2015年9月19日 シルバーウィークは189系三昧


シルバーウィーク初日の9月19日。中央本線では189系による臨時特急が多数運転されるというので、当然のごとく出撃。まずは、早朝の新宿駅でM50編成による189系特急「あずさ71号」を狙います。 最初は幕回しから開始。

久しぶりにあずさ色による特急「かいじ」幕をゲット。

そして、あずさ幕になったところで新宿駅から一時撤退。

列車に乗りながら、どこで撮影しようか悩んでいるうちに豊田駅に到着。これ以上は普通列車で先行できないため、必然的にここでの撮影に。

再び来た道を引き返し、立川駅で209系「むさしの号」を撮影し・・・。

西国分寺駅で特急「かいじ186号」を狙ったところ、M51編成でした。てっきり、GUあずさ色のM52編成が充当されるものとばかり思っていたのですが、故障に伴い代走だったようです。これは嬉しい誤算。

E353系登場でそろそろ先が気になる、E351系特急「スーパーあずさ」もセットで撮影。長い編成ですね〜。

さて、先ほどの国鉄色「かいじ」の折り返しが「あずさ」になるため荻窪駅で待ち構えることにします。すると、東京メトロ東西線05系のリニューアル車がやって来ました。東西線は何度も見たり乗ったりしていましたが、遭遇することさえ初。

三鷹からの折り返しを撮影。うむ、傾いてしまった・・・。

後追いも撮影しておきます。

続いて、特急「スーパーあずさ」を撮影し・・・。

189系特急「あずさ79号」をゲット。別に国鉄色だけが素晴らしいとは思いませんが、やはり正統の姿は凛々しいものですね。

同じ場所で引き続き狙っても良かったのですが、長野総合車両センターN102編成による特急「あずさ81号」の幕回しを狙いに新宿駅へ。 たしかに「あさま」幕は撮影できましたが、側面の光線が・・・。

復活した「ASAMA」ロゴ。

そして、「あさま」トレインマーク。

「はまかいじ」幕も撮影。

結局、「あずさ81号」は大久保駅でゲット。

後追いの方が光線状態がよく、トレインマークの状態も綺麗です。松本方のトレインマークを入れるケースが汚れているか劣化しているのだと思いますが、出来れば交換してほしいですね・・・。 さて、この後はもう1本、189系「あずさ」があるにはあるのですが、今度は非鉄の場所へ向かうことにします。

鉄道三昧のあとは、美しい建築と庭園を見ましょう。JR山手線の駒込駅近くにある、古河庭園へ向かいます。 敷地は、元々は明治時代の大政治家である陸奥宗光の別邸だったもので、彼の次男である潤吉が古河財閥創業者の古河市兵衛の養子となったことから、古河家の所有となりました。 そして、洋館と洋風庭園は1917(大正6)年に造られたもので、鹿鳴館、ニコライ堂や旧岩崎邸(洋館)などの設計を手がけたイギリス人、ジョサイア・コンドルの晩年の作品。

さて、1926(大正15)年に古河虎之助(市兵衛の晩年の子で、潤吉が36歳で亡くなったことから三代目当主となった人物)夫妻が引き払い、賓客用の別邸に。 さらに1939(昭和14)年に国民党の汪兆銘が滞在。そして、戦争末期には九州九師団の将校宿舎として接収され、戦後は英国大使館付き武官の宿舎となりました。現在は国の所有の上で、東京都が借り受けて一般公開しています。 建物内部の見学は事前申し込みの他、混まない限りは当日受付も可能で、久しぶりに見てきましたが、撮影は禁止です。

庭園は高低差を利用しており、高台はバラ園、そして低地は見事な日本庭園が広がっています。

また、日本庭園の脇には茶室もあり、洋館とはがらりと変わった光景が楽しめます。

さて、駒込駅に戻る途中に「たたみ!」と自己主張の激しい畳店を発見。これはぜひ、ネオン所員に調理してもらわねば。

続いて六義園へ。1695(元禄8)年、江戸幕府第5代将軍の徳川綱吉より、駒込を拝領した側用人の柳沢吉保が自ら設計、指揮をして7年の歳月をかけて、平坦な地に丘や池を造り、1702(元禄15)年に完成させたもので、回遊式築山泉水庭園として造園されました。

柳沢吉保の死後は荒廃していきますが、明治10年ごろに三菱の創業者である岩崎弥太郎が、付近の藤堂家、前田家、安藤家の屋敷と共に邸宅の一部として購入し、再び美しく整備されます。そして、1938(昭和13)年に当時の東京市へ寄付され、広く市民に開放されることになりました。 以前にも紹介しましたが、晩秋には幻想的にライトアップされるので、今から楽しみです。

↑ PAGE TOP