2020年10月25日 名鉄の撮影をしながら豊川・豊橋旅行
コロナ禍で2月から関東を脱出することなく過ごしていましたが、若干鎮静化を見せつつあった10月。旅行に対する社会的な風当たりも少し収まったかに見えたので、職場の同僚であるMr.SとMr.Kと一緒に豊川稲荷と旧東海道の二川宿本陣を見に行くことに。一方、気になっていたのが名鉄で引退が予想される1700系の撮影。どう両立しようか悩んだ結果、始発列車に乗って単独で名古屋へ先行し、ネオン所員と名鉄を撮影してから豊川へ向かうという行程を組むのでした。
まずは、小田原駅の新幹線口を久しぶりに撮影するところからスタート。
途中、富士山が見えたのでこちらも久しぶりに撮影。
名古屋駅に到着し、ネオン所員と合流。栄生駅で名鉄を撮ることにします。隣を通過するのはJR東海道本線。
名鉄1200系。新塗装になってからは初めての撮影ですが、なかなか素敵な塗装!
3500系。
2000系。
6000系。
681系特急「しらさぎ」が通過。北陸新幹線敦賀開業後には、再び683系化でしょうか。
そしてお目当ての1700系を無事にゲット。これで目的を達成し、まだMr.KとMr.Sとの合流時間まで余裕があったので、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている旧東海道の有松の町並みを見に行くことに。
途中、鳴海駅で1200系を撮影。
6800系に乗車し、有松駅で下車します。
2007年に訪問して以来、13年ぶりにやってきた有松。
当時と比較すると、無電柱化が実施され素敵な景観に。
竹田家住宅
様々な古建築は日本の旅コーナーでしっかりと紹介することにし、ここではこのぐらいで。
では、有松駅でネオン所員とお別れし、東へ向かいます。
続いて、前後駅で特急列車の退避待ちの間に再び1700系に出会えました。
国府駅からは名鉄豊川線に乗り換え。初乗車です。
豊川線は7.2 kmという短い路線で単線ではありますが、八幡駅付近は高架化され立派な雰囲気。
稲荷口駅。
稲荷口駅を出るとJR飯田線と並走し、豊川稲荷駅に到着。
こちらが豊川稲荷駅のホーム。乗車口付近がかさ上げされていますね。
豊川稲荷駅。
豊川稲荷駅はJR豊川駅と隣接しています。
豊川稲荷駅からは豊川稲荷を目指・・・さず、三明寺へ。 曹洞宗の寺院で、通称は豊川弁財天。三重塔は1531(享禄4)年築、本堂内宮殿(くうでん)は1554(天文23)年築で、国指定重要文化財。また、本堂は1712年(正徳2)年築で愛知県指定文化財です。
さて、続いては豊川稲荷にやってきました。正式には「円福山 豊川閣 妙厳寺(みょうごんじ)」と称する曹洞宗の寺院で、本尊は千手観音。1441(嘉吉元)年に曹洞宗法王派の東海義易によって創建され、室町時代末期に駿河の戦国大名である今川義元によって伽藍が整備されたのが始まりです。
上写真は総門で、1894(明治17)年築。門扉及び両袖の扉は厚さ15cmの欅の一枚板を使用しています。
山門は1536(天文5)年築。駿河の戦国大名、今川義元が寄進したもので、豊川稲荷で現存最古の建築かつ唯一の丸瓦葺造りの屋根が特徴。左右に阿吽の仁王像を収めていますが、これは1966(昭和41)年に篤信者が寄進したもの。
大本殿は1930(昭和5)年築。総欅造、妻入二重屋根三方向拝の形をとり、間口は10間7分5厘(約19.35m)、奥行き21間4分3厘(38.59m)。内部は内陣、般若殿、施主殿に区画されています。また、明治時代に有栖川宮家から「豊川閣」の大額が下賜され、大本殿内部に掲揚されています。
霊狐塚。祈願成就の御礼として信者が奉納した、大小およそ1000体に及ぶ狐の像が奉納されています。これはインスタ映えしますね!
昼食は豊川稲荷前で、明治12年創業というカドヤで、うな丼ときしめんのセットを食します。・・・最高でした。
続いてJR飯田線で豊橋駅へ。目的は、モ800形の「エール」ラッピング列車だったのですが、公表されている運用情報を見ると我々の豊橋到着直前に車庫に入ってしまったようで、撮影を断念。
代わりに豊橋市こども未来館で、エールに関連して古関金子マンホールが設置されたというので撮影に行きます。が、帰宅後に3種類あったことに気が付くという・・・。
また、こちらには豊橋市の通常のマンホールのカラー版が3種類設置されているので、こちらはゲットしました。
続いて、豊橋駅の隣である二川駅で下車。旧東海道二川宿を14年ぶりに散策します。当時と大きく異なるのが、商家「駒屋」が一般公開を開始していたこと。
奥に長いのが特徴的ですね。この日はイベントが開催され大賑わい。鬼滅の刃のコスプレをしていた子供たちも目立ちました。
それから二川宿本陣も散策。
草津宿本陣(滋賀県草津市)、土山宿本陣(滋賀県甲賀市)と並び東海道では貴重な本陣の現存例。
さて、二川駅に戻り313系の8両編成に出会います。
私はこれから置き換えが開始される311系に乗車して、豊橋駅に戻ります。
どうしても、「エール」ラッピング列車であるモ803号の撮影があきらめきれず、結局は豊橋鉄道市内線の赤岩口車庫までやってきました。
折り返しは、ブラックサンダー号となったモ802号に乗車。
傾斜のついた車内を堪能します。
さて、市役所前で降りて3500形を撮影。都電荒川線の7000形を改造した車両です。
ここからは再び史跡巡り。こちらは豊橋市公会堂 【国登録有形文化財】。1931(昭和6)年築。中村與資平の設計で、鉄筋コンクリート造3階建て。豊橋市制25周年を記念したもので、玄関の半円アーチや3階の2連アーチ窓などロマネスク様式を基調としながら、スペイン風の円形ドームを載せているのが特徴です。
豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂 【国指定重要文化財】。1913(大正2)年築。ハリストス正教会の司祭建築家である河村伊蔵の設計で、玄関を西側に設け、東に向けて啓蒙所、聖所、至聖所を一直線に並べる、ハリストス正教会聖堂に共通する形式で建築。玄関の上には八角形の鐘塔を載せています。
吉田城鉄櫓。北側と西側の石垣は、池田輝政時代の造られた野面積の遺構。それ以外は名古屋城築城時に余った石垣を転用したもの。コストカットですね。上には八角形の鐘塔を載せています。
三の丸口門跡/歩兵第十八聯隊正門と哨舎。吉田城には歩兵第十八聯隊が置かれ、三の丸口門跡には1898(明治31)年に営門が新設されました。現在は昭和10年代に建てられた鉄筋コンクリート造の正門と出入りをチェックする哨兵の小屋(哨舎)が残ります。
何気ない煉瓦構造物は、歩兵第十八聯隊灰捨て場の跡。タバコの吸殻と暖炉の灰を集めて捨てた場所だとか。
旅の最後は東海道吉田宿本陣跡を撮影。吉田宿は東海道五十三次の江戸側から数えて34番目の宿場でした。1802(享和2)年には本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠65軒があり、賑わっていました。写真の右側に本陣、左側に脇本陣がありました。
ということで、久しぶりの遠出に大満足。とは言え、コロナ禍が収束しない中、後ろめたさも感じながらの旅行というのは、何とも言い難い感じでした。