2020年2月4日 秩父鉄道三ヶ尻線と金山城、上信電鉄へ
この日はリン所員に召喚されて秩父鉄道、埼玉県唯一の国宝である歓喜院聖天堂の本堂ほか古建築、戦国時代の山城である金山城、上信電鉄を巡りました。
まずは籠原駅でリン所員が運転するレンタカーに乗車し、高崎線と三ヶ尻線の分岐付近で緑色一色のデキ505が牽引し、来月廃止となる石炭貨物を撮影。
途中でも1枚。
さらに南下して、明戸〜武川で5000形を撮影し…。
デキ102が牽引する三ヶ尻線の石灰石貨物を撮影。
と、そこへ7700形ラグビーワールドカップ ラッピング電車が通過。
さらに武川駅でデキ506牽引の石灰石貨物を撮影。
武川駅に入線する7900形。
続いて東へ行き、ひろせ野鳥の森駅で5000形を撮影し…。
車両基地で往年の東武鉄道の電機のような色になったデキ201、黄色くなったデキ502などを撮影。
秩父鉄道の撮影を切り上げる前に、7700形のラッピング電車「彩色兼備」が撮れないかと淡い期待をしていたら、見事にゲット。非常に美しいデザインですね。
今度は高崎線を越え北上し、かつて熊谷駅から分岐していた東武熊谷線の妻沼駅跡へ。駅舎は何も残っていませんが、近くにある熊谷市立妻沼資料館には、熊谷線で使用されたキハ2000形気動車が保存されています。
妻沼の観光名所と言えば、歓喜院(通称は妻沼聖天山)。2012(平成24)年に国宝に指定された上写真の聖天堂(本殿)をはじめ、境内の建物の大半が国指定重要文化財や国登録有形文化財に指定され見応えがあります。この極彩色と精緻な彫刻の数々は圧巻!
こちらは貴惣門 【国指定重要文化財】。
1855(安政2)年頃築。三間一戸の八脚門で、三つ重なる破風が特徴的なほか、非常に緻密な彫刻は必見です。設計は岩国藩の長谷川重右衛門。錦帯橋の架け替えを担当した藩士で、利根川の大洪水に伴う妻沼の復興を岩国藩が幕府から命じられた際、復興中の歓喜院聖天堂を見て思い立ち設計図を描いたもの。聖天堂の工事を担当していた大工棟梁の林正清に図面を託し、それから100年後に林正清の子孫である林正道が完成させました。
さらに車は群馬県太田市に入り、以前から気になっていた金山城へ。2009(平成21)年に整備された史跡金山城跡ガイダンス施設・太田市金山地域交流センターは、建築家の隈研吾氏による設計で、石垣をイメージした外観が特徴です。
さて、金山城は新田金山全体の自然地形を利用しながら造られた山城で、1469(文明元)年に新田一族の岩松家純が築城したもの。
1528(享禄元)年に岩松氏の重臣、横瀬(由良)成繁が岩松守純から金山城を奪って下剋上。以後、 上州が越後上杉氏、甲斐武田氏、相模(小田原)北条氏の主戦場となる中、金山城は10回の攻撃を受けますが中枢に攻め込まれることなく防衛。1584(天正12)年には北条氏の謀略によって、北条氏の直接支配に組み込まれたのち、1590(天正18)年に豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が滅亡すると、金山城も廃城になりました。
関東の城では珍しく石垣を多用しており、上写真の大手虎口は圧巻ともいえる雰囲気。
さらに車は西へ進み、上信電鉄沿線の根小屋〜高崎商科大学前へ。
撮影の合間に特別史跡である金井沢碑へ。奈良時代前半の726(神亀3)年に三家氏[みやけし]を名乗る豪族が、先祖の供養と一族の繁栄を祈って建てた石碑で、山ノ上碑、多胡碑とともに「上野三碑」と称されます。
再び撮影に戻り、玩具メーカー桃源堂のラッピング広告車であるクモハ1001 - クモハ1201。
上半分がスカイブルー、下半分が白のツートンカラーに変更されたクハ1301もゲット。
最後に高崎駅へ。JR107系を改造した700形が目立つようになってきました。
7000形を撮影し、〆。
熊谷駅でレンタカーを返却し、行程が全て終了・・・と思いきや、帰りの高崎線で人身事故に遭遇したのは残念な結末でした。