2018年12月18日 旧吉田茂邸ほか大磯を散策する


本題に入る前に12月16日は辻堂駅で東京メトロ13000系の甲種輸送をゲット。

さて、12月18日は午後から職場の同僚、Mr.SとMr.Kと一緒に大磯へ。火災から復元された吉田茂邸を見ます。入口にあたる兜門は焼失を免れた貴重な建築物で、1954(昭和29)年築。サンフランシスコ講和条約締結を記念して建てられ、別名「講和条約門」。

それでは、お屋敷の中へ。

まだ新しいため、歴史的・・・というより新築の綺麗なお屋敷状態。


楓の間。1947(昭和22)年、内閣総理大臣在任中の吉田茂が増築した棟の1階で、ソファーセットが置かれた応接間としての役割がありました。


続いて2階へ。

2階に設けられた脱出口。

書斎。吉田茂の私室で、展示されている蔵書は吉田茂が大磯町に寄贈したもの。

吉田茂邸になかったのが幸いして、焼失を免れました。

北側には舟形の風呂があります。大磯の船大工が製作にかかわったとか。

再び1階へ。こちらは礎石広場で、今回復元されなかった1925(大正14)年築の旧館、昭和10年代建築のベランダ棟の位置を示しています。

食堂(ローズルーム)

今度は、このように長い階段を登りながら再び2階へ。

こちらは応接室である金の間。名前の由来は部屋の装飾に金を用いたことから。箱根の山々と富士山が一望できます。

ということで富士山。当時は住宅ももっと少なく、より風光明媚であったことでしょう。

銀の間。吉田茂が最期を迎えた部屋です。

こちらは焼失を免れた温室。生前の吉田茂は、ここでブーゲンビリアなどの熱帯植物を鑑賞していました。

最後に庭園。こちらも焼失を免れているため、当時の姿を今に伝えています。

続いて明治維新150周年記念で特別公開されている、伊藤博文邸(滄浪閣)、大隈重信邸、陸奥宗光邸へ。

外観見学のみであれば事前予約なしで見られるという話でしたが、滄浪閣は見学NGだったので(一応、上写真は撮影)、大隈重信邸、陸奥宗光邸を見てまいりました。


まずは旧大隈重信別邸。1897(明治30)年に大隈重信が建て、1901(明治34)年に古河家が取得。玄関部分をはじめ、南側は創建当時の姿を概ねとどめています。屋根は関東大震災後、軽量化されているので意外とあっさりとした雰囲気ですが。


富士の間

神代の間。大隈重信の書斎で、半分化石化した神代杉を多く使っているのが特徴です。



続いて、今では同じ敷地にある旧陸奥宗光別邸へ。元々は1894(明治27)年に陸奥宗光が建てたもので、1897(明治30)年に陸奥宗光の次男、潤吉が養子に入っていた古河家が取得。1924(大正13)年に関東大震災で大破したため、改築したものが現在の建物です。2018(平成30)年8月までは古河電気工業の迎賓館として使われてきました。


ということで、建物としては陸奥宗光とは関係のないものですが、戦前の貴重な建築。また、再建にあたっては居室は陸奥宗光がいたころと同じ仕様で造ったそうです。

こちらは日本画の巨匠、横山大観が古河家に招かれ歓待された際、その返礼となる絵「飛泉」を描く際に腰かけた岩。


陸奥宗光と亮子夫人、そして長男の廣吉。なにこの美男美女一家。


大磯駅に戻る途中、「湘南発祥の地 大磯」の碑を撮影。逗子や葉山までもが湘南とされることもありますが、本来の湘南はこの辺。

そんな大磯町のカラーマンホールをゲット。

大磯の井上蒲鉾店。はんぺん、さつま揚げが絶品なので購入。

そして大磯駅で〆。明治の元勲たちの御屋敷群、これから本格公開される日を楽しみにしています。

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