2019年2月11日 日光街道の粕壁宿、越谷宿、草加宿を歩く
本日は職場の同僚SとKと一緒に埼玉県へ。日光街道の宿場町であった粕壁宿(春日部)、越谷宿、草加宿へ。まずは、東武の春日部駅で下車します。
日光街道及び奥州街道の宿場町であった粕壁宿は、江戸から約35.6km(9里2町)に位置し、南北約1.1km(10町25間)にわたる町並みを形成していました。現在も数多くの商家や土蔵が現存しており、見どころ満載です。こちらは東屋田村本店。
よく見ると後ろは古建築。
浜島家住宅土蔵 【国登録有形文化財】
日光街道と寺町通の分岐点にある黒壁の土蔵。明治時代前期の建物で、戦前まで米穀商を営んでいた浜島家のもの。1階は座敷、2階は使用人の部屋として使用されました。
大谷石の蔵です。
続いて越谷駅へ。日光街道及び奥州街道の宿場町であった越ヶ谷宿は、江戸から約24.4km(6里8町)に位置し、江戸時代初期には徳川家康が鷹狩りに訪れ、越ヶ谷御殿がありました。
さて、上写真は「ガーヤちゃんの蔵屋敷」。2017(平成29)年5月に越谷駅東口高架下にオープンした観光物産拠点施設。江戸時代の蔵をイメージして整備され、こしがやを「案内する」「食する」「持ち帰る」「体験する」をコンセプトとしています。また、阿波踊りで交流のある徳島市や日光街道宿場町の連携都市などの人気商品を販売しており、訪問時には徳島ラーメンのカップラーメンなども売っていました。
ここには越谷をはじめ、浅草や日光をイメージした鉄道模型(Nゲージ)のジオラマを設置。かなり本格的です。
横田診療所。1935(昭和10)年築。1960(昭和35)年までは郵便局として使われていました。
油長内蔵(あぶらちょううちぐら)。江戸時代末期築。市内の住宅関連企業によって曳家とリニューアルが行われています。
小泉家住宅。1875(明治8)年に建てられた蔵と、1899(明治32)年の大火直後に再建された店を持ちます。レンガの防火壁や今も残る防火水槽も特徴。
旧・大野家(現・はかり家)。店の間、居間、座敷、中庭、土蔵が続く町屋形式の建物。現在は様々な店舗が入居しており、にぎわいを見せています。
続いて武蔵野線の越谷レイクタウン駅で下車。駅近くには旧東方村中村家住宅が移築保存。元々は武蔵国埼玉郡八条領東方村(ひがしかたむら/現・越谷市大成町)へ1772(安永元)年に建築されたもので、東方村下組の名主を勤めた中村家の居宅。越谷市指定文化財です。
最後に再び東武スカイツリーラインに戻り、草加駅で下車。 草加宿を歩きます。
旧・草加小学校西校舎(現・草加市立歴史民俗資料館) 【国登録有形文化財】。1926(大正15)年築。設計は大川勇で、埼玉県初の鉄筋コンクリート(RC)造校舎です。
草加宿復元模型
東福寺山門 【草加市指定有形文化財】。東福寺は1606(慶長11)年に大川図書が創建したお寺。上写真の山門は、棧瓦葺(さんがわらぶき)四脚門。冠木上の彫刻は、宗祖に由来した見事な彫刻を配し、1865(元冶2)年の銘を持っています。
草加宿神明庵(旧久野家店舗)。安政の大地震や1870(明治3)年の大火を免れた、江戸時代末期の町屋建築と云われます。市民ボランティアによって、無料のお休みどころとして運営されています。
神明宮。草加宿の鎮守です。道路の形状でお分かりのとおり、草加宿はここでカーブします。
河合曾良像。松尾芭蕉の門人で、松尾芭蕉による奥の細道の旅に随行しました。
松尾芭蕉像
甚左衛門堰 【埼玉県指定文化財】。綾瀬川の洪水時に水が逆流し、田畑へ浸水するのを防ぐための施設。1895(明治27)年に木造からレンガ造に改築され、オランダ積またはイギリス積と呼ばれる技法(段ごとに長平面と小口面が交互に現れる)を用いています。
草加宿を抜けると、草加松原がスタート。これは凄い景観です。
帰りは獨協大学前駅から乗車。
東武70000系を撮影して〆としました。