2021年4月13日・15日 E257系NB-12編成撮影と鎌倉の材木座散策


まずは4月13日。この日はE257系500番台(幕張車両センター所属、豊田車両センター常駐NB-12編成)による集約臨の運転日だったので、回送の折り返し地点となる国府津駅へ。


E231系東海道線との並び。


豊田車両センターの189系を置き換えたE257系500番台は3編成あり、幕張車両センター所属の他の車両と塗装は同じながら、ロゴマークを変えており、NB-12編成は緑色ベースのものに変更されています。さて、折角なので形式写真を。
まずは5号車であるクハE256-512。

4号車のモハE257-512。

3号車のモハE256-512。

2号車のモハE257-1512。

1号車のクハE256-512。なお、NB-12編成は2021(令和3)年12月末に秋田総合車両センターへ配給輸送されており、5500番台へ改造されることになっています。


さて、4月15日。職場の同僚であるSとKと一緒に午後から鎌倉へ。横須賀線のE235系に乗車です。液晶ディスプレイが大きくて見やすいですね。

 この日は鎌倉の散策をメインとしますが、何度も鎌倉に来ていながら殆ど来ることが出来なかった材木座エリアを目指します。
 まずは鶴岡八幡宮の一の鳥居。国指定重要文化財で、1688(寛文8)年に再建されたもの。江戸幕府第4代将軍である徳川家綱が再建した3つの鳥居のうちの1つで、3つとも関東大震災で倒壊する中、この一の鳥居だけは修理され元通りの姿になっています。たしかに、よく見ると折れた跡が…。



 その脇には石碑と、1393(明徳4)年にこ造立された。高さ約3.4mの石造宝篋印塔【鎌倉市指定有形文化財】があります。この場所は鎌倉幕府の名将、畠山重忠の長男である畠山重保の屋敷跡と云われる場所です。畠山重保は、北条時政の後妻の娘婿である平賀朝雅との確執もあり、1205(元久2)年に時政の意を受けた三浦義村によって謀殺されています。
 ちなみに畠山重保は北条時政の孫でもあるのですが・・・時政、やりたい放題。まあこの時代、親兄弟で殺し合うのも珍しくはありませんが…。


続いて向かったのは九品寺(くほんじ)。浄土宗の寺院で、1336(建武3)年に新田義貞が、鎌倉幕府滅亡後に北条方で亡くなった者の菩提を弔うために、風航順西(ふうこうじゅんさい)を開山として建立しました。九品とは、浄土教でにおける極楽往生の際の九つの階位。生前の行いによって定められた上品(じょうぼん)、中品、下品(げぼん)の三品(さんぼん)それぞれに、上生(じょうしょう)、中生、下生(げしょう)があり、合計9つです。

山門に掲げられた山号「内裏山」(上写真)や、本堂の「九品寺」の文字は新田義貞の筆を写したものとか。

 続いて同じく浄土宗の寺院である光明寺へ。元々は1240(仁治元)年に鎌倉幕府第4代執権の北条経時が、浄土宗三祖である然阿良忠(ねんなりょうちゅう)のために佐助ヶ谷に建てた蓮華寺を起源とし、1243(寛元元)年に現在地へ移転し、光明寺と改称したとされますが詳細は不明。江戸時代には浄土宗関東関東十八檀林の第一位とされ、非常に格式の高い寺院です。
 さて、まず見えてくる総門は寛永年間(1624〜28)に再建されたもので、鎌倉市指定文化財。

山門は1847(弘化4)年築で、神奈川県指定重要文化財。間口約16m、奥行約7m、高さ約20mの五間三戸二重門で、鶴岡八幡宮から移築したと云われます。


この日は山門の2階が公開されていました。釈迦三尊、四天王、十六羅漢が祀られています。

本堂(大殿)は1698(元禄11)年の建立で、国指定重要文化財。入母屋造、銅板棒瓦葺きで、桁行9間、梁間11間という鎌倉で現存する近世仏堂の中でも最大規模・・・なのですが、何と半解体修理に入っており、10年計画の工事だとか・・・。なんでもっと早く来なかったのか!

浄土宗庭園である記主庭園。

鐘楼堂

境内には俳優、高倉健の墓碑がありました。

さて、今度は鎌倉駅西口方面へ向かいます。

こちらは結の蔵。元々は1888(明治21)年に秋田県湯沢市に建てられた高久酒造の酒蔵で、間口は7.3m、奥行きは16.5m。現在は賃貸住宅となっています。


こちらは古我邸。1916(大正5)年築で、元々は三菱合資会社(後の三菱財閥)の専務理事兼管事をしていた荘清次郎(しょうせいじろう)の別荘。設計は桜井小太郎で、ジョサイア・コンドルの弟子です。1937(昭和12)年に日本土地建物(株)の経営者であった古我貞周が取得し、その息子でモータースポーツのパイオニアとされる古我信生が住んだのち、2015(平成27)年に改修工事を経てフレンチレストランとなりました。

その先にあるのが鎌倉歴史文化交流館。2017(平成29)年5月15日に開館したもので、建物は2004(平成16)年に世界的に有名な建築家、ノーマン・フォスターが代表を務めるフォスター・アンド・パートナーズが設計した「Kamakura House」という個人住宅の寄附を受けたもの。


展示物を飾るためのパネルなどは取り付けられているものの、内装は大きくは変えていないようです。普通の住宅とは全然違う雰囲気ですね。

吾妻鏡(複製)

御成敗式目(レプリカ)

第4代鎌倉公方 足利持氏の御教書(みぎょうしょ)。鶴岡八幡宮の別当尊仲(そんちゅう)を、足利庄八幡宮の別当に任じた内容です。

新編鎌倉志。水戸黄門でお馴染みの徳川光圀が編纂させた鎌倉の地誌で、徳川光圀自らが1673(延宝元)年に鎌倉の名所旧跡を訪ね、家臣が調査したものです。当時の鎌倉を知る一級の資料。

こちらは永福寺の瓦。永福寺はかつて、鶴岡八幡宮、勝長寿院とならんで当時の鎌倉の三大寺社の一つだったもので、1192(建久3)年に源頼朝が建立させてから、1405(応永12)年に焼失するまで、鎌倉市二階堂にありました。

さて、鎌倉駅北側の踏切からは12両編成のE259系が撮影出来ました。

逗子方面のE217系もこんな感じで撮影出来ます。

最後に、鎌倉市川喜多映画記念館を見学。映画の発展に大きく貢献した川喜多長政・かしこ夫妻の旧宅跡に、鎌倉市における映画文化の発展を期して、2010(平成22)年4月に開館したものです。

敷地内には哲学者の和辻哲郎氏が江戸後期の民家を東京都練馬区において居宅として使用していたものを、1961(昭和36)年に川喜多長政、かしこ夫妻が移築した旧川喜多邸別邸(旧和辻邸)があります。春と秋の年2回公開しているそうで、機会があれば見たいものです。

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