2015年6月6日・7日 大阪、姫路、宇治&奈良を巡る旅
この日は姫路城からスタート。これまで3回訪問しており、平成の大改修前の2008年3月に訪れたのが最後だったのですが、美しくなった姿を是非記録しておきたく、行ってみました。
姫路城の魅力は、天守閣の美しさもさることながら、周辺の櫓や塀が残っており、引き締まった姿になることではないでしょうか。
それでも江戸時代の比べると、空っぽの部分も多いのですけどね。
そして、様々な角度や構造物と一緒に天守閣が撮影できるのが魅力的。
さて、天守閣に行こうとしたのですが、朝から長蛇の列。過去3回の訪問では、そのような記憶は全く無いだけに驚きです。
結局、30分ほど待って天守閣に入ったのですが・・・。
中に入ってからも先に全然進まず、時間だけが無駄に過ぎていきます。
何とか最上階に辿り着き、姫路市街を一望したのは良いのですが、この後の行程上、ゆっくりすることなく次の場所へ行かざるを得ません。
・・・であるにもかかわらず、西の丸へ行って、このような角度で天守閣を撮影したり。
そして、最もお気に入りの1枚を撮影。どうです、威厳があるように見えませんか?・・・が、益々時間を浪費し、タクシーに飛び乗って姫路駅へ戻り、殆ど乗り継ぎ時間ゼロで新幹線に乗車したのでした。 ああ、せわしない・・・。
姫路で新幹線に飛び乗って京都駅へ。さらに奈良線に乗り換えて宇治駅で下車します。ちょうどスカイブルー色の103系が停車していました。奈良線の103系の所定はウグイス色ですが、こちらも活躍していたんだ・・・。
宇治には何度か来ていますが、JR宇治駅で下車するのは初めて。現代的な橋上駅舎ですが、ちょっと和風のテイストも入ってますね。
驚いたのは駅前の郵便ポスト!何と宇治茶の壺でした。 色々とご当地ポストはありますが、壺というパターンは初めてですね。
さて、宇治で降りたのは平等院へ行くためですが、駅前に素敵な和風建築があるので行ってみたところ、中村藤吉本店という宇治茶の老舗でした。現在は店舗として使われていますが、通りに面した建物は明治中期の建築で、玄関から右側が焙炉場(お茶を製造するところ)、左側が主屋でした。
大正時代にお茶の製造が機械化され、奥に新たな工場を造ったことから、焙炉場は事務所やお茶を詰める場所に転用されました。 国選定重要文化的景観「宇治の文化的景観」の重要構成要素に指定されています。 国選定重要文化的景観という言葉は恥ずかしながら初見でしたが、2006年1月26日に、滋賀県近江八幡市の「近江八幡の水郷」が第1号に指定されたのを皮切りにスタートしたようで、順次拡大しているみたいですね。 http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/keikan/
さて、既にホームページで写真を掲載していますが平等院鳳凰堂へ。
2012(平成22)年9月から2014(平成26)年3月にかけて修復が行われた際に、当時の姿に復元されました。これに伴い、渋い姿から厳島神社ほどの明るさではないにしても、極彩色に。
見慣れた姿から随分と変わってしまいましたが、平安絵巻のような光景になりましたね。実に美しいです。
平等院はまた、1180(治承4)年、以仁王(もちひとおう)と共に平家打倒の兵を挙げた源頼政が、宇治での戦いに敗北して自害した場所と伝わり、その墓があります。
宇治での最後に宇治川を見ておきますが、ゆっくりし過ぎて列車に乗り遅れそうになり、滑り込みセーフで駅へ!まあ、今回は次の列車でも良かったのですが、相変わらず時間に追われる旅行が続きます。 確かに私の旅行はそういう傾向がありますが、今回は特に酷い(笑)。
宇治から超特急でやって来たのは、なんと奈良。本来であれば、朝から一日ガッツリと観光すべきところなのですが、もちろん何度も行っていますので、今回はピンポイントで見たいところへ直行。
その場所とは、春日大社。
・・・と言っても春日大社も何度か来ており、お目当てはこの中門の奥にある国宝の御本殿。前日にJRに乗っていたところ、20年に1度の式年造替に併せて、20年ぶりに特別公開されているとの情報をキャッチ。 残念ながら写真撮影はNGだったので目で見るだけになりましたが、実は御本殿よりもレアな、明治維新以来140年ぶりに開門した後殿も見ることが出来、大変至福な時間を過ごすことが出来ました。この前、ブラタモリでも放送されましたね。
ちなみに公開期間延長の結果、6月末まで見ることが出来たようです。
これで目的は達成しましたが、流石に京都にとんぼ返りではあまりにも勿体無いので、東大寺も見ておくことにしました。こちらも時折訪問していますが、南大門の大きさには圧巻です。 しかも1199(正治元)年築ということで、鎌倉時代の建立! ちなみに南大門は、俊乗坊重源が中国・宋から伝えた大仏様と呼ばれる、豪放な建築様式で建てられた、日本でも数少ない現存例の1つ。門の左右には運慶および快慶、定覚、湛慶らが制作に携わった木造金剛力士立像(国宝)が安置されています。
大仏殿。おなじみですね。
こちらもお馴染みの大仏様。時代ごとに補修が重ねられており、ブラタモリの放送でどの部分がいつの時代のものか、よく分かりました。奈良時代から残っているのは、下の部分なんですね。頭は江戸時代。
大仏も凄いのですが、三月堂もオススメ。 何しろ左側は747(天平19)年頃、すなわち東大寺創建当時に建てられたもの。右側の礼堂(らいどう)部分は鎌倉時代の1199(正治元)年に老朽化した天平建築を取り壊して造られました。 東大寺の歴史を伝える大変貴重な古建築であり、さらに内部にある本尊の不空羂索観音立像や、日光・月光菩薩像など天平文化を伝える仏像群が整然と並んだ姿は、とにかく圧巻としか言い様がありません。まさに神々しい雰囲気です。
最後に国宝の二月堂へ。 1669(寛文9)年築。旧暦2月に「お水取り」(修二会)が行われることからこの名前で呼ばれます。度重なる戦乱にも耐えてきた・・・ところ、なんと江戸時代の1667(寛文7)になって、その「お水取り」の最中に失火で消失したため、江戸幕府第4代将軍、徳川家綱の寄進によって復興したものです。
二月堂に登るのは実は初めて。何ともタイムスリップしたかのような、奈良の光景を一望できます。
二月堂をバックに1枚。これにて、色々なところをつまみ食いする旅行は終了となり、帰路に着きました。相変わらず何度も行ったことにある場所を訪問している結果にはなっていますが、行けば行くほど、色々な発見があるものです。