2019年5月6日 甘楽町小幡と富岡製糸場などを行く



本日は職場の歴史仲間2人(Mr.SとMr.K)と恒例のお散歩。まずは、高崎駅で「SL&DLぐんま よこかわ」を撮影。1番線が閉鎖されているので、正面からしか撮影できないのは残念ですね。

そして上信電鉄に乗り換え。JR107系を改造した700形も運用に入っていました。

上州福島駅で下車。ここまで乗車してきた6000形を撮影します。

レトロな趣の上州福島駅。
レンタサイクルで南下。まずは、笹森古墳を撮影します。

そして甘楽町小幡地区へ。小幡は織田信長の次男、織田信雄の一族などが治めた場所で、13年ぶりに来ましたが、当時と比較して大幅に景観が向上し、風情ある雰囲気に。


旧・甘楽社小幡組煉瓦倉庫 (現・甘楽町歴史民俗資料館)
 1926年築のレンガ倉庫。製糸工場を運営した甘楽社小幡組の建物で、戦時下に工場が閉鎖されるまで利用。この地区の養蚕産業を代表する建築です。


織田宗家七代の墓
崇福寺の旧境内に位置し、織田信雄の墓を手前にして、順番に7つの墓が(信良−信昌−信久−信就−信右(のぶすけ)−信富)。なお、5代〜7代藩主の墓は、崇福寺で1758(宝暦8)年、1871(明治4)年に発生した火災による被害で、破損したままです。



旧・小幡藩武家屋敷松浦氏屋敷 【群馬県指定史跡】
 18世紀末〜19世紀初頭の建築。楽山園から約300m南方にある武家屋敷で、19世紀中期頃に座敷・納戸・縁側が増築されています。なお、松浦氏は1767(明和4)年に松平家が小幡藩主となるのに伴い移住し、小幡藩中老として藩政改革に尽力した松浦元寛が、1867(慶応3)年にこの屋敷を拝領しました。
 2011(平成23)年に松浦家から甘楽町にこの屋敷が寄付され、2017(平成29)年3月に復元整備が完了。当時の景観がよみがえっています。13年前の風景とはまるで変っていました。

松平家大奥
 奥方と何人かの腰元が住んでいた場所で、幕末にペリーが来航した際には、幕府が江戸城大奥の女官15〜16人を親藩である小幡藩のこの屋敷に疎開させたそうです。




楽山園 【国指定名勝】
江戸時代初期に織田家が小幡藩邸に附随して作庭した、池泉回遊式の庭園。景石(けいせき)の置かれた池をに、「中島」や「築山」を築き起伏に富ませています。「知者ハ水ヲ楽シミ、仁者ハ山ヲ楽シム」という論語の故事から楽山園と名付けられ、群馬県で唯一の大名庭園です。これも13年前とはまるで違う光景。


松井家住宅
江戸時代に名主を務めた松井家の屋敷。江戸時代中期の建物で、この地方の代表的な造りをしています。現在も甘楽町を歩くと、こういった雰囲気の建物が数多く改修されて使われているのが解ります。


700形に乗車して、今度は神農原駅へ。



 今度は旧茂木家住宅というのを見ます。柱材の墨書から1527(大永7)年築と考えられ、板葺屋根の民家としては日本でも最古級!! 棟持柱(むなもちばしら)が屋根まで達しているのが特徴で、これは古代の堀立柱建物に通じる建築様式です。
 茂木家は野宮淡路守信勝を初代とし、戦国時代に神農原にあった大山城の城主であったと云われ、江戸時代は神農原の名主となりました。1970(昭和45)年に国の重要文化財に指定され、1977(昭和52)年に現在地の宮崎公園へ移築されました。


下仁田駅から折り返してきた700形に乗車。

今度は上州一ノ宮駅へ。


偶然の遭遇でしたが、東國敬神道場(現・富岡市社会教育館)を散策。1935(昭和10)年築で国の登録有形文化財。1934(昭和9)年に群馬県で陸軍特別大演習が行われた際、昭和天皇が貫前神社を参拝されたことを記念し、敬神崇祖精神高揚事業期成会が組織されて建設が進められたもので、1936(昭和11)年3月に青年男女の精神修養を目的とした「東國敬神道場」として供用を開始しました。


その隣にある一之宮 貫前神社(ぬきさきじんじゃ)が元々の行先でした。ここは、安閑天皇元年(534年頃?)に鷺宮(現在の安中市内と推定)の物部姓磯部氏が氏神である経津主神を祀ったのが最初と云われ、平安時代からその名前が文献に見られる非常に古い歴史を持つ、上野国一宮です。
その特徴は、参道の石段を上がり蓬ヶ丘上にある大鳥居・総門をくぐると、今度は石段を下り、綾女谷の本殿に参拝する建物配置であること。また、本殿、拝殿、楼門、回廊は、江戸幕府第3代将軍の徳川家光が1635(寛永12)年に造営させたもの。1698(元禄11)年に第5代将軍の徳川綱吉が現在みられる極彩色の華麗な建物へ大規模に改修。国の重要文化財に指定されています。


 駅に戻る途中、参道の階段の脇に旧・一ノ宮町役場庁舎 【国登録有形文化財】があります。
 1928(昭和3)年築。1950(昭和25)年に3階部分を増築し、1954(昭和29)年3月まで一ノ宮町役場庁舎、同年4月から富岡市一ノ宮出張所として使われたのち、群馬県に寄付されて群馬県立博物館、群馬県立自然科学資料館として使用。さらに1998(平成10)年から富岡市のシルバー人材センターとして使われています。群馬県内では古例である鉄筋コンクリート造の庁舎建築です。


700形に乗車して、今度は上州富岡駅へ。


最後に富岡製糸場を数年ぶりに見て〆としましたが、とにかく歩いた1日でした。



何度か来ていますが、この辺りは以前は見られなかったはず。


社宅を含めると未公開の建物はまだまだ多く、少しずつ保存整備しながら公開エリアを広げているようです。世界遺産効果も少し陰りが見えているらしく、何とか頑張ってほしいですね。


上州富岡駅からは、500形に乗車して高崎へ。ぐんまちゃん列車となっていました。


高崎駅からはE4系に乗車して帰還。Maxとき&Maxたにがわの併結列車でしたが、こんな運用があったとは・・・。

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