2021年9月17日 御殿場線の211系と伊勢原の史跡巡り


 国府津駅と沼津駅を御殿場経由で結ぶ御殿場線。普段出会う列車が313系ばかりだったので、てっきりそれ以外の車両は普通列車として運用されないのかと思いきや、朝晩に211系の運用があることを恥ずかしながら今頃知ったので出撃しました。
 さて、まずは国府津駅で特急「湘南」運用に向け出発を待つE257系2000番台を撮影。


一旦、国府津駅の外に出てみます。国府津駅は鉄筋コンクリート造4階建ての立派な構造で、1階の一部を除きJRの事務所となっています。



こちらは改札口

そこへ、エヴァンゲリオン初号機のラッピングバスがやって来ました。

さて、お目当ての列車が6時22分に入線してきました。

沼津方が211系なのですが、ご尊顔が…。

さて、方向幕を撮影しておきます。先頭のクハ210−5022は天地寸法が細いタイプなのが特徴です。

他の2両は一般的な211系と同様の大きさ。いずれにせよ、御殿場線経由の表記が入った静岡行きです。

こちらは313系の方向幕。


211系の車内。


313系3000番台(V編成)の車内。一部を除き固定クロスシートです。


さて、211系に乗ってみます。


国府津駅を出ると、E217系が国府津車両センターに留置されていました。


途中、相模金子駅で1枚。

そして松田駅に到着し、しばらく停車しているうちに…。

反対側のホームから出発するところを1枚。

さて、松田駅北口から出ます。

ここから小田急の新松田駅に向かいますが、南口から出るのと異なり、かなり遠回りでした。


小田急の主要駅ぐらいは順次撮影していこうと思い、秦野駅を撮影。

さて、海老名駅で一旦下車。

海老名駅の脇で最後の活躍を続ける205系500番台R1編成を撮影。

次はR4編成。少し前までは田園地帯が周囲に広がっていたのが、あっという間に商業施設やマンション、ホテルが建ち並ぶようになりました。

R8編成。

今度は小田急の本厚木駅へ。

ここでは50000形VSEの回送に出会いました。

本厚木駅に入線する8000形急行。

続いて伊勢原駅に移動して8000形快速急行を撮影。

伊勢原駅の駅舎。こちらは北口で、市役所など伊勢原市中心部の玄関口ですが、ひっそりとした印象。ただ、2028年度の完成を目指して再開発の計画が進行中で激変が予想されます。

こちらは伊勢原駅南口。小田急の駅ビルがあります。それでは、ここからは友人の車で伊勢原市内の史跡巡りへ。

まずは大山方向へ行き、伊勢原大神宮。こちらは江戸時代初期、元和年間(1615〜23年)の創建で、伊勢国(現在の三重県)の山田曾右衛門が、鎌倉の湯浅清左衛門とともに開墾に着手し、故郷の伊勢神宮を勧請したのが始まりです。伊勢原の地名の起こりとも云われます。

伊勢原高校入口交差点を左折し、東名高速道路の下を抜けると大山阿夫利神社二の鳥居が見えてきます。1851年(嘉永4年)に建立されたものです。

 二の鳥居の向かい側には山口家住宅があります。主屋は江戸時代末期に建てられたもので、国登録有形文化財。この地を治めていた旗本・間部氏(※江戸幕府第6代将軍徳川家宣、第7代将軍徳川家継の側用人だった間部詮房(まなべあきふさ)の弟、間部詮之(あきゆき)の家系)の代官で、江戸時代中期より上粕屋で名主を務めていた山口氏の住宅で、代官所に改修する最中に明治維新を迎えました。
 主屋の奥に離れがあり、皇族をもてなすための特別な部屋でした。こちらは昭和10年代に閑院宮をお迎えするまで5人の皇族が利用しています。

さらに石倉橋交差点を抜けると、1717年(享保2年)に再建された鮮やかな社殿が残る比比多神社(子易明神)があります。昔から安産守護の神として崇められ、神社の向拝の柱を削り取って煎じて飲むと安産できると信じられていました。さて、この先を抜けると大山なのですが、今回は別の場所へ向かいます。


今度は東へ向かい、東海大学 伊勢原キャンパスの近くにある高部屋神社へ。平安時代に記された「延喜式」にも由緒ある神社で、別名は八幡神社。本殿は関東大震災に伴う倒壊で1929年(昭和4年)に旧材を再利用して再建したもの。また、かやぶき屋根の拝殿及び幣殿は1865年(慶応元年)の建築で、国登録有形文化財に指定されています。

梵鐘は1386(至徳3)年に河内守国宗によって造られ、平秀憲が奉納したもの。神奈川県指定重要文化財です。

 また、道標を兼ねた庚申塔が2つあり、2020(令和2)年に付近の道路工事に伴い境内へ移したもの。うち、上写真奥の庚申塔「柏尾道」「藤澤道」と彫られており、1865(慶応元)年に設置されました。また、上写真手前の庚申塔は「此方 かしを道」「此方ふじさハ道」とあり、1844年(天保15)年に建てられました。
 今までこうした道標に注目したことはありませんでしたが、現在の道路標識につながるもので、今後は見つけたら積極的に記録していこうと思います。今も道路工事などで良くて移設、最悪撤去もあるわけですから。

ちなみに高部屋神社の前を通る道路は、かつて大山詣で多くの人が行き交った大山道の1つ、柏尾通大山道。横浜市戸塚区柏尾町の不動坂を起点に東海道から分岐し、主に厚木方面



また、高部屋神社を含む周辺一帯は、戦国時代まで下糟屋地区の台地上に築かれた丸山城があり、公園化された部分で土塁を見ることが出来ます。かつては平安時代から鎌倉時代の豪族、糟谷氏の館跡と伝えられていましたが、発掘調査によると室町時代〜戦国時代の城郭と考えられるようになり、戦国時代の武将、太田道灌に関連しているようです。

このほかにもマニアックな史跡を巡りましたが、ここではこの程度の紹介にとどめておきます。

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