2021年9月23日 秩父鉄道から東京大仏、ところざわサクラタウン&国立駅へ
本日の午前中は久しぶりに単独で出かけることになり、とりあえずJRの休日おでかけパスを片手に北上。大宮駅を出ると、脱線復旧訓練専用の車両となっているクハ209−7が見えてきました。京浜東北線色を維持していますね。
そして鉄道博物館の脇を通り過ぎると、EF64 37号機が期間限定で展示されていました。とても綺麗な状態で、展示期間終了後は撮影出来たらいいなと思っていたら、廃車されてしまうとは。
さて、移動しながら秩父鉄道のラッピング列車を撮影しようと考え、熊谷駅で乗り換え。ひろせ野鳥の森駅で下車します。まずは、2両編成である7800系に出会います。
次は3両編成である7500系。
5000系。元都営三田線の車両で、今や非常に貴重な存在。
ガリガリ君ヘッドマーク付きの6000系。・・・う〜む、そう簡単に狙いのラッピング列車は撮影出来ないですね。
・・・と、思ったところ既に撮影したことはありますが7500系(7505編成)によるラッピング車両「秩父三社トレイン」がやってきました。とりあえず、これに乗って熊谷駅へ戻ります。
熊谷駅の駅舎を撮影した後・・・。
新幹線ホームに入り、引退目前のE4系によるMaxたにがわを撮影。
ラストランを記念した装飾が追加されています。
それからすぐに、今度は16両編成のMaxたにがわが入線してきます。
E4系にお別れを告げた後、再び秩父鉄道に乗って今度は羽生駅へ向かうことにします。
熊谷駅から乗車したのは7500系7507編成「彩色兼備」。
海側のラッピングは未撮影だったので終点の羽生駅で、東武線ホームから記録しました。
もう少し秩父鉄道の撮影を続けることにして、とりあえず東武伊勢崎線の10000系と…。
これから引退が予想される200系特急「りょうもう」を撮影。
そして、秩父鉄道における今回の主目的であった7501編成「超平和バスターズトレイン」を撮影。2021(令和3)年4月3日から運転されているもので、秩父市が舞台設定のモデルとなったアニメ3部作「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」「心が叫びたがってるんだ。」「空の青さを知る人よ」のキャラクターや劇中画を内外装にラッピングしています。
「空の青さを知る人よ」はまだ見ていないので、そのうち何とかしないと…。
さて、もう1本200系を撮影し…。
今度は南栗橋駅へ。日比谷線直通で活躍した20000系のワンマン改造車、20400型電車を初撮影します。
車内の写真を撮影したかったので、一旦栗橋駅で下車し、折り返しの20400型に乗車します。
というわけで車内の写真をゲット。
東京メトロ8000系もいたので、こちらも記録。
さらに、もう少し条件の良い場所で撮影したかった気もしますが、300系(350型)による特急「きりふり」を撮影。2022年(令和4年)3月6日の運転を最後に廃止されました。一度、乗車すればよかった…。
今度は久喜駅でJRに乗り換えて、赤羽駅へ。 こちらは東口で、JR東日本ホテルメッツ赤羽が目立ちますね。商業エリアなどは主にこちら側に広がっています。
こちらは赤羽駅西口。
そして埼京線に乗り換えて…。
板橋駅で初めて下車し、滝野川口駅舎を撮影。板橋駅は近年、駅舎を含めて再開発が進行中で、こちらには2020(令和2)年7月にJR板橋東口ビルが誕生しています。板橋口は改築中だったので撮影せず、ここから徒歩で新板橋駅(都営三田線)へ。
終点の西高島平駅で初めて下車。都営6300形3次車を撮影しておきます。
6300形の車内。
西高島平駅の駅舎。ここからは友人であるMr.Kと合流して文化財巡りの旅です。
ここから徒歩で板橋区立郷土資料館へ。こちらは板橋遊郭中、最大の規模を誇った新藤楼の玄関を移築したもの。唐破風を取り入れた豪勢なものでした。1943(昭和18)年まで営業し、その後は病院として転用。解体に伴い、玄関部分のみ1974(昭和49)年に移築されました。
旧田中家住宅 【板橋区有形文化財】。江戸時代後期築と推定。茅葺屋根を持つ農家住宅で、板橋区徳丸五丁目の田中氏から寄贈を受けて移築しました。
納屋は板橋区蓮根二丁目の中村氏から寄贈を受けて移築したもの。
板橋区立郷土資料館の内部。
さらに赤塚山乗蓮寺へ。東京大仏で名高い浄土宗の寺院で、元々は応永年間(1394〜1427年)に了賢無的が山中村(現在の板橋区仲町)で創建し、江戸時代初期に板橋宿へ移転。首都高速道路の建設と国道17号の拡幅によって、1973(昭和48)年に赤塚城二の丸跡と云われる現在地へ移転しました。
こちらが東京大仏。1977(昭和52)年建立で、高さ13mの青銅製で重さが32t。
敷地は室町時代から戦国時代にかけて千葉氏の城であった赤塚城の二の丸跡といわれています。
乗蓮寺所蔵旧藤堂家染井屋敷石造物 【板橋区登録文化財】
もとは現在の豊島区駒込にあった津藩藤堂家の江戸下屋敷にあったもので、1967(昭和42)年に個人宅から乗蓮寺へ移されたものです。
さらに松月院へ。こちらは曹洞宗の寺院で、1492(延徳4)年に千葉自胤が寺領を寄進して中興したと伝えられています。
1922(大正11)年建立の顕彰碑。1841(天保12)年に徳丸ヶ原で西洋式砲術の調練を行った高島秋帆を顕彰したものです。
今度はバスで東武東上線の成増駅へ。ちょうど、50090型51092F「池袋・川越アートトレイン」が停車している所で、何とか撮影に間に合いました。初撮影です。
“川越に彩を加える”というテーマのもと、若手画家である古家野雄紀氏により、車両10両を大胆に使って川越の魅力を表現したラッピングトレインとのこと。
朝霞台駅でJR武蔵野線の北朝霞駅に乗り換え。紛らわしいので名前を統一すればよいのに…。
今度は東所沢駅で下車します。角川武蔵野ミュージアムを核とする「ところざわサクラタウン」のオープンに合わせてリニューアルされています。
ところざわサクラタウンまでの道のりには、角川の漫画・ラノベ作品のマンホールが多数。エミリアたん!
そして、ところざわサクラタウンへ。何と言っても目を引くのが、隈研吾設計の角川武蔵野ミュージアム。高さ約8メートルの巨大本棚にかこまれた「本棚劇場」が特徴で、是非見たかったのですが定員の都合で叶いませんでした。
さらに、2020(令和2)年4月6日に復元が完了した国立駅の旧駅舎へ。1926(大正15)年4月1日に鉄道省(のち国鉄。現・JR東日本)の国立駅開業時から使用されていたもので、国立市指定有形文化財。設計はフランク・ロイド・ライトに師事した河野 傳(つとう)。イギリスの田園都市の小住宅にみられる赤い三角屋根に白い壁、ロマネスク風の半円アーチ窓やドーマー窓が取り入れられているのが特徴です。
ちょっとした休憩場所としても多くの人が利用しているようで、駅前にこういう場所があることは素晴らしいと思います。それでも国立駅の高架ホームからの景観が悪くなると、復元に反対していた市議会議員もいて、世の中には何をするにしても反対の声を上げないと気が済まない人がいると感じます。
最後に横浜線で帰るべく八王子駅へ向かったところ、相鉄21000系の甲種輸送に遭遇しました。