2017年6月24日 犬山城と明治村を巡る旅


3週連続で日帰り旅行という、何とも非効率的な旅行で、今回は犬山市へ。まずは名古屋駅へ降り立ち在来線ホームへ向かうと681系特急「しらさぎ」がお出迎え。北陸新幹線金沢開業後、大半の列車が683系から681系へ車両が古くなるというのは…。


目的地はタイトルの通り犬山なのですが、何を血迷ったか名鉄岐阜駅経由とします。まずは1800系をゲット。



3300系「岐阜市信長公 450 プロジェクト」ラッピング電車も撮影出来ました。大垣女子短期大学デザイン美術学科の学生が織田信長公や濃姫等をメインにデザインしたとか。2017年3月6日(月)〜11月12日(日)まで運転されています。

さて、犬山遊園駅で下車。6500系をゲット。


1000系+1800系による特急「パノラマスーパー」もゲット。間もなく姿を消すことになる旧塗装です。

さて、犬山遊園駅からは徒歩で名鉄犬山ホテルへ。2019(令和元)年8月31日で営業を終了したので、この姿は過去のものに…。

ホテルに用があったのは、敷地内にある日本庭園「有楽苑」を見るため。織田信長の弟である織田有楽斎が建てた茶室「如庵」(国宝)、旧正伝院書院(国指定重要文化財)、古図により復元された元庵、新しく建てられた弘庵などがあります。上写真は伝・徳源寺(大和国)唐門。


茶室「如庵」。内部は二畳半台目で、床脇にウロコ板を入れ斜めの壁を作っているところから「筋違いの囲」と云われます。

旧正伝院書院。元和4年に如庵(じょあん)に隣接して建てられた有楽斎の隠居所で、入母屋造の温和な外観が特徴。


織田有楽斎が大阪天満の屋敷に建てたと云われる「元庵」を古図に基づき復元したもの。

続いて、犬山城下を歩きます。景観が整備され、歴史的な雰囲気が感じられるようになっています。

何度か犬山には来ていますが、今回は「城とまちミュージアム」を初訪問。何と、江戸時代の犬山城下町を再現した模型がありました。1840(天保11)年8月28日の犬山祭当日を再現したものです。


今では天守閣以外、大半の建物が失われた犬山城も再現。


ということで、その犬山城へ。

上段の間。


最上階からの眺め。

何の変哲もない光景ですが、犬山城大手門跡。

かつてはこのような風景だったとか。大手門から北が上級武家屋敷、南側に城下町が広がっていました。

大手門から延びる本町筋沿いの城下町を散策。

見どころの1つが旧磯部家住宅。江戸時代から戦前まで呉服商、戦後はお茶の製造販売を行っていた商家です。主屋は幕末(慶応年間)に建てられたと云われ、緩やかなふくらみのある「起り屋根(むくりやね)」は犬山市内の町家で唯一現存。主屋2階は天井が低く、正面側のみ部屋が造られ、背面は屋根裏という、犬山では「バンコ二階」と呼ばれる造りになっています。


主屋内部は、棹縁天井、一間の床の間、違い棚、書院、長押付の部屋があります。

1875(明治8)年築の土蔵。正面は黒漆喰塗りの海鼠(なまこ)壁で、北側は瓦を用いた海鼠壁なのが特徴です。

裏座敷。1870(明治3)年築で、六畳室、釣り床付の八畳室から成ります。


奥土蔵。明治8年築です。

物置。明治中期の建築です。



こちらは「どんでん館」。犬山祭で曳かれている高さ8mの車山(やま)が4輌展示されています。なお、「どんでん」とは、車山が城下町の辻で豪壮に方向転換する様のこと。


続いてバスに乗って明治村へ。既に「日本の旅」コーナーで紹介済みなので、幾つかだけ。こちらは、三重県尋常師範学校・蔵持小学校 【国登録有形文化財】/旧所在地:三重県名張市蔵持。1888(明治21)年築。

聖ヨハネ教会堂 【国指定重要文化財】/旧所在地:京都市下京区河原町通五條
1907(明治40)年築。明治になりキリスト教が解禁されると、京都でも教会が次々と建てられるようになります。この聖ヨハネ教会堂は、プロテスタントの一派日本聖公会の京都五條教会として建築されたもので、宣教師でもあったアメリカ人ガーディナーの設計によるもの。1階をレンガ造、2階を木造としています。

三重県庁舎 【国指定重要文化財】/旧所在地:三重県津市栄町
 1879(明治12)年築。間口が54mに及ぶ大きな県庁舎で、内務省庁舎を模範に、正面側に二層のベランダを設けるなど当時の典型的な官庁建築のデザインを採用。なお、既に紹介済の三重県尋常師範学校と同じく、三重県の大工である清水義八らが設計しています。


金沢監獄正門 【国登録有形文化財】/旧所在地:石川県金沢市小立野
 1907(明治40)年築。金沢監獄の整備と共に設置された監獄唯一の門で、レンガ造に石の帯状装飾を入れる当時の流行に従っています。


帝国ホテル中央玄関 【国登録有形文化財】/旧所在地:東京都千代田区内幸町
 1923(大正12)年築。アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテルの壮大な建築物のうち、取り壊しにあたって中央玄関部分のみを移築したもの。幾段にも重なった大谷石の帯などによる柔らかで華麗な外観が特徴であり、メインロビー中央は3階までの吹き抜け構造となっています。




京都電気鉄道(京都市電)狭軌1型。1911(明治43)年製の車両で、8号と15号の2両が存在。のちに京都市電に買収されることになる京都電気鉄道が投入した路面電車で、動態保存されています。
文椿ビルヂング
1920(大正9)年築。元々は貿易会社の社屋や繊維問屋、呉服商社等が使用し、2004(平成16)年に久和幸司建築設計事務所の手により商業施設として再生したもの。



名電1号  2014(平成26)年から2020(令和2)年3月(→2022年3月に延長)まで期間限定で展示されているもの。名古屋電気鉄道が開業時に投入した形式で、展示されている車両は1901(明治34)年から1907(明治40)年まで名古屋市内で使用した路面電車。車体が小さく、早々に予備車となっていたものを、札幌市電の前身である札幌電気軌道が1918(大正7)年の改軌・電車運転開始に合わせて譲り受け、29号の車番で1936(昭和11)年まで活躍しました。
 1960(昭和35)年に22号に改番の上でイベント運転用に復帰しますが、ほどなく札幌市交通資料館で静態保存。このたび保存修理と、2015(平成27)年の明治村開村50周年を記念して、かつての雰囲気を復元した上で展示されているものです。


尾西鉄道(名古屋鉄道)12号蒸気機関車(工部省23号蒸気機関車)
 新橋〜横浜間の鉄道開業から2年後の1874(明治7)年に、工部省がイギリスから輸入したもので、シャープ・スチュアート社の製造。当初は23号でしたが、1909(明治42)年に165号に改番され、1911(明治44)年に尾西鉄道に払い下げられ、12号に改番。名古屋鉄道との合併後も活躍し、1957(昭和32)年まで活躍しました。客車は雄勝鉄道ハフ13など。


1910(明治43)年製の明治天皇御料車【鉄道記念物】

などなど、様々な建築を見回って足が棒のようになりながら犬山駅に戻ります。

名古屋鉄道2000系特急「ミュースカイ」。

ピンク色の帯が特徴の名古屋鉄道300系。

そして2200系特急に乗車して名鉄名古屋駅へ。

車内の写真も撮影。明るくて美しい!

そして名古屋駅へ行き…。

珍しく東海道新幹線のグリーン車で帰還しましたとさ。

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