊りでしょうか。なかなか面白い景観だったので撮影。
天まで届け?
梅以外にも様々な植物が植えられており、こちらも見どころです。
さらに、こちらの由来の碑には・・・。
なんと、東京市という文字が残っています。仮に、大阪市も府と合併することになれば、大阪市という表現に違和感を覚える世代も出るかもしれませんね。
さらに隅田川に向かって西へ歩き、川沿いにある東白鬚公園を歩いてみます。
途中、木母寺(もくぼじ)という天台宗の寺があり、大きな石碑があったので撮影。
高さ5m,幅3mの巨費で、明治のはじめに貿易で成功を収めた田中平八が、親交のあった伊藤博文の書により建立したものだとか。
ちなみに東白鬚公園沿いには都営東白鬚アパート群が連続して並んでおり、隅田川の堤防のような景観を形成。大変ユニークですね。遠くにはスカイツリーも見えます。
そして隅田川を渡り、南千住駅周辺へ。高層マンションが次々と出来ており、一昔前の風景とはずいぶんと変わりました。
ここへ来たのは、JR貨物の隅田川駅で何か撮影できないかと思ったからなのですが・・・。
残念ながら、そう簡単に電気機関車や貨物列車が撮影できる状態ではありません。
また、南千住駅前にある延命寺へ。ここは、江戸時代に処刑場だった場所で、境内にある首切り地蔵は刑死者の菩提を弔うために、1741(寛保元)年に建立されたものです。この地蔵さん、数えきれないほどの血を見てきたんでしょうね・・・。
・・・・。 で、では少し背筋がぞっとしたところで、今度は都電の撮影に行きます。
南千住駅前からさらに歩き、今度は都電荒川線の荒川一中前停留所で都電を撮影することにします。まずは9000形。
7000形。
8800形。
9000形の折り返し。
こちらも8800形ですが、先ほどとは色違い。さらに帝京大学の広告が掲載されています。
7000形。
さらに荒川車庫前に都電で移動しますが、与太郎さんの自転車に敗北・・・。都電は便利ですが、やはり遅い・・・というか、これは喜ばしいことではあるのですが、乗客が非常に多くて乗降に時間がかかりますね。 さて、7000形の旧塗装をゲットします。
さらに敷地外からの撮影ですが、赤帯の7000形と花100形。機会があれば、単体で撮影してみたいものですね。
それから6000形もいました。
さらに、都電おもいで広場で5500形と・・・。
なんで、こんな撮りにくい角度で置いたのかと思うのですが、7500形を撮影。
さらに、7000形の広告なしバージョンを久々にゲット。
先ほどの7000形旧塗装が運用に入り、急きょ撮影しました。現行のカラーリングとの並び、いただきます♪
さらに、あらかわ遊園で保存されている6000形(6152号)を見に行きますが、ちょっと残念な塗装のハゲ具合・・・。そのうち修復してくれると思うのですが、今は無残です。
これにて与太郎さんとお別れし帰路へ。折角なので駅舎図鑑用のネタも求め、日暮里・舎人ライナーに乗ることにしました。
西日暮里駅では、偶然にも都バスの旧塗装をゲット。バスはめったに撮影しませんが、やはり珍しいネタとなれば捨て置けません。出来れば、全国のバスのカラーリング図鑑なんかもやってみたいですが、始めたら最後、収拾がつかなくなりますな。