2017年1月22日 和歌山の文化財を巡る


この日はまず、新大阪駅でネオン所員と合流して地下鉄御堂筋線で少々撮影。置き換えが進められる北大阪急行8000形をゲット。



こちらは北大阪急行9000形3次車


残り僅かな10形

30000系との並び。


天王寺駅では大阪環状線の103系ラッピング列車をゲット。これを撮影している最中に、大和路線の103系と201系の並びの撮影を逃したのが少々残念です。



さて、和歌山駅に到着して105系を撮影。元・常磐線の103系顔をゲットです。ここでリン所員とも合流し、車移動を開始します。


 まずは紀州東照宮。和歌浦にある神社で、江?幕府初代将軍の徳川家康を神格化した東照大権現と、家康の?男で紀州藩祖・徳川頼宣を神格化した南龍大神を祀っています。
 徳川頼宣が紀州藩主となった1620(元和6)年に着工し、翌年に完成した本殿や拝殿、唐門、東西瑞垣、楼門、東西廻廊がすべて現存しており、国の重要文化財に指定されています。左甚五郎による精巧な彫刻や狩野、土佐両派の絵画、漆塗り、極彩色により装飾された荘厳された社殿は必見で、関西の日光とも呼ばれるとか。



 続いて、ほぼ隣接し、先に創建された和歌浦天満宮へ。学問の神様である菅原道真を祀り、大宰府天満宮、北野天満宮とともに日本の三菅廟といわれています。
 社伝によれば、10世紀後半(平安時代中期)に創建されたといわれ、紀伊国名所図会(江戸時代後期)では菅原道真が大宰府に左遷される際、和歌浦に停泊したとしています。現在の社殿は1585(天正13)年の羽柴秀吉による紀州攻めの後、和歌山城代の桑山吉晴による修築を経て、1605(慶長10)年頃に紀州藩主の浅野幸長が再建させたものです。







 さらに紀三井寺(きみいでら)へ。正式には紀三井山?剛宝寺護国院といい、西国三?三所第2番札所。もと真言宗山階派でしたが1948(昭和23)年に独立して救世観音宗(ぐぜかんのんしゅう)の総本山となっています。
 名草山(なくさやま、228.6m)の中腹に位置し、231段の石段を登ると和歌浦が?望できます。また、寺の名前の由来といわれる山内に涌く三つの井戸(さんせいすい?吉祥水・清浄水・楊柳水)は、1985(昭和60)年に環境庁(現・環境省)が選定した「名水百選」に選ばれています。
 寺伝によると、770(宝亀元)年に唐の僧である為光(いこう)上人によって開かれたとされ、江戸時代は紀州徳川家の繁栄を祈願する寺として歴代藩主が訪れました。1509(永正6)年に建築された楼門、1588(天正16)年に建築された鐘楼、1449(文安6)年頃に建築された多宝塔は、いずれも国指定重要文化財に指定されているほか、本堂は1759(宝暦9)年の建築で和歌山県指定文化財です。

もう1本、223系を撮影して別の場所へ移動。


ここで和歌山電鐵の撮影へ。交通センター前駅で、いちご電車をゲット。


駅前の交通公園にはこんな保存車両が。南海大阪軌道線モ217です。車内は木製のベンチになっていました。



さらに、「おもちゃ電車」と「たま電車」の先頭車1両ずつが連結された編成を撮影。まあ、少しぶれましたが・・・。

今度は伊太祈曽駅へ。

南海カラーの電車を撮影。

先ほどと同じ列車をここでも撮影します。

ここで、いちご列車に乗り込んで貴志駅へ。


車内の様子

特徴的な駅舎です。


亡くなった、たま駅長に代わりお勤め中のニタマ駅長と初対面。たま駅長が存命中にも来たかったものです。

今度は「うめぼし電車」で折り返し。

同じ水戸岡デザインでも、新しい方がより手が込んでいる傾向にあります。天井まで木目調・・・。


さて、車に戻って北上を開始。

途中、国指定重要文化財の旧中筋家住宅を発見するも、この日はお休み・・・。

今度は岩出市にある根来寺へ。新義真言宗の総本山。1126(大治元)年、高野山金剛峯寺の高僧だった覚鑁(かくばん)上人が鎮守の祠(ほこら)と僧房を建てたのがはじまりと云われています。

室町時代末期には、領地72万石、子院数2700を数え、さらに鉄砲で武装した僧兵団「根来衆」を擁する一大武装勢力ともなりますが、1585(天正13)年に豊臣秀吉による紀州攻めによって寺院の大半が灰燼に帰します。

しかし、大塔(多宝大塔)や大師堂は焼失を免れ、今も現存するほか、江戸時代に紀州徳川家の庇護を受けて復興した伽藍の多くも現存しており、非常に見ごたえのある建築群となっています。

さらに、旧和歌山県議会議事堂へ。1898(明治31)年に和歌山城の東、和歌山市一番町に建てられたもの。正面より本館、議場、控室の各部に分かれます。当時の県庁は洋風建築でしたが、議事堂は和風の木造2階建て建築という意匠でした。ただし、木屋組には洋式のトラス構造が採用されています。

 1938(昭和13)年に議場を備えた県庁が完成すると、1941(昭和16)年に保証責任和歌山県信用購買販売利用組合連合会(現・JA和歌山)へ売却され、和歌山市美園町へ移築されて事務所として利用。さらに、1962(昭和37)年に岩出市の根来寺へ移築され、寺の山号の「?乗山」に因んで「?乗閣」と名付けられ、大客殿として集会や合宿場としても使用されました。
 そして、2012(平成24)年?2015(平成27)年度に保存修理が行われ、根来寺近くへ再移築の上で?般公開されています。なお、和歌山県指定文化財となっています。

往時はこんな感じで使ったようです。



最後に泉北高速鉄道に初乗車。特急泉北ライナーに乗車して、帰路につきました。

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